Live on the Edge 2

「やっと人間に戻った気がするな」
皮肉めいた響きのある声に、ルーファウスのベッドを整えていたツォンは、振り向いた。
バスルームから出てきたルーファウスは、バスローブを肩に軽く引っ掛けただけの姿で、ツォンは目のやり場に困り、わずかに目をそらせた。
だが、タオルを放り投げられ、あわてて受け取る。
「髪をふいてくれ。首がまだ痛む」
ツォンの困惑など、まったく気がついていないように、ルーファウスは、そのまま、軽く右足を引きずりながら歩いてくると、ベッドの端に腰を下ろした。
「失礼します」
ツォンは、タオルを広げ、そっと、ルーファウスの頭にかぶせた。
金色のその髪は、洗われたことで、ようやく、その元の輝きを取り戻し、白い肌も本来の透けるような白さに戻っていた。
さっと確認したところでは、まだ、病による黒い染みは、どこにも、現れていないようで、ツォンは、ルーファウスには気取られぬよう、内心でほっと息をついた。
ツォンの手に頭をゆだね、ルーファウスは、気持ち良さそうに、目を閉じている。
「ここは、初めて来た。こんなにいい場所とは、知らなかった」
「古いリゾートですから。コスタ・デル・ソルや、アイシクルの人気に負けて、廃れてしまったようですね」
「なるほどな」
ここは、クリフリゾートの一番奥まった場所に造られていた、神羅の別荘だった。
ルーファウスの祖父の時代には、何度か使用されたらしいが、プレジデントはここを嫌ったため、その後は放置されたままだった。もっとも、ここのロッジの管理人は、代々、麓の町に住む一家族が務めており、定期的に修繕と清掃は行われていたらしく、今回、慌ただしくルーファウスがここを使うことになった時にも、すぐに、生活できるように、全てが整えられたのだった。
ここ、クリフリゾートと、麓の町は、地形的な問題で、ミッドガルやカームからそれほど離れているわけではないにもかかわらず、メテオとライフストリームの被害をあまり受けなかったことも幸いしていた。
もっとも、神羅の別荘とはいえ、黎明期のものだけあって、コスタやアイシクルの別荘と比べれば、規模はかなり小さく、設備も、豪華さも、比べ物にならないほどのものではあった。だが、きちんとライフラインが生きており、ルーファウスの生活をとりあえずは保障できる、というだけで、ツォンにとっては、大いにほっとすることだった。
ルーファウスが入った本棟は、ログハウス風の造りで、二階建てだった。
一階のエントランスを抜けると、すぐに談話室として使われていた広めの部屋がある。その左手に、食堂、その奥に、広いキッチン、談話室の奥に、廊下を挟んで、二部屋続きの客室、その向かい側に、客室が一つあった。二階には、いくつか客室があり、一番奥に、かなり広々とした、テラスが造られていた。
このテラスは、別荘の敷地の裏手に面しており、向かい側の急峻な崖と、そこを流れ落ちる、美しい数本の滝が、何にも遮られず、見ることができた。
本来ならば、ルーファウスの部屋は、警備の面からも、その2階の客室のどれかを使用するのが普通だったが、まだ、まったく症状は出ていないとはいえ、病に罹ったことは事実で、そのため、一階の二部屋続きの客室の手前部分を、いわば、社長室とし、その奥の部屋を、寝室として使うことに決め、さっそく、ルーファウスは、バスルームに姿を消したのだった。
「髪を切りたいな。だいぶ、伸びた」
ルーファウスは、前髪を軽く引っ張って言った。
「そうですね。美容師を呼びましょう」
「そういえば、ミッドガルの本宅は残っているのか?」
「建物は残っておりますが、家具、食器などは全て、持ち去られたと」
ルーファウスは苦笑した。
「まあ、そうだろうな。家の者たちは無事なのか?」
「住み込みだった者は全員、無事に、郊外の別宅に避難しているそうです。通いだった者たちの中には、行方不明者が数人いるとの報告を受けております」
「そうか……」
「重要書類などは、すべて、執事が管理しているそうですが、こちらに運びますか?」
「そうだな……持ってきてくれ。家のことも整理しないとならんな」
「はい」
ツォンは、タオルをとり、乾き具合を確かめるために、指先でルーファウスの髪に触れた。その柔らかい、手触りのいい感触に、思わず、指先をそのまま動かし、金色の美しい髪を指にからめた。
