つかの間の夢 13

不穏な日々が続いていた。
アバランチによる壱番魔晄炉の爆破テロと、ジュノンでのプレジデント暗殺未遂を皮切りに、それに誘発されたかのように、様々な反神羅組織による動きが活発になってきていた。
セフィロスの出動要請も、頻繁になっており、あちこちを飛び回る日々が続いていた。
ルーファウスの身辺も、慌ただしくなっており、セフィロスとは、連絡は取り合っていたものの、会えない日々が続いていた。
その理由の一つには、テロへの警戒のため、ルーファウスの警護が以前より、厳しくなったこともあった。
ヴェルド率いるタークスが、対テロ対策に追われ、要人警護に人員を割くことができないのが現状で、結果としてSPが警護につくことが増えた。
SPももちろん警護のプロではあるが、戦闘能力などの面で、タークスには及ばない。
結果として、警護の人数を増やすことで、タークスがいない欠陥を埋めることになり、常に、ルーファウスには5人から6人のSPが付いて回る状態になっていた。
手厚く守られる、ということは、その分、監視も厳しくなる、ということであり、自由を制限される、ということでもある。
ルーファウスも苛立ちを募らせてはいたものの、原因の一つを自分が作っていることは、重々承知していたし、どうすることもできなかった。
『なかなか会えんな』
携帯を通して聞える深い声に、心を高鳴らせる。
「会いたい」
『おれもだ』
セフィロスの声が、笑みを含む。
『さっさと神羅を乗っ取れ。そうすれば、堂々と会える』
「そうだな」
ルーファウスも笑った。
『順調か?』
「今のところは」
『そうか……おれが必要になったら、いつでも言え』
「ああ」
『また、しばらく、ミッドガルを離れる。明日、ニブルヘイムへ行くことになった』
「ああ………あの、魔晄炉の事件か」
それは、8月にニブルヘイム魔晄炉で起きた事件だった。
作業員が全員行方不明になったのである。
『タークスが今日、調査に入ったらしいが、どうにもならないらしくてな。あの辺りは凶暴なモンスターも多い。急遽、うちの隊で調査に行くことになった』
「そうか。あれは、よくわからない事件だな」
『おまえにも、何の情報も入ってないのか』
「ない。調べてみたが、ニブルヘイム魔晄炉に関しては、資料が少なすぎるんだ。あそこは神羅の魔晄炉の中でも最も古いものだ。もっと資料があっていいはずなんだが……よくわからない。もしかしたら、私にはアクセス権がない部分かもしれない」
『……なるほどな』
セフィロスは考え込むように、しばらく、口を閉ざした。
『まあ、とりあえず、行ってくる。少し長くなるかもしれん。戻ったら、すぐに連絡する………待ってろ』
笑みを含んだ、少し皮肉めいた響きのある声が言う。
ルーファウスは、小さく笑った。
「ああ、待っている」
通話が切れた携帯を、見つめる。
次にかかってきた時は、会えるだろうか、と思う。
そんなことを思う自分が、気恥かしくもあったし、まだ、冷静な頭のどこかで、こんな自分はあり得ない、と思う部分もある。
だがそれでも、携帯に表示される番号、携帯から聞える声、そんなものに、自分の心が高鳴っているのは隠しようのない事実で、そうである以上、自分の感情を認めないわけにはいかなかった。
苦笑して、携帯を、デスクの引き出しにしまい、打ち合わせに出席するべく、副社長室を出た。
秘書を従えて廊下に出ると、向かい側のタークス本部から黒服が何人か出てくるのが見えた。
ルーファウスに気づき、全員が、頭を下げる。
だが、その中に、ツォンの姿はなかった。
ツォンを、本社内で見かけることも、最近では、あまりなくなっていた。
もちろん、ルーファウスの警護につくことも、めったにない。
そのことに、少しだけ、物足りなさを感じながら、ルーファウスは、エレベーターに向かった。

