前夜

トントン、カンカンとなにやら、せわしない音が聞こえてくる。
その合間に、ガシャンという、ガラスとガラスをぶつけるような音。
しまいには、「主任ー!助けてください!!」というイリーナの声まで聞こえてきて、ルーファウスは思わず、くっと笑った。
ここは、カームの町はずれにある一軒家だ。
ミッドガルの病院で、ルーファウスが意識を取り戻したのは昨日のことだ。
そして、その夜のうちに、病院を出て、この家まで移動した。
病院はケガ人でごった返しており、微妙な立場に立たされた神羅のトップを置いておくには、危険すぎるという判断だった。だが、状況がどうなるかわからない状態で、あまりミッドガルから離れるのもよくないだろう、ということで、ここカームに神羅が所持していた家に避難してきたのだった。
ここは、普通の一軒家であり、このような場所にいること自体、ルーファウスにとっては、生まれて初めての経験だ。
一階の音が、すべて二階に筒抜けになる状態など、初めてのことで、ベッドの上にクッションを置き、そこに寄りかかったまま、ルーファウスは、聞くともなしに一階の音に耳を傾けていた。
階段部分が吹き抜けになっているせいもあるのか、さまざまな音が反響して響いてくる。
カンカンカンという金属質な音は、レノとルードが、扉や窓を補強している音だろう。
ガシャンというガラスとガラスをぶつける音は、イリーナが、キッチンでなにやらやっているらしい。
ふと、階段を上ってくる足音が聞え、耳を澄ます。
この、落ち着いた、規則正しい足音はツォンだ。
レノは、もっと軽々と駆け上がってくる。おそらく1段飛ばしでもしているのか、飛ぶような足音だ。イリーナも駆け上がってくるが、さすがに女の子で、その足音は幾分、小さく、軽やかだ。そしてルードは、さすがにいい体格だけあって、もっとどっしりとした足音がする。
階段をあがりきった足音は廊下を静かに歩き、ルーファウスのいる、一番奥の部屋の前で止まった。
ノックの音が響く。
「入れ」
ルーファウスが声をかけると、「失礼します」と声がし、黒い髪の男が姿を現した。
一体、いままで、何百回、いや、何千回、この「失礼します」を聞いてきたのだろう、と思う。
初めは、神羅本社ビルの副社長室、次は、地下の監禁部屋、そして、神羅本社ビル70階の社長室。そして、ここ、カーム。
自分の境遇はめまぐるしく変わったが、この男は変わらない。変わらずに、ずっとかたわらにいた、と今さらながら思う。
「お薬を、お持ちしました」
ツォンが、ミネラルウォーターとグラス、薬を載せたトレイを持ち、部屋に入ってくる。
昨日、病院を退院する時に、痛みどめを処方されていた。ルーファウスの、骨折とムチうちは、いい状態ではなく、いまも、あまり動かせる状態ではなかった。
「具合はいかがですか?」
ミネラルウォーターをグラスに注ぎ、それを差し出しながら、ツォンが聞く。
「まあ、こんなもんだろう」
薬を口に放り込み、水を飲む。
その時、下で、ガシャーンという派手な音が響き渡り、思わず、ルーファウスは手を止めた。
「申し訳ありません。下の音がよく聞えますね」
ツォンが、申し訳なさそうに言う。
「いや、別にかまわん。こういうのは初めてだが……悪くはない」
「は…?」
ツォンがいぶかしげな顔をする。
ルーファウスは、小さく笑った。
「本宅は、いつも、静かだった。どこに行っても」
ツォンが、はっとしたように口を閉ざす。
「だから、こういうのは……なんというか、興味深い」
「そうですか」
ツォンの唇が、ほんの少しだけ、微笑みの形に上がる。よく見ないとわからないほどだが、これが、この男の微笑みなのだ、とわかるようになって久しい。
無表情だと言われるツォンだが、その瞳や目元、口元を見れば、実は、その内心は、案外わかりやすい。
もっとも、出会った頃はそれすら、見せなかったと思う。
それとも、ルーファウスが、あの頃は気がつかなかっただけなのかもしれないが、いずれにしろ、この6年という歳月が、二人の間に、少しずつ絆を作り上げていったことは確かなことだった。
ルーファウスは、グラスをツォンに差し出した。
それを受け取り、ツォンは、思い悩むように、しばらく、ルーファウスを見つめた。
やがて、意を決したように、口を開いた。
「社……」
