Live on the Edge 1

急ブレーキをかけて止まった車から飛び降り、雨あがりの、じっとりとした風が吹く、岩だらけの海岸を走る。
前を走るレノが、岩場の奥に口を開けている洞窟の入り口付近で、キルミスターの首を絞めている男に飛びかかるのが見える。
「遅い!」
反響して響いてきた、張りのある、懐かしい声を聞いた瞬間、ツォンは、安堵のあまり、大きく息をついた。
「悪かったんだぞ、と」
レノが、男の首を腕で固めたまま言う。ツォンは、その横に走り寄り、洞窟に入ってすぐの辺りで、下に向かって落ち込んでいる竪穴を覗きこんだ。
まず、金色の髪が、そして白い服が見えた。
「社長!」
叫んで、手を伸ばす。
梯子につかまって、上を見上げたルーファウスの唇が、わずかに動く。あまり、心情を面に出さない上司の顔に、明らかな安堵の色が浮かんでいることに気づき、ツォンは、胸を締めつけられるような想いがした。
怪我をして動けなかった、ルーファウスの行方がわからなくなってから、四か月が過ぎていた。どれほど心配し、どれほど絶望にかられながら、その行方を捜したことか。あの時、カームの家に、ルーファウス一人をおいて、ミッドガルへ行ったことを後悔しなかった日はなかった。
「社長、手を」
少しでも早く、大切なその人を、傍らに取り戻したくて、手を伸ばす。
ルーファウスが梯子の最後の一段を登り切り、右手を梯子からはずし、ツォンに差し出した。だが、その手が触れあう寸前、ルーファウスの手がぴくりと震え、梯子に戻される。
「社長?」
そして、梯子を持ちかえ、左手がツォンに差し出された。
その手を掴み、ルーファウスを引っ張りあげる。その身体の恐ろしいほどの軽さに、ツォンは眉を寄せた。
だが、ルーファウスは疲れた様子も見せずに、身軽に竪穴から抜け出すと、居並ぶ面々に視線を投げた。
「社長!ご無事でよかったですー!」
「無事でよかったんだぞ、と」
後ろから走ってきたイリーナが泣き笑いを浮かべながら叫び、レノが笑い、ルードが頭を下げるのを見やり、ツォンに目を向ける。
以前と変わらぬ、真っ青で美しい瞳が、まっすぐにツォンを見つめた。
「遅くなりまして、申し訳ありません」
深く頭を下げたツォンに軽くうなずく。
「ごくろう」
その、いくぶんそっけない言い方も、軽く顎を引くような、うなずき方も、以前とまったく変わらない。というより、まるで、自分たちが社長室にルーファウスを迎えに行っただけであるかのような、平然としたその態度に、ツォンは思わず、小さな笑みを浮かべた。
だが、頬がこけ、目の下にはくっきりと隅ができ、かなり憔悴していることがひと目でわかる。それに、美しい金髪も、透けるようだった白い肌も、汚れが目立つ。白いスーツも、薄汚れ、すでに白いとは言えなくなっていることに気づき、それだけでも、この四カ月、ルーファウスがどんな生活を強いられていたかがわかろうというものだった。
しかも、そのスーツはずぶ濡れになっていた。海岸沿いでもあり、海から吹きつけてくる風は、かなり冷たく、強い。
「とりあえず、車に行きましょう」
ルーファウスの身体を抱きかかえるようにして、車に向かう。少し、ルーファウスが右足を引きずるようにしているのに、気づき、歩くスピードを緩めた。
「イリーナ、キルミスターのトラックを運転しろ。レノは車だ」
「了解だぞ、と」
「了解!」
「トラックにその男を乗せろ。ルード、トラックに乗って、その男を見張れ」
「了解」
「レノ、助手席にキルミスター医師を。後ろに社長と私だ」
「了解だぞ、と」
歩きながら指示を飛ばし、自分の声が弾んでいることに、ひそかに苦笑する。そして、タークスの三人の動きもまた、弾むようなことに気づき、小さく笑った。
