血の匂いがした――。
といっても、もちろん、その男の身体に実際に血がついていたということではない。
腰まで届くような長い銀色の髪、黒と銀の鎧、そして、背中に背負う禍々しい武器。
ちらりとこちらを見下ろした、恐ろしいほど澄んだ青い瞳。
そのすべてから、血なまぐさい、オーラが立ち上っているような気がした。
「副社長」
そっと囁かれて、ルーファウスは我に返った。
自分が、すれ違った男を、振り返って見つめていたことに気づく。
「セフィロスですよ」
傍らに付き添った、タークスが丁寧に言うのに、
「知っている」
ルーファウスはそっけなく答えた。
そう、知っている。
セフィロスのことを知らぬ者など、この世界にいないだろう。
最強のソルジャー 1st。
英雄セフィロス。
だが、写真やテレビで見る姿と実物とがこれほど違うとは、思ってもみなかった。
写真でみるセフィロスは、華やかで強い、言ってみればヒーローだ。
だが、いますれ違った男は、ヒーローなどではなかった。
もっと得体のしれない、何か、だった。
「社長がお待ちですよ」
タークスに控えめに促され、ルーファウスは踵を返す。
だが、ふと、視線を感じて、もう一度振り返った。
英雄が廊下の突き当たりを曲がるところで、足を止めていた。
その青い瞳が、ルーファウスを見つめている。
その瞬間、ルーファウスは、身体をぞくりと震わせた。
それは、異なるものへの畏怖だったのか……それとも、これから起こることへの予感だったのか……もちろん、ルーファウスにもわからなかった。
□■□■□■□
プレジデント神羅は上機嫌だった。
「ルーファウス、これで晴れておまえは副社長だ。大学院に通いながらというのは、なかなか大変だとは思うが、早くから、実際の企業のことを勉強しておいた方がいい。経営学を修めたとはいっても、現実と学問は違う。がんばれよ」
「はい、社長」
ルーファウスは、おとなしく言った。
「うむ」
ルーファウスのお行儀のいい返事にさらに、機嫌をよくしたらしいプレジデントの顔がほころぶ。
だが、ルーファウスはもちろんわかっていた。
父親のこの態度は、居並ぶ重役たちに見せるための演技にすぎない。
息子を溺愛し、その息子が思い通りに育っていることに満足している、大企業、神羅カンパニーを束ねる父親。
そして、弱冠15歳にして大学を卒業し、副社長に就任した出来のいい息子、父親を尊敬し、その仕事の跡を継ぐことになんの疑問も持っていない素直な一人息子を演じているだけだ。
(笑えるな…)
ルーファウスは、心の中でつぶやく。
この中の何人が、この薄っぺらい猿芝居を見抜いていることか。
(重役どもは馬鹿ぞろいだからな、気づいてもいないだろう)
心の中で意地悪く考える。
「慣れるまで、このツォンをおまえの側におく。まだ若いがタークスの中でも優秀な男だ。知識も豊富だし、腕も立つ。わからないことはなんでも聞くといい。ツォン、頼んだぞ」
「はい」
ルーファウスは、ちら、と部屋の隅に立つ黒服の男に目をやった。
先ほど、神羅本社ビルの入り口でルーファウスを迎え、そのまま社長室まで案内してきた男だ。
タークスとは通称で、本来は、総務部調査課、という至極、平凡な名称だ。
だが、だれもそんな名では呼ばない。
総務部の中の一部署という扱いだが、実際に、総務部のフロアにその席があるわけではない。
総務部調査課は、独立した機関で、そのオフィスは37階にあった。
だが、他のどの部署からも独立したそのフロアに立ち入る者はほとんどおらず、実際に、そこがどんなオフィスなのかを知る者はいないといってよかった。
だが、そうはいっても、基本的には誰もが立ち入ることのできるフロアである。
そのせいか、この37階オフィスはダミーであって、他の誰も知らぬ場所に実際のオフィスがあるのだ、とか、37階が普通に見えるのは、そのエレベーターフロアと受付だけで、その奥は、幾重にもパスワード、生体認証などで守られた要塞があるのだ、とか、様々なうわさがあった。
