ジェラシー 1

「『プレジデント神羅。その隠された過去と隠し子』」
ルーファウスの唇から漏れた言葉に、ツォンは思わず、ギクリと身体を強張らせた。
「隠し子か……まあいるだろうとは思ってはいたがな」
ルーファウスがおもしろそうに、センセーショナルな見出しのついたページをめくる。
「社長……」
ツォンは、思わず声をかけた。
「なんだ」
「そのようなものは、読まれなくともよろしいのでは?」
「なぜだ」
ルーファウスのいぶかしげな視線に、ツォンは、思わず言葉に詰まる。
「世間に流れている情報を知るのは、必要だ」
「まあ……それはそうなのですが……」
「いいか、私は、もう一度、世界に打って出るつもりなんだぞ。こんな程度で動揺してどうする」
そう言うと、ルーファウスは目を記事に落とした。
ツォンは、ため息をついた。
あの災厄から二年以上が過ぎており、星痕も根絶したとあって、人々の生活も、元通りとはいかぬまでも、かなり復興は進んでいた。
ルーファウスが、最近、タークスに命じて集めさせているのは、世間で出回っている、神羅のことを書いた記事だった。神羅カンパニーは、今や、災厄と星痕を引き起こした大罪人扱いされており、雑誌、とくに週刊誌の記事は、読むに堪えぬほどの中傷誹謗に満ちた、酷いものだった。
だが、それでも、ルーファウスは、そうした記事を集めさせることをやめなかったし、そして、集められた記事には、必ず目を通していた。
それが、またいずれ、神羅カンパニーを復活させるための布石だということは、ツォンもわかっていた。そのために、情報を集めるのが必要なこともわかる。
だが、なぜ、プレジデントの隠し子の記事まで、読まなくてはならないのか、と思っても間違いではないと思うのだった。
「ほう……」
ルーファウスの、驚いたような声が聞こえ、ツォンは整理していた資料から顔をあげた。
「ラザードか」
その言葉に、ツォンは、思わず頭を抱えたくなった。
「ツォン、おまえは知っていたのか?」
「……なにを、でしょうか」
「その顔だと知っていたな」
ルーファウスが、鼻で笑った。
「ソルジャー総括だったラザード、あれは、私の異母兄か?」
ツォンは、どうしたものかと、必死で頭を巡らせた。
だが、ルーファウスは、いつも通り容赦がなかった。
「答えろ」
そう言われてしまえば、ツォンには逆らえない。
「……はい」
呟くように答えると、ルーファウスは、鼻で笑った。
「なるほどな。この手の雑誌の記事も、嘘八百というわけでもないわけか。もっとも、もう、うちの力が働いていないからな、嘘を並べなくとも、真実がどこからでも手に入るということなのかもしれんがな」
だがそれきり、興味は失ったらしく、ルーファウスの手が、その雑誌を、無造作に、読了済みの箱に放り投げた。
だが、ふと手を止める。
「兄か……まあ、ラザードにも数回会ったことがあるくらいだしな、そう言われてもな……」
そして、軽く肩をすくめると、次の雑誌を手に取った。
この雑誌の山は、エッジに住む情報屋が二週間に一度、届けにくるもので、いわゆる大衆誌から、ローカルな雑誌まで、ありとあらゆる出版物を網羅していた。
何気なく、ルーファウスの指がとりあげた雑誌を見るなり、ツォンは、「社長」と声をかけていた。
「なんだ」
「休憩にしませんか」
ルーファウスはじろり、とツォンを見上げた。
そして、手に取った雑誌に目をやる。
その表紙を確認し、からかうような目をツォンに向けた。
「これを私に読ませたくないか?」
「………いえ……」
呟くように答えたツォンに、ルーファウスは、性質の悪い視線を投げた。
そして、足を組み、その雑誌の表紙をめくる。
ぱらり、ぱらり、と、ルーファウスの指がページをめくっていく音が響く。
いたたまれなくなり、「コーヒーでも……」と呟くと、じろり、と睨まれる。
もっとも、その目つきには、いくぶん、からかうような色が浮かんでいたが、「そこにいろ」と言われれば、従うほかはなく、ツォンは、居心地悪い思いをしながらも、資料の整理を続けた。