イリーナは、さすがに女の子だけあって、感情を隠さずに露わにするが、ルードはもちろん、レノも、実際には、本心はあまり表に出さない。だが、彼らも、ルーファウスと無事に会えたことが、心底、うれしいのだ。それが、彼らの動きからにじみ出ていた。
ルーファウスには、昔から、そうした、人を惹きつける力があった。これは、人の上に立つ者にとっては必須の、そして最も重要な力だったが、ルーファウス本人は、そのことがあまりわかっていないようで、自分に向けられる好意に気づかずにいることが多かった。だが、そこがまた、周りにいる者にとっては、好ましい点でもあり、実際のところ、傲慢だの、我儘だの、えげつないだのと、悪しざまに言われている割には、近いところにいる者たちには愛されていたのである。ツォンなどは、もちろん、その魅力にやられた最たるもので、再び、また、ルーファウスを中心に動けることに、心の底からこみあげてきた喜びをかみしめていた。
レノが意識を失ったままのキルミスターを、引きずりあげるようにして、助手席に乗せる。その後部座席に、ツォンは、ルーファウスを抱きかかえるようにして、乗り込み、車内のヒーターのダイヤルを最大にした。
「社長。上だけでも服を脱いでください。濡れたものを脱がないと、風邪をひきます」
ツォンは、自分のスーツの上着を脱ぎながら言った。
「ああ、そうだな」
ルーファウスが、白いスーツの上着と、その下に着ていたロング丈の白いベストコートを脱ぐ。そして、黒のタートルネックのインナーも脱いだ。
露わになったルーファウスの上半身を目にし、思わず、ツォンは息をのんだ。もともと、余分な肉など少しもない、どちらかといえば男としては華奢とさえいえる身体つきをしてはいたが、それでも、銃の訓練はしていたし、それなりに筋肉はついていたはずだった。だが、今、目の前にある身体は、鎖骨もあばら骨もはっきりと目立つ、あまりにも肉の落ちた、痛々しいものだった。だが、すぐに、ツォンは、脱いだ自分の上着を、ルーファウスの身体に着せかけた。
「着替えもタオルもありませんので、とりあえず、これで我慢してください」
もともと、ツォンの方が、ルーファウスより、横幅も上背もある。着せかけたスーツのジャケットで、ルーファウスの上半身をしっかりと包み込み、抱きかかえた。
「レノ、出せ。急げ」
「了解だぞ、と」
運転席に回ったレノが、トラックの運転席に座ったイリーナに合図を送り、車を出す。勢いよく走りだした車は、かなりのスピードで、海岸から遠ざかりはじめた。
「どこへ行く?」
かすかに震える声でルーファウスが聞いた。
「クリフ・リゾートです」
ルーファウスの眉が寄る。記憶をたどったのだろう。
「昔のうちの保養地か?」
「はい。キルミスターの指示で、とりあえずそこに」
「そうか」
ルーファウスは、軽くうなずいた。
余計なことはなにも言わない上司が、今はありがたかった。いずれ、様々なことを報告し、指示を仰がなくてはならないことが山積みだったが、今は、とりあえず、ルーファウスを安全な場所で休ませたかった。
ヒーターが効いてきて、車内が温まり、次第に、腕の中のルーファウスの身体の震えも収まりつつあった。
ほっと息をつき、改めて、腕の中にいる、その懐かしい姿に目を向ける。四か月、必死に探しまわった大切な上司が、今、自分の腕の中にいることが、まだ信じられなかった。だが、ふと、自分の上着を掴むその右手の手の甲に、黒い汚れようなものがついているのが見え、眉を寄せた。
ツォンは、そっとルーファウスの右手をとった。
はっとしたように、その手が、強く引かれる。だが、ツォンは放さなかった。
ルーファウスの白い肌についている黒い汚れ。それは、見覚えのあるものだった。クリフリゾートに集められた人々のほとんどの肌にあった、黒い染みに似ている。ただ、その場所から滲みだしたようではなく、拭ったような汚れであることだけが違っていた。