それもそのはず、総務部調査課、通称タークスの本来の仕事は、極秘の、言ってみれば、表沙汰にできないようなものであることは、周知の事実だった。
神羅カンパニーは、神羅製作所という、小さな兵器開発会社から始まった。
そこから、わずかの期間でここまでの巨大企業にのし上がることができたのには、理由がある。
その最も大きなものは、魔晄である。
星そのものがもつ物質、魔晄に目をつけ、それをエネルギーとして利用することを思いついたのは、神羅製作所の研究者たちだった。
それ以来、クリーンでほぼ永久的に利用可能なこのエネルギーを、汲み上げ、実用化し、そのことで、人々の生活を大きく変えた。
神羅は魔晄産業を独占することで、世界を動かすほどの力を手に入れたのだった。
そして、もうひとつが、ジェノバプロジェクト。
約二〇〇〇年前にこの星に飛来したと言われる、ジェノバ。
魔晄を研究する中で、このジェノバにも着目した、神羅の科学者達は、様々な実験を繰り返し、ソルジャーという兵士を作りあげた。
魔晄を浴び、ジェノバの細胞を埋め込まれたソルジャーは、普通の人間とはケタ違いの戦闘力をもつ、強力な兵士となった。
そのソルジャーを中心に、軍隊を作り上げた神羅は、もはや、企業というよりも、この世界の支配者と言ったほうがよいくらいの存在になったのだった。
だが、当然、ここまでの道のりは平坦なものではなかった。
周囲からの反発も批判も、相当激しいもので、それを力で抑えつけ、のし上がってきたのである。そこには様々な、表沙汰にはできぬようなことがあったのも当然で、その後ろ暗い部分を、闇の中で処理し、神羅を支えてきたのが、総務部調査課、いわゆるタークスだったのである。
そうした特殊な機関であるから、カンパニーの一部署ではあったものの、神羅の社長であるプレジデント神羅の直属の機関としての性格が強かった。
言ってみれば、プレジデント個人、そして神羅家と密接に結びついた機関なのである。
そんなわけで、ルーファウス自身も、これまでも関わることが多かった。
主任のヴェルドをはじめ、何人かは顔も知っている。
だが、このツォンと呼ばれた男は、初めて見る顔だった。
新人か、あるいは、どこか地方で極秘任務についていたのか、その辺りだろう。
ウータイの出身なのか、ウータイ地方に特有な切れ長の目と薄い唇、冷静さをたたえた黒い瞳と、後ろで一つに結んだ長い黒髪が印象的な男だった。
ツォン、という名前も、変わっている。
今、その顔には、なんの表情も浮かんでいない。
だが、その内心がルーファウスには手に取るようにわかった。
(子供のお守りなど押し付けられて、ご苦労なことだな)
心の中で、毒づく。
だが、もちろんそんなことを顔に出すつもりはなかった。
「ツォン、よろしく頼む」
「はい、副社長」
きっちりと黒服は頭を下げてきた。
(お守り兼、監視役、というところか…)
ルーファウスは、心の中で薄く笑った。
四月一日
どの企業でも新年度が始まる日である。
もちろん、神羅カンパニーも例外ではなく、先ほど、新入社員の入社式に続き、社長であるプレジデント神羅の演説が行われたところだった。
それは、すべてネット配信され、各地に散らばる神羅の支社や研究所に流されていた。
そして、その後、新役員の就任式が執り行われ、長らく空席だった副社長の座に、プレジデントの息子であり現在、弱冠十五歳のルーファウス神羅が、就任したことが知らされた。
(画面におれが映ったとき、みな驚いただろうな)
ルーファウスは、意地悪く思う。
副社長と呼ばれて、壇上に姿を現したのがこんな子供では、誰でも驚く。
あからさまに、眉をしかめた者さえいた。
そして、ルーファウスは、壇上から、そのすべての顔を目に焼き付けた。