やがて、ルーファウスの指が止まり、パタリと雑誌が閉じられた。
ツォンは、恐る恐る、上司の顔を見やった。
そのきれいに整った端正な顔には、なんの表情も浮かんでいない。
先ほどまであった、からかうような表情もすっかり消えている。
表情が読めないことに、ツォンは焦り、ルーファウスの手にある雑誌に目をやった。
今は、裏表紙がこちら側を向いており、表紙は見えないが、先ほど、ちらっと見たときに目に飛び込んできたのは、でかでかと書かれた、とんでもない見出しだった。
このルーファウスの様子では、たぶん、予想したとおりの記事の内容だったのだろう。
ツォンは、暗澹たる想いで、ルーファウスの指が、手に持った雑誌をテーブルの上に置くのを見守った。
ルーファウスの蒼い美しい瞳が、まっすぐにツォンを見上げる。
ツォンは、思わず、ごくりと喉を鳴らしていた。
だが、その形のいい唇から洩れた言葉は、
「おまえは、金髪碧眼が好きなのか」
という、思ってもみなかったもので、ツォンは、虚を突かれ、目を瞬いた。
「………はい?」
金髪碧眼……?
今まで、そんなことは考えたことがなかった。
自分が好きなのは、今、目の前にいる、この上司だ。
そして、目の前の端正な美貌は、見事な金髪と、きれいな蒼い瞳を持っている。
とすれば、確かに、金髪碧眼が好き、と言えるのかもしれない、と思う。
だが。
ルーファウスの言葉の意味は、少し、違うような気もする……。
「あの……社長。おっしゃる意味がよく……」
ルーファウスの長い指が、テーブルの上に置いた雑誌を、無造作に、ツォンの方に押しやった。
そして、
「私は寝る」
と言い捨てると、さっさと立ち上がり、寝室に入ってしまった。
ルーファウスの姿を隠して、寝室のドアがパタリと閉まるのを呆然と見つめ、ツォンはあわてて、テーブルに置かれた雑誌を手に取った。
『神羅カンパニー総務部調査課~鬼主任の私生活』
なんというタイトルだ、と思いつつ、ページをめくる。
読み進むうちに、ツォンの顔は、さっと蒼ざめていった。
私生活、というタイトルを見たときから、嫌な予感はしていたのだ。
鬼主任、と書かれているからには、前任のヴェルドでは……とも思ってみたが、その期待はあっさり裏切られ、そこに延々と書き連ねられていたのは、ツォンの過去の女性遍歴だった。
神羅の軍事学校時代から始まって災厄まで、よくもまあ、これだけ調べたものだ、というほど、事細かに、書かれている。
それだけではない。
「Aさん(仮名) クラブホステス」
「Kさん(仮名) 学生」
「Yさん(仮名) OL」
「Sさん(仮名) クラブホステス」
この四人のインタビューの内容までが、書かれているのである。
しかも、その内容は、情事のことを生々しく語ったもので、ツォンは頭を抱えた。