ツォンは、眉を寄せ、ルーファウスを見つめた。
「社長……これは」
触ろうと伸ばした手を、軽く払いのけられる。
「触るな。うつると困る」
ツォンは、呆然とルーファウスを見つめた。
ルーファウスは、苦笑を浮かべた。
「これがなにか知っているようだな」
「はい……」
「どこで見た?」
「ミッドガルで……大勢がこの病で……」
先を続けられず、言葉を喪う。
だが、ルーファウスは、淡々とうなずいた。
「そうか。洞窟でも、次々と死んでいった」
「社長……まさか……」
思わず、声が震えた。
ルーファウスは、小さくうなずいた。
「ああ、この病に罹ったらしい」
ツォンは、絶句して、ルーファウスの顔を見つめた。ショックのあまり、声も出なかった。
だが、ルーファウスの顔には、なんの表情も浮かんでいない。そのあまりの平静さに、一瞬、今、なんの話をしているのかを、見失いそうになる。
何度か、口を開き、だが、結局、何も言えず、口を閉じる。ルーファウスは、何も言わず、そんなツォンの様子をじっと見つめていた。まるで、落ち着くのを待っているかのようなその態度に、ようやく、ツォンは、必死で自分を立て直した。だが、ようやく出せた声は、酷く掠れ、囁くようなものだった。
「なぜ、そんなことに………」
だが、ルーファウスは、あくまでも淡々としていた。
「おそらく、黒い水だ。洞窟の中で水に浮いているときに、黒い水が、近寄ってきた。ただの水じゃない。まるで……」
そこでふと口を閉ざし、言葉を探すように、宙に目を向ける。
「まるで、生きているような水だった。黒い、どろりとした水だ。私の首を這いあがってきた」
そこで、なにかを思い起こすように、眉を寄せる。
「名を……呼ばれたような気がした……」
「お名前を……」
「よく……わからん」
ルーファウスは肩をすくめた。
「だが……そのあと、その黒い水が口や鼻から入ってきた。それで気を失った。そのあと、梯子を上っている時に、全身に痛みが走って、これを吐いた」
そう言うと、右手をあげてみせた。
「おそらく、あの黒い水が体に入ったことで、この病にかかったのだろうと思う」
まるで、ただ、風邪を引いた、とでもいうかのような口調で、そう締めくくる。
ルーファウスの、感情を出さない、冷静で、そっけなささえ感じさせる話し方はいつものことだった。
だが、この病は、ツォンの認識では死の病だ。ミッドガルでもカームでも、黒い粘液をべっとりと身体から滲ませ、こと切れている死体をいくつも見た。やっと取り戻したと思った、大切な、何よりも大切なこの上司が、そんな恐ろしい死の病にかかっている、などということは、ツォンにとっては受け入れられぬ、残酷な事実だった。
「……そんな……」
ツォンは、首を振った。
そして、レノがいることも忘れて、ルーファウスの身体を強く抱きしめた。
「……申し訳ありません…」
呟くように言い、唇を噛む。
「何を謝る?」
だが、ルーファウスは、怪訝そうな声で言った。
「我々が、もっと早く、お助けしていれば、こんなことにはなりませんでした」
ルーファウスは首を振った。
「おまえたちのせいではない」
「あと一週間、いえ、一日でも早ければ……!」
「今さら、そんなことを言ったところで、どうしようもないだろう。とにかく、これは、おまえたちのせいではない」
あきれたように言い、ルーファウスは、ツォンの腕から抜け出した。そして、話は終わり、とでも言うように、足を組み、シートにもたれかかる。
「少し寝る。着いたら起こしてくれ」
そう言うなり、ルーファウスは、目を閉じた。
ツォンは、ショックと後悔とに打ちのめされ、呆然と、上司の姿を見つめた。