誰があざ笑うような顔をしたか、誰が顔をしかめたか、そして、誰が笑ったか。
ルーファウスは、プレジデント神羅の唯一の息子である。
もっとも隠し子はいるのかもしれないが、プレジデントが公に認めている息子はルーファウスだけだった。
ルーファウスが、副社長に就任したということは、いずれ、社長の座はルーファウスのものになると公言されたようなものだった。
だが、だからといって、自分の将来が安泰であるわけではないことは、ルーファウス自身がよく知っていた。
父親であるプレジデントは、食わせ物で、一筋縄ではいかない人物である。
たとえ、無事に、社長になれたとしても、傀儡になるのはごめんだった。
戦うしかない。
いずれ、自分の力でこの神羅カンパニーの社長の椅子を勝ち取ってやる、ルーファウスは、居並ぶ重役たちを見つめながら、心の中で誓った。
「さて、では夕方からのレセプションまで、自由にしているといい。ツォン、副社長室に案内してやってくれ。ああ、社内を見て回るのもいいだろうな。若い副社長の姿を社員たちに見せてやるといい」
相変わらず上機嫌に、プレジデントは言った。
「はい」
ルーファウスは、立ち上がり、だがふと、足を止めた。
「父さ……あ、いや、社長」
「なんだ?」
「一つ、頼みがある」
「なんだ、珍しいな」
プレジデントは笑った、
「言ってみろ」
「セフィロスに会ってみたい」
プレジデントは一瞬、驚いたように目を見開き、だがすぐに、大きな笑みを浮かべた。
「そうか、おまえも中身はまだ十五歳なのだな。それくらいの年頃の子供にとっては、セフィロスはあこがれの的なのだろうな」
「ええ」
ルーファウスは、はにかんでみせた。
もっとも、別にあこがれがあるわけではない。
今の神羅があるのは、セフィロスをはじめ、ソルジャーたちの力が大きい。
魔晄を独占することで世界を征服した神羅が、その力を保っていたれるのは、ソルジャーを中心とした軍事力で他を押さえつけているからだ。
ソルジャーとは、言ってみれば、神羅の命綱ともいえるわけで、つまりは、プレジデントの命綱、ということでもあった。
そのソルジャーの力を、もし、自分のものにできれば、様々なことがたやすくなるはずだった。
もっとも、今すぐ、というわけにはいかないことは、百も承知だ。
とにかく、今は、なんでもいい、なにかつながりが欲しかった。
だが、父親には、十五歳の少年とすれば当たり前な英雄へのあこがれ、と思わせておいた方がなにかと都合がいい。
「いいですか?」
期待に輝かせた目を父親に向ける。
「うむ、いいだろう」
プレジデントはなんの疑いももたなかったようで、上機嫌でうなずいた。
だが、ふと横から視線を感じ、ちらりと目を向けた。
こちらをじっと見つめる黒い瞳とぶつかる。
まるで、何もかもを見透かすような黒い瞳に、ルーファウスは、かすかにいら立ちを感じた。
「これから、セフィロスとは関わることも多いだろうし、会っておくといい。ツォン」
気がつくと、父親が言っていた。
「はい」
「セフィロスを副社長室に呼べ。ルーファウスに挨拶をさせろ」
「はい」
だが、そこで、プレジデントは、ふと笑みを消した。
「ルーファウス、セフィロスと会うのはいい。だが、おまえは副社長だ。セフィロスは「英雄」などと呼ばれているが、神羅カンパニーの一社員に過ぎないことを覚えておけ。決してなめられるな」
プレジデントの目が、鋭い光を浮かべて、ルーファウスに向けられる。
「はい、社長」
ルーファウスは、顔をひきしめ、うなずいた。
この目を見ると、父親が確かに、一代で神羅製作所から神羅カンパニーまで、企業を大きくし、トップに上り詰めた人物なのだと思い知る。
(だが、おやじに負けるわけにはいかない……あやつり人形になどなるものか)
ルーファウスは、ひそかに心の中でつぶやいた。
2011年4月28日 up