「護衛を残せ、という話なら、考えを変えるつもりはない」
だが、ピシリと言葉をさえぎられ、ツォンは口を閉ざした。
ルーファウスは、じろりとツォンを見上げた。
「どうせ、そのことだろう?だが、もうその話は終わりだ。何度も同じことを言わせるな」
「社長……」
「くどい。ここは、ミッドガルから離れている。それに、この家が神羅のものだと知る者はいない。私は安全だと何度言えば、わかる」
「危険はそれだけではありません。メテオが………」
「メテオが落ちれば、その時は、どうせ、世界が滅ぶ。どこにいたところで、同じだ」
ルーファウスはそっけなく言い、肩をすくめた。
ツォンが、俯く。
ツォンの言いたいことはよくわかっていた。もちろん、ルーファウスとて、同じ気持ちではあった。
だが、こんな状況でも、ルーファウスは、自分が神羅カンパニーの社長であることを、忘れることはできなかった。
ルーファウスは、俯いたツォンの顔を、横目でちらりと見ると、小さく息をついた。
「ツォン」
「はい」
「手を出せ」
「……は……?」
「手だ」
「手・・・ですか?」
うなずいたルーファウスに、ツォンは、いぶかしげに、右手をそっと差し出した。
ルーファウスは、その右手をぐいと掴み、自分の前に引き寄せた。
「社長?」
バランスを崩し、あわてて、ツォンが左手で身体を支える。
ルーファウスは、自分のベッドの端を叩いた。
「座れ」
「は・・・いえ、私は・・・」
ツォンは、とまどったような目を向けた。
ルーファウスが座るベッドに腰掛けるなど、部下としての立場からはあり得ない。
ルーファウスは、苦笑した。
「いいから、座れ」
「はい・・・」
ツォンが、とまどいながらもベッドに腰を下ろす。
ルーファウスは、ツォンの手を引き寄せると、そのワイシャツの袖口のボタンをはずした。
そして、袖をまくりあげる。
「社長?」
とまどうツォンにかまわず、あらわになったツォンの手首を口元に持っていくと、その内側の肌に口づけた。
「社長!」
ツォンが、あわてて、手を引こうとする。
「動くな、ばかもの。首が痛いだろう」
ルーファウスに睨まれ、動きを止める。
ルーファウスは、そのまま、ツォンの手首に唇を寄せ、強く吸い上げた。
何度か、吸い上げ、その周りを愛撫するように、唇でたどる。
「……社長……」
囁くように、ツォンが言う。
その声に、とまどいと驚きの他に、明らかな、情欲の響きがあることに気づき、ルーファウスは、目だけをあげてツォンの顔を見た。
「社長…」
ツォンが、幾分、切羽詰まったような声で囁いた。
「なんだ」
「……それ……以上は……」
そう言って、腕を引こうとする。
ルーファウスは、眉をあげると、もう一度、強く手首を吸い上げ、唇を放した。
ツォンの手首に目をやり、満足そうに笑う。
そこには、赤い痕がいくつか、まるで赤い花びらが散ったように、くっきりと印されていた。
目元をわずかに赤らめ、自分の手をみつめるツォンを見て、ルーファウスは、からかうような笑みを浮かべた。
「なんだ、感じたか?」
「社長……」
ツォンが困ったように呟く。
「……一応、私も男ですので……」
「勃ったか」
「社長…!」
ルーファウスは、くっと笑った。
そして、自分の右手を差し出す。
「おまえもやれ」
「……はい」
ツォンは、ルーファウスの手を取り、同じように手首を強く吸い上げた。
くっきりと印された赤い痕に、ルーファウスが小さく笑った。
「ここに、おまえがいると思っておく」
ツォンは、しばらくルーファウスを見つめたまま、何も言わなかった。
だが、やがて、そっと手を伸ばし、ルーファウスの身体を抱きしめた。怪我を気遣っているのだろう。ふわりと包み込むような抱きしめ方だった。  
「……社長のそばにいたいんです」
「わかっている」
「……世界が終わるなら、なおさら……」 
「まだ、世界が終ると、決まったわけではない」
「……はい」
「たとえ、世界が終ったとしても……どんなことになろうとも、私の元に帰ってこい」
「はい。必ず」
ルーファウスは、そっと腕をツォンの身体に回した。
「待っている」
「………はい」

END

2011年6月4日 up

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