そして、それは、数日後に起きた。
「……なんだと……?」
プレジデントの声が、会議室に響き渡った。
重役会議の途中に、慌ただしく会議室に飛び込んできた、プレジデントの秘書が何かを報告した途端、だった。
その腹の底に響くような、プレジデントの声は、畏怖の対象となっている。
その声で怒鳴られると、誰でも、首をすくめたくなるのだ。
会議室に居並ぶ重役たちは、いったい何事かと、いっせいに身体を硬くした。
自分の担当分野で、なにかあったのだろうか、と不安そうな目をプレジデントに向ける。
ルーファウスは、担当分野、というものはもたなかったため、その心配はなかったが、後ろ暗い部分は、十分にもっている。
なにかがばれたか……と一瞬、ひやりとした。
だが、プレジデントは、いつものように怒りを沸騰させ、誰かを怒鳴りつけるわけでもなく、全員の顔を睨みつけるでもなく、しばらく絶句したように黙っていた。
その意外な反応に、重役たちが、かすかにざわめく。
ルーファウスは、用心深く、目を細めた。
やがて、プレジデントが、ゆっくりと重役たちを見まわした。
そして、ようやく、口を開く。
「セフィロスが、死んだようだ」
会議室が、しん、と静まりかえった。
空気が凍りついたような静寂の中で、ルーファウスは、ただ、自分の鼓動の音を聞いていた。

□■□■□■□

 
「――――3時より、都市開発部門リーブ部長との、打ち合わせ。その後、4時から、美術展内覧会出席のため、近代美術館へ。以上が明日の予定です」
秘書の声が、途切れる。
ためらいがちに、副社長、と声をかけられ、ルーファウスは、我に返った。
一瞬、自分がどこにいるか把握できず、目を瞬く。
デスクの向かい側に立つ秘書を見つめ、ようやく、いつものように秘書が明日の予定を読み上げていたのだと気付いた。
「ああ、すまない………」
軽く吐息をつき、首を振る。
「少し……ぼんやりしていたようだ。3時からは……誰と会議だったか?」
「リーブ部長です」
「ああ……そうか、そうだな、わかった」
秘書が、心配そうに、ルーファウスを見つめた。
ルーファウスの記憶力の良さというものは、群を抜いていて、一度聞いたことを忘れることなど、ないと言ってよかった。
また注意力も集中力も、人並み外れていて、こんな風に、秘書が言ったことを聞きそびれるなどということは、これまでなかったことだった。
「副社長……お加減でも?」
「いや……」
首を振り、だが、ルーファウスは眉を寄せた。
具合が悪い………と言われれば、そうなのかもしれない、と思う。
なにやら、体全体がフワフワと定まらず、頭がはっきりしない。
「熱でもおありなのでは……?」
秘書が言った言葉の意味を、一瞬、掴み損ねる。
熱。
熱、とはなんだ。
頭が、まったく働いていないのを感じる。
「副社長、今日は、このあとのご予定はありませんし、お帰りになったほうがよろしいかと」
心配そうに、だが、きっぱりと秘書がいい、手に持っていたノートを閉じた。
「いや……」
ルーファウスは軽く頭を振った。
確か、まだやらなければならないことが残っていたはずだった。
だが、そこで眉を寄せる。
それがなんだったのか、思い出せない。
「たぶん、お風邪でも召されたのでしょう。早くお帰りになってお休みになってください」
秘書の、心底、心配そうな声音に、それほどまでに自分は具合が悪そうなのか、と、まるでひとごとのように思う。
だが確かに、こんな状態で仕事を続けたところで、効率がいいとは言えなかった。
ルーファウスはため息をつくと、うなずいた。
「そうだな、今日は帰ろう」
「はい」
秘書がほっとしたように、笑みを浮かべる。
「今、ツォンさんをお呼びしますので、少しお待ちください」
当たり前のように言った秘書の言葉に、ルーファウスは眉を寄せた。
「ツォン?」
なぜ、ここでツォンの名前が出てくるのか、わからなかった。
だが、秘書の顔を見て、さらに眉を寄せる。
秘書も、また、驚いたような顔をしていたのだ。
「先ほど、ツォンさんからご連絡がありまして………本日は副社長の警護は、ツォンさんがすべて担当されるとのことでしたが……?」
ルーファウスは目を瞬いた。
「副社長がお出かけか、お帰りになる時には呼ぶように、と言われておりまして………副社長は、ご存じなかったのですか?」
そんなことになっていただろうか、とぼんやり思う。
それすら忘れていた?
いや、それはない、と思う。
もう、ここしばらく、ツォンには会うどころか、顔さえ見ていなかった。
確かに、先ほどