賭け 3

出会ってから今までずっと、この少年を助け、守ってきた。
それが自分の仕事だった。
だから……あくまでも、仕事だったから、忠実に遂行してきただけだと思っていた。
だが、今、ツォンはようやく気づいていた。
仕事だったからではない。
自分が、この少年を守ってやりたかったのだ。
だからこそ、ルーファウスの意を組んで、ヴェルドに報告しなかった。
それだけではない。
ルーファウスが、楽しそうな様子を見せれば、なんともいえず温かい気持ちになったのではなかったか。
プレジデントの恫喝に、思わずうろたえながらも、必死で己を立て直そうとしたその姿に、心を痛めたのではなかったか。
今ならばわかる。
とっくに自分は、この少年にほだされ、心を傾けてしまっていたのだ。
ふと、ヴェルドはそれに気づいていたのかもしれない、と思う。
最初の一ヶ月が過ぎ、突然、ツォンは、それまでのルーファウス付き、とでもいう役回りから外された。
ルーファウスに専属の秘書が付き、それまでのようなサポートは必要ではなくなったというのが理由だった。
そして、ルーファウスの警護は、他のVIPの警護と同じように、タークス内で交替で受け持つようになった。
あの時は、不思議にも思わなかったが、ヴェルドは、ツォンがルーファウスに心を傾け始めていることに、気づいていたのかもしれない。
そして、ルーファウスから離したのかもしれなかった。
(なぜ、今になって、またこんなことに……)
苦く思う。
(……十年だ)
そう、十年。
必死の想いで、自分の弱い部分をそぎ落としてきたつもりだった。
(……『裏切り者……っ…』)
何度も自分に向けられた刃のような言葉。
それすら、表情も変えずに受け止められるほどに、そして、そう叫んだ者に容赦なく銃を向けられるほどになったはずだった。
初めは意識して作っていた無表情も、いつの間にか、自分の本当の貌になっていたほどに、感情を捨て去っていたはずだった。
(それなのに……)
結局、自分は、何一つ変わっていなかったのだ。
自分の本質は消え失せたのではなかった。
単に、心の奥深くに封じ込められ、ほとんど表に出てくることはなくなっていただけだったのだ。
だが、もう、気づいてしまったものから目を背けることは不可能だった。
思わず、また、苦い笑みが頬に浮かんだ。

ツォンは、深い吐息をつくと、小さくうなずいた。
「では……私も、一個人としてお話します」
ルーファウスの形のいい眉が、わずかに上がった。
「ですが、タークスと言いましても、メンバーそれぞれ、タークスになった経緯が違います。それに、皆、過去の話はしませんので、他のメンバーについては私はわかりません」
ルーファウスは、小さくうなずいた。
「ですから……副社長のお聞きになりたいことの答えになるかどうかはわかりませんが……よろしいですか?」
「もちろん、かまわない」
ルーファウスは、椅子に背を預けると足を組んだ。
たったそれだけのことなのに、その姿は、いかにも支配者然とした雰囲気をかもし出しており、やはり、この少年が生れ落ちた瞬間から、神羅の、いや世界の頂点に立つべく育てられてきたのだとわかる。
だが、そのためにこの少年が歩いてきた道は、子供が当然の権利として持っているものを全て排除した、冷たく、そして孤独なものだ。
「……私がタークスに入ったのは、個人的な理由です。スカウトがきっかけですが、カンパニーと私の利害が一致した、とでも言いましょうか。ですから、はじめのうちは、正直に申し上げれば、カンパニーに忠誠を誓ってはおりましたが、それほどの思い入れがあったわけではありません」
ルーファウスが、小さくうなずく。
「ですが……」
ツォンは、口を閉じ、言葉を探した。
「今は……そうですね、カンパニーとタークスは、私にとっては、よりどころ、とでもいったらいいでしょうか」
「よりどころ?」
ルーファウスが聞き返し、ツォンは小さくうなずいた。
「はい」
ツォンは、目をテーブルの上の見慣れた愛器に落とした。
「私には、家族がおりません。両親はすでに他界しておりますし、兄弟もおりません。それに、こういう仕事をしていれば、自分で家庭を築くこともなかなか難しい。いつ死ぬかわかりませんから。そして、故郷もありません」
ツォンは、いったん口を閉じた。
しんとした静寂が落ちる。
ルーファウスは、何も言わず、ただ黙ってツォンの言葉を待っている。
その静かな空気は、不思議と心地いいもので、ツォンは、その心地よさに背を押されるように、また口を開いた。
「ですが人間は、一人で生きられるものではありません。守るものであったり、帰る場所であったり、そういうものが必要なんでしょう。……少なくとも私には必要でした。タークスとして、さまざまな任務をこなしていくうちに、いつの間にか、カンパニーは、私にとって、何をおいても守るべきものに、そして、タークスは帰る場所になっていました」
顔をあげ、ルーファウスを見つめる。
その青い瞳は、相変わらず静かに、ツォンに向けられたままだ。
「タークスのメンバーには、私のように、家族も、帰る故郷もない者が多いのではないかと思います。私が知る殉職したメンバーのほとんどは、遺品を受け取る家族、親族の一人さえおりませんでした。そして、そういう者たちのほとんどがスカウトでタークスに入っています」
「……つまり……」
ルーファウスが静かに口を開いた。
「……そういう者をスカウトしてタークスに入れている、ということか?」
ツォンは、小さくうなずいた。
「私自身はスカウトに関わったことはありませんので、確かなことはわかりませんが……その可能性はあるかと思います。表向き、タークスになるには試験を通らないとなりませんが、その前段階にスカウトがあることはあまり知られていません。むろん、それだけが条件とは思いません。タークスの中にも、家族がいるものもおりますし、神羅軍事学校からタークスを自分で志望して試験を受け、合格した者もおります。ただ……係累が少ない者の方が、タークスとしては使いやすいのは事実だと思います。情報漏洩の可能性は、少しでも少ないほうがいいですし、それに、忠誠の対象は少なければ少ない方が都合がいい。他に守るべきものがあった場合、そして、カンパニーに忠誠を尽くすことと、大切なものを守ることが一致しなかった場合……そこには迷いが生じるでしょう。それは、カンパニーにとっては不利益です」
ルーファウスがうなずく。
ツォンは、いったん口をきり、小さく吐息をついた。
「そして……タークスを抜けるときは死ぬとき、という言葉ですが……恐ろしい言葉のように聞こえるかもしれませんが」
ツォンは、小さく笑った。
「……私は、むしろ、それが嬉しいとさえ思うんです」
「嬉しい?」
眉を寄せたルーファウスに、ツォンはうなずいた。
「はい。もちろん、この言葉は、裏切り者には死を、という意味です。脱退は許されない、という意味でもあります。ですが、読み方を変えれば、いつかタークスとして死ぬ、という意味でもあるんです」
「それが嬉しいのか?」
「はい」
そして、わずかに視線を落とした。
「私も……死んだとしても、それを知らせて欲しいと思う相手すらおりません。ですが、やはり……誰にも知られず、誰の記憶にも残らず死んでいく、というのは恐ろしいものです。ですから……タークスとして死ねるなら、それはむしろ、嬉しいことですらあります。いつか、任務の中で死ねるなら、そしてその死が、仲間たちの、なにかの役に立った結果なのであれば……」
ふと、テーブルにおいた両手に目をやり、ツォンは苦い笑みを浮かべた。
「……少なくとも、私が生きてきた意味があると思えますから」
しばらく、ルーファウスは何も言わなかった。
こんなことを話したことは、今まで一度もない。
正直に言えば、ここまで話すつもりもなかった。
だが気づけば、この年若い上司に、言わなくてもいいことまで話していた。
このことが、もしかしたら、自分の命取りになるのかもしれない。
だが不思議と後悔はなかった。
やがて、静かな声が言った。
「そうか。よくわかった」
ツォンは、小さくうなずいた。
「……コーヒーでも淹れましょうか」
静かに言って、席を立つ。
その時だった。
不意に、鋭い電子音が、静けさを破り、鳴り響いた。
自分の携帯電話が鳴っていることに気づく。
ポケットから取り出し、画面を見れば、発信者の名が浮かび上がっていた。
ヴェルドだった。
ツォンは、一瞬、ルーファウスに目をやり、すぐに応答した。
「はい、ツォンです」
『今、どこだ』
前置きも何もなく、タークスの主任ヴェルドは言った。
「自宅ですが。なにかありましたか」
『副社長の行方がわからない』
いつもどおりの淡々とした口調だった。
『SPがまかれたそうだ。おそらく事件性はない……が、この時間だ。万が一のことがあっては困る。すぐに探せ』
「了解。場所はどこですか」
一瞬、携帯の向こうで間があった。
ツォンは、ひやりとする。
ヴェルドは恐ろしく勘のいい男だ。
自分の口調から、なにかを感じ取られたかもしれなかった。
だが、次のヴェルドの言葉は、それまでと変わらぬ淡々としたものだった。
『七番街だそうだが、もう2時間近くも前のことだ。……とりあえず、探せ』
そのまま、ツォンの返事を待たずに電話が切られる。
もしかしたら、なにかを感づかれたかもしれないが、それを確かめるすべはない。
「ヴェルドか?」
笑いを含んだ声に、ツォンは我に返る。
「はい。探せ、と」
ルーファウスは、フンと鼻で嗤った。
そして、身軽に立ち上がった。
「…どちらへ?」
ルーファウスは肩をすくめた。
「どこか、口裏を合わせてくれそうな友人のところにでも行く。ヴェルドに言わないでくれて礼を言う」
「では、お送りします」
だがルーファウスは軽く手を振った。
「いい。タクシーを拾う。そんなことがバレたらおまえ、殺されるぞ」
「ですが、こんな時間にお一人でタクシーに乗るなど、危険すぎます。少しお待ちください。車を取ってきます」
口を開きかけたルーファウスを、手で制し、ツォンは続けた。
「大丈夫です、私個人の車を使います」
ルーファウスは、一瞬、口を閉ざした。
「だが、カンパニーに登録されているだろう?」
ツォンは、小さく笑った。
「いえ、これは、完全な私の個人用の車です。誰も……主任でさえ、ご存知ありません」
ルーファウスは驚いたように目を見張った。
そして、珍しくためらいを残した口調で続けた。
「だが、ツォン。今、私はそれを知ったぞ」
「はい」
間髪いれず答えたツォンに、ルーファウスは眉を寄せた。
ツォンは、唇に小さな笑みを浮かべた。
「私も、賭けることにします」
一瞬、ルーファウスの眉がさらに寄る。だが、すぐに、ツォンの意を汲んだのだろう。
その頬に、ゆるやかに笑みが浮かんだ。
それは、ルーファウスがよく浮かべる、皮肉めいた笑みでも苦笑でもなかった。
あでやかで、きれいな笑みだった。
「では……頼む」
ルーファウスが短く言う。
ヴェルドの権限を持ってすれば、調べられないことなどない。
だが、ツォンもそのヴェルドの右腕とも目されるエージェントだ。
でき得る限りヴェルドの目をごまかし、ルーファウスを連れ出してやりたいと思った。