確かに、ツォンとて男だ。人並みに性欲はあるし、女性とそれなりに付き合ってきた。それは否定しない。
ルーファウスへの自分の感情が、いわゆる恋愛感情であることには、かなり早いうちに気がついてはいたものの、それは、完全なツォンの片想いであったし、成就を願うことすらできない、徹底的に自分の心の奥底に秘めておかなくてはならない想いだった。
そんなわけで、まずは、意志の力で、ルーファウスへの想いは封印し、心を他に向けようとしてみた。
他に、誰かを愛することができれば、この不謹慎で、身分不相応な、報われぬ想いを消し去ることができるのではないかと思ったのだ。
ツォンは、実は、かなり、女性にもてる。
愛想がいいわけでもなく、女性受けするような話術で相手を楽しませようとするようなサービス精神があるわけでもないのに、これは不思議なことだった。
確かに、見た目はいい。切れ長の目も、とおった鼻梁も、薄い唇も、ストイックな、研ぎ澄まされた刀のような雰囲気を醸し出しており、全身筋肉、といった感じの鍛え上げられた身体と、180超えの身長をブラックスーツで包んだその姿は、ひそかに、社内の女性たちのあこがれの的だったのである。
もっとも、神羅の女性社員たちは、ツォンがタークスである、ということで、遠巻きに眺めるだけで、実際に近づいてくることはなかった。タークスの悪名は、社内でも轟いていたからだ。
だが、ツォンをタークスと知らない、社外の女性たちは、積極的だった。
ツォンは、かすかな罪悪感は覚えつつ、そうした女性たちと付き合った。
だが、どうしても、ルーファウスへの想いを消し去ることはできなかった。
それなら、男はどうだ、と思ったこともある。
だが、なぜかルーファウスに恋したものの、だからといってゲイに転向したというわけではなかったらしく、ルーファウス以外の男は、どう考えても無理だった。キスをする、と考えただけで鳥肌がたつのである。
結局、何度か、試みた結果、ルーファウスへの想いを消し去ることはあきらめた。
そして、同じように割り切った、大人の関係を築ける女性と、気楽で穏やかな関係を続けることに落ち着いたのである。
もっとも、割り切った関係とはいえ、その相手を踏みにじるようなことができる性格ではない。抱けば、相手をいとおしいとも思うし、ともに過ごす時間が長くなれば、情もわく。熱烈な感情ですらなかったものの、できうる限り、相手を大切にしたつもりだった。
だから、この雑誌に書かれているほど、無節操に、多数の女性と付き合った覚えもなければ、複数の女性と同時並行的に付き合った覚えも、まったくなかった。

それに、である。
自分は、ごく普通の、ノーマルな性癖しか持っていない、と思う。
確かに、一生を共にしたいと思う恋人は同性であり、それを世間では、同性愛と言うのだから、ノーマル、とは言えないのだろう。だが、こと、性癖、ということに関しては、SでもなくMでもなく、ごく普通のセックスを好む……と思う。
百歩譲って、もしかしたら、自分はSだったのかもしれない、と思うことがないわけではない。
これは、ルーファウスと夜を過ごすようになって気づいたことだったが、ルーファウスを抱いていると、ついつい、S的な行動に出てしまうことがあった。もちろん、痛めつけたいわけではまったくなく、ただ、ルーファウスを泣かせてみたいというけしからぬ想いが沸き起こり……。
………いや、いまは、そんなことを考えている場合ではなかった。
つまり、自分は、ノーマルであって、決して、相手を縛る趣味もなければ、道具を使う趣味もないのである。
だが、四人の女性のインタビューの中で語られる、タークスの主任ツォンは、相手を縛りつけて犯すのを好むらしく、さらに道具で凌辱することを好むらしい……。
一体、だれのことだ、である。
しかも、その4人が、揃いもそろって、ブロンドに青い瞳の美しい女性と、という紹介文が添えられているのである。
ブロンドに、青い瞳の女性……???
そうだっただろうか……?
思いだそうとしても、金髪と青い目、というと、ルーファウスの顔しか思い浮かばない。
だいたい、この四人は誰なのだろうと思う。
もっとも、インタビューの内容が、まったくの事実無根であることを考えると、この四人というのも、ただのでっち上げかもしれなかった。

ツォンは、そっと、ルーファウスの寝室の扉を見つめた。
ぴたりと閉じられ、ツォンを拒否しているかのように閉まっているドア。
ツォンが、ルーファウスと、夜を共にするようになってから数か月が過ぎていた。
夕食の後は、いつも、今日のように、ルーファウスは、新聞や雑誌などに目を通し、ツォンはさまざまな資料の整理などをして過ごす。そして、そのまま、ルーファウスの寝室で抱き合う、というのが、この数カ月、変わらずに続いている二人の生活だった。
こんな風に、まるでツォンを拒絶するような行動をルーファウスがとったのは、初めてのことで、やはり、何らかの理由で、ツォンに対して、不快感を持った、ということだろう。
先ほどの、金髪碧眼が好きなのか、という言葉からすれば、おそらく、この雑誌に載っている4人の女性が皆、ブロンドで青い瞳だ、というところに、その原因があるのかもしれない。
つまり、金髪碧眼であれば、誰でもいいのか、というようなことなのだろう。
そんなことはない。
断じてない。
それに、もっと困るのは、自分の性癖に関して誤解をされていた場合だった。
まずは、その誤解を解かなければならない。
ツォンは、深いため息をつくと、閉ざされた寝室のドアに向かった。

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