だが、そこで、ハッと指を止めた。自分のしたことに気づき、あわてて手を放す。
ルーファウスも、ツォンのしたことに気づいたはずだった。だが、何も言わなかった。
「……ドライヤーを取ってきます」
呟くように言い、バスルームに、ドライヤーを取りに行く。
戻ってくると、ルーファウスが、首筋に手を当てていた。
「首は、かなり痛みますか?」
「そうでもないが……上を見ようとすると、痛む」
ツォンは、ルーファウスの前に跪き、その右足をそっと自分の膝の上に載せると、骨折の治り具合を確かめるように、その踵に指先で触れた。
「右足も、まだ、痛むようですね」
「あまりいいとは言えないな。完全に治りきらないうちに………」
ふと、ルーファウスが口を閉ざす。
「……ひどい生活をさせられたからな」
頬に浮かんだ苦笑に、ツォンは、思わず俯いた。
カイルゲイトの屋敷が燃え落ちた後、手掛かりを求めて、屋敷跡を捜索したときに見た地下室を思い出す。地下室は、シェルターの役割ももっていたようで、コンクリートで作られており、あの火事でも燃え残っていたのだ。
それは、おぞましい部屋だった。真っ赤な壁と、得体のしれない絵、そして、部屋の壁に鎖でつながれた足枷と、ベッドの枠にとりつけられていた二つの手錠。そして、棚にしまわれていた、おぞましい性具の数々。
それだけで、カイルゲイトの異常な性癖は嫌というほどわかろうというものだった。そして、ベッドを覆っていた乱れたシーツと、そこに飛び散った血痕の跡、そして、明らかな情交の痕が、この部屋に監禁されていた人物が、どのような目にあっていたかを、はっきりと示していた。
「カイルゲイトの家を見たか」
静かなルーファウスの声に、ツォンは、思わず、口ごもった。
「……はい」
呟くように答える。
だが、ルーファウスの声は、どこまでも淡々としていた。
「地下室は、見たか?」
「……はい」
「なら、話は早い。あの部屋を捜索したか?」
「はい」
「動画や写真は出てきたか?」
ツォンは、首を振った。地下室に取り付けられたカメラを見つけたときに、その可能性には、いち早く気づいていた。それもあり、徹底的に捜索したが、なにも見つかっていなかった。
ルーファウスは、眉をひそめた。
「ないのは、おかしい。かなり撮られていたはずだ。もう一度探せ。用意周到な男だったからな。別の場所にあるのかもしれん。あとは、そうだな。キルミスターが持ち出したかもしれないな。キルミスターの家やラボも調べろ。あの男は、もともと、宝条の部下だったらしい。信用できん」
「はい」
「それから、動画が見つかったら、映ってる連中を確認しろ。連中にも、写真を撮られたからな、おそらく持っているだろう。探し出して処分しろ」
ツォンは、思わず、言葉を失い、ルーファウスを見つめた。淡々と言われた言葉。だが、その言葉の意味するところは、あまりにも、残酷な事実だ。
ツォンの顔を見やり、ルーファウスは、苦笑した。
「そんな顔をするな」
ツォンは、首をふり、ルーファウスの手をとった。
「……社長……」
「大したことではない」
ルーファウスの手を、自分の額につけ、俯く。
「あなたを一人にするのではなかった……」
血を吐くような思いでつぶやく。
ルーファウスの手が、ツォンの頭を、まるで子供にするかのように軽く叩いた。
「ツォン。あれは私の指示だ。おまえのせいではない。言ってみれば、自分のミスが招いたことだ」
ルーファウスは、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「それに、私は男だぞ。妊娠するわけでもなし、別に、どうということでもない」
ツォンは、力なく、首を振った。
「ああ、ただ、この件は、イリーナはもちろん、レノとルードには、知られるな。おまえ一人でやれ。さすがに、自分のレイプシーンを部下に見られるのは、ごめんだ」
ルーファウスは、軽く笑った。
ツォンは、ルーファウスの身体を抱きしめた。
「口惜しくて……たまりません。私は、あなたにそんなことをした連中は許しません」
ルーファウスは、くっと笑った。
「タークスのツォンを怒らせるとは……連中の運命は決まったな」
「キルミスターは?あの男には、なにもされませんでしたか?」
「ああ。あの男は、信用はできないが、少なくとも、変態ではなかったらしい」