□■□■□

「そこでいい」
ルーファウスが言ったのは、いかにも高級そうなマンションの裏手だった。
ルーファウスは「友人」と言っていたが、おそらく、愛人の一人が住む家、あるいはセカンドハウスなのだろう。
上流階級の人々のモラル、ことそれが性に関するモラルが、普通とはかなり逸脱したものであることは、こういう仕事をしていれば、嫌でもわかることだ。
弱冠十五才のルーファウスが、すでに何人も愛人がいることも、しかもそのほとんどが夫のいる既婚夫人であったり、あるいは名の通った高級娼婦であることも、上流階級のモラルからすれば、別段、不思議なことではない。
もっとも、ルーファウスの家柄や容姿が、さらにそれに拍車をかけていたことは否めないにしても。
「はい」
ツォンは車を止め、いつものように、運転席から降り、後部座席のドアを開けようとした。
だが
「いい。自分で出る」
ルーファウスは言い、すばやく自分でドアを開け、車から降りた。
「助かった。礼を言う」
かすかな笑みを唇に浮かべ、ドアを閉める。
そのまま、車に背を向け歩き出そうとし、だが、そこでルーファウスは足を止めた。
不意に振り向き、運転席の窓を叩く。
ツォンは、あわてて、窓を開いた。
「どうなさいました」
ルーファウスは、少し迷うように一瞬、口を閉じた。
だが、わずかに上体をかがめ、顔を近づけてくる。
そして囁くように言った。
「私はおまえが嫌いではない。だから、おまえが死んだら、寂しいと思うだろう」
形のよい唇から出た言葉に、ツォンは、目を瞬いた。
一瞬、なんのことを言われているかわからず、すぐ近くにあるきれいな貌を見つめる。
ルーファウスは、ツォンに自分の意が伝わっていないことに気づいたのだろう。
もう一度、口を開き、言葉を探すように、眉を寄せた。
だが、言葉が見つからなかったのか、軽く首を振った。
「……それを覚えておけ」
短く言うと、踵を返す。
そのまま、姿勢のいい後姿が、慣れた様子でマンションに入っていくのを見送っていたツォンは、今はそのような場合ではないことを思い出し、あわてて、車を発進させた。
ミッドガルの光の渦の中を、七番街に向かって車を走らせる。
ルーファウスが言おうとしたことの意味を理解したのは、それから5分ほども車を走らせた後のことだった。