ライフストリームの翌日、六番街スラムのウォールマーケットで死んでいた男を思い出す。その後も、ミッドガルに行くたびに、あちこちで、うずくまった人々を見た。中にはすでに死んでいる者もいた。それを黙々と、人々が運び出し、どこかへと運んでいく。どこに運ぶのかは見ていないが、おそらく、ミッドガルのどこかに、埋葬地を作ってあったのだろう。
そして、キルミスターの指示でクリフリゾートに集めた人々もみな、この病の患者だった。症状は様々だったが、みな一様に、皮膚から黒い粘り気のある粘液を滲みださせ、時折、苦しげに身体を震わせ、口からも、黒い粘液を吐いていた。
それは、恐ろしい光景だった。
ツォンは、二十歳の時に、スカウトされタークスに入った。それからすでに十年以上の月日が流れている。その間、様々な仕事をこなしてきた。若い頃は特に、この外見から、ウータイへの潜入や、裏工作など、ウータイ戦役へとつながる、決してきれいとは言い難い任務が多く、凄惨な光景も山ほど見てきた。それだけではない。ツォン自ら、残酷なこともやってきた。だが、そのツォンにしても、この黒い病は、恐ろしかった。
原因がわからないことも、そして、治療法がいまのところないことも、そして、致死率が異常に高いことも、もちろん、その恐ろしさの一因だ。だが、この病の真の恐ろしさは、それではなかった。
激痛にのたうち回り、苦しみ、最後には、黒い粘液を己の身体から、まきちらしながら死ぬ。これほど、恐ろしい死に方があるだろうか。それは、人間の尊厳を踏みにじるような最期だ。そこに、この病が、人に根源的な恐怖を与える原因があるのだった。
(なぜ、この人が……)
ツォンは、隣で、いつの間にか、寝息をたて始めた、静かな寝顔を見つめた。
ルーファウスが、見た目の繊細さとは裏腹に、かなり豪胆な性格をしていることは、よく知っていた。自分が死の病にかかったというのに、平然としていることももちろん、こうして平気で眠りにつくなど、普通では考えられない、と思う。だが、もちろん、ルーファウスとて、心の中では、思うところはあるだろう。死の病にかかって、一番、口惜しく、恐ろしいのは、ルーファウス本人であるはずだった。
だが、それを面に出すことは決してないし、そしてまた、そのことに必要以上に捕らわれることも、自分に許さない。誇り高い、徹底したリアリスト、それがルーファウスだった。というよりも、この若き神羅の後継者は、そうあろうと、常に自分を律し続けてきたのだった。それを、ツォンほどよく知っている者はいなかった。
まだ若く、これほど、才能と美貌に恵まれ、これからの世界の復興に必要なこの人が、なぜ、こんな病にかからなくてはならないのか、と思う。
この病は、ライフストリームがきっかけで、世に蔓延し始めたことは、もうはっきりしていた。ライフストリームは、つまるところ、星の命だ。そうであれば、この死の病も、また、星の意思であることになるのだろうか。
(おまえは、そんなに、人が憎いのか。そんなに、神羅が憎いのか………なぜ、この人を連れていこうとする?)
ツォンは、窓の外に広がる、荒涼とした大地を見ながら、心の中でつぶやいた。
もちろん、そんなことではないのはわかっていた。星にとっては、人の命も、人の想いも、取るに足らない、関わりのないことなのだ。
だが、それでも、ツォンは、心から、星を恨んだ。
そして、何よりも大切なものを守れなかった自分自身を、激しく憎んだ。
ふと痛みを感じて、視線を落とす。いつの間にか硬く握りしめていた右手に、血がにじんでいた。爪が手の平に食い込み、そこから血が流れ出ているのだった。だが、ツォンは、力を緩めようともせず、そのまま、血を滴らせる右手を見つめ続けた。

2011年6月14日 up

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