ルーファウスは、ツォンの顔を見て、苦笑した。
「キルミスターはまだ、生かしておけよ。あの男には、この病気の治す方法を見つけさせなければならない。あの男が欲しいというものは、与えてやれ」
「……はい」
ツォンは、少し、身体を離し、ルーファウスを見つめた。そして、そっと顔を寄せ、口づける。
だが、唇が触れ合う寸前、強い力で肩をおしやられ、ツォンは、目を瞬いた。
「やめろ」
静かな、だが、断固とした声が飛んだ。
「社長…?」
ツォンはとまどい、ルーファウスを見つめた。
「やめておけ。うつるかもしれん」
ツォンは、首を振った。
「キルミスターは、うつらないと」
「まだ、確証はない」
「カームでも、ここでも、大勢の患者と接してきています。それでも、うつっていません。大丈夫です」
「空気感染はしない、ということかもしれないだろう。体液で感染する病など、いくらでもある」
そこで、ルーファウスは、なにかを思い出すように目を細めた。
「あれは、意思があるように、私の身体の中に入ってきた。首を這いあがってきたんだ。また、そういうことが起こらないとも限らない。危険は冒すな」
ツォンは、ルーファウスを抱きしめた。
「うつるのなら、それでも構いません」
「何をばかなことを言っている」
ルーファウスは、あきれたような声で言った。
「ばかなことではありません。あなたがいない間、わたしがどんな想いでいたか、わかりますか?この四カ月で、私は思い知った。あなたを喪うなど、耐えられない。あなたがいない世界など、意味がないんです。もし、あなたが私の前から消えてしまうなら……私の命など、あっても仕方がないんです」
「ばかもの!」
鋭い、鞭のような声が飛び、ツォンは、息をのんだ。
蒼く美しい瞳が、冴え冴えとした光を浮かべて、ツォンを睨みつけていた。
「ツォン、おまえの仕事はなんだ」
冷たい声が言った。
「……社長を、お守りすることです」
「そうだ。ならば、私を全力で守れ。それができないのなら、今すぐ、出ていけ」
ツォンは、ルーファウスの冷たい表情を見つめた。それは、かつて、カンパニーの社長室で、自分の2倍ほども年上の重役たちを相手に、命令を下し、その失態を叱責し、神羅カンパニーという巨大な組織を舵取りしてきた、若きリーダーの顔だった。
「おまえが病にかかったら、誰が私を守るんだ。馬鹿げた感傷にとらわれることは許さん」
ツォンは、俯いた。
ルーファウスは正しい。ここで、自分まで病に倒れれば、誰が、ルーファウスを支えるのか。そんなことは、ツォン自身がよくわかっていた。だが、理性で理解していることと、感情とは、また別の問題だ。
しばらくして、ルーファウスが、小さな吐息をつくのが聞えた。
「ツォン」
名を呼ばれ、顔を上げる。
ルーファウスは、かすかな苦笑を浮かべて、見下ろしていた。
「私も、すぐには、死なないだろう。キルミスターが言っていたが、肌に症状が出ないうちは、あまり病は進行しないそうだ。洞窟でも、ずっと生きていた者たちもいたんだ。洪水で、みんな死んでしまったがな。ジャッドなど、まだ生きているだろう?初期の患者は、一日二日で死んだものが多かったらしいが、最近では、そうでもないそうだ。それに、例の薬を飲んでいれば、症状の悪化も進行も食い止められるそうだ。ということは、私には、まだ時間が残されている、ということになる。そうではないか?」
「……はい」
「だから、その間に、キルミスターに研究を進めさせ、治療法を見つけさせればいい」
そこで、ふと、ルーファウスは、不敵に笑った。
「言っておくが、私は、まだ死ぬ気はないぞ」
「社長……」
ルーファウスは、ツォンを見つめた。その蒼い瞳に浮かぶ、優しい光に、ツォンは、思わずみとれた。
「だから、待て。そして、私を守れ」
ツォンは、ルーファウスの手を取り、その手の甲に唇を寄せた。伺いをたてるように、目だけをあげてルーファウスを見つめれば、苦笑を浮かべた顔が、小さくうなずいた。
そっと、ルーファウスの手に口づける。そして、呟いた。
「はい……命をかけてお守りします」
ルーファウスが、小さくうなずいた。

END

2011年6月15日 up

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