車を停め、大きく吐息をつく。
そして、自分の鈍感さに、思わず宙を仰いだ。
ルーファウスが巷で言われているように、冷酷でも傲慢でもないことは、ツォンにも、もうよくわかっていた。
むしろ人一倍、人の心の動きには敏感な少年だ。
だがそれは、プレジデントも同じだった。
人の心の動きを読めなければ、人を従わせることも、そして、これだけの巨大なカンパニーの舵をとることもできないからだ。
だが、プレジデントは、その、人の心の動きを単なる材料として見る。
プレジデントにとって、他者の心の動きは、交渉をし、懐柔し、時には脅すための材料にしか過ぎないのだ。
だが今、ルーファウスは、ツォンの心を、自分の心で捉え、反応した。
人としてはそれは、正しいあり方だろう。
だが、巨大カンパニーの支配者となったとき、その心は、おそらくルーファウスを苦しめる。
そのことに気づいた時、ルーファウスは、やはり、プレジデントのように、あたたかく優しい心を捨て去るのだろうか。
たとえそうだとしても。
そして、いずれ、今、ツォンに言った言葉など、ルーファウスが忘れ去ったとしても。
………それでも、自分は、ルーファウスの言葉をずっと覚えているだろう。
そして、死ぬときに、思い出すだろう。
それだけで十分だ、と思った。

車のエンジンを切り、ドアを開けて外に出る。
裏道を選んで通って来たため、辺りには車も人もいない。
ツォンは、服の上から、そっと22口径に触れた。
昔のことを話したせいだろうか。
遠い過去の記憶がよみがえる。
父が書斎で銃の手入れをしていたことがあった。
ツォンはまだ幼く、書斎に入ってきた息子に気づいた父親は、すぐにその銃を見えないところに仕舞ってしまった。
「お父さん、さっきのなに?」
父親の膝によじ登って聞く。
「なんでもない。私の大切なものだ」
かわそうとした父だったが、
「大切なものって?」
食い下がったツォンに、父親は根負けした。
そして、苦笑すると、仕舞った銃をもう一度出してきた。
そして、見るだけだよ、絶対に触ってはいけないよ、といいながら見せてくれたのだ。
それは黒光りのするもので、見ただけで、なにか恐ろしい気持ちになったのを覚えている。
父親の膝の上にすわり、ツォンは、じっとその拳銃を見つめた。
そして、父に聞いたのだ。
「なぜ、触ってはだめなの」
「まだ君には早い」
「いつなら、いいの?6歳?7歳?」
父親は、少し考え、そして微笑んだ。
「君に、自分の命に代えても、守りたいものができたら」
そのときは、もちろん、その言葉の意味などわからなかった。
だが、その言葉は、そのときの情景とともに、ツォンの記憶に深く刻まれた。
命に代えても守りたいもの。
おそらく父が言ったのは、愛する女性や愛する子供、の意味だろう。
父は 学者肌で穏やかな人だった。
代々、ウータイ北部の一地方の地主の家系で、地元の名士のような立場だった。
決して争いを好む人ではなかった。
その父が、なぜ、銃などを持っていたか。
それは、神羅との対立が表面化し、不穏な情勢の中で、ツォンとツォンの母を、自分の命に代えても守りたい、と思ったからだろう。
(愛する女性……愛する子供……)
それは、ツォンにとってはあまりにも非現実的な言葉だ。
結婚など自分の未来にはあり得なかったし、ましてや自分の子供など、想像すらできないことだった。
誰かを愛する、ということすら、あまりにも自分からはかけ離れたことだった。
だが守りたいもの、ならばある。
ルーファウスに話したように、タークスの仲間たちであり、カンパニーであり……。
そして、まっすぐに見つめてくる美しく澄んだ、青い瞳を持ったあの少年も。

ツォンは、夜の空を見上げた。
遠くに、魔晄炉から噴出す、緑の輝きが見える。
あの緑の輝きで、全てを支配しつつある神羅。
だが、決して安定した力を持ったとは言いがたいのが実情だ。
いずれそれを引き継いで行かなくてはならないルーファウスの進む道は、おそらく平坦ではない。
神羅は敵が多い。
それに、彼の行く手を阻むのは、外部の敵だけではない。
おそらく、神羅内部にも敵はいるだろう。
そんな茨の道を、あの少年は、まっすぐに背筋を伸ばし、たった一人で歩いて行かなくてはならないのだ。
あの、まだあたたかさと優しさを残した心を持って。

ツォンは、もう一度、そっと22口径に触れた。
一介の部下にすぎない自分にできることなど、たかが知れている。
だが、自分の力が及ぶ限り守ってやりたい、と。
彼が少しでも笑える時があるように、できる限りのことはしてやりたいと、そう、思った。

END

2014年9月22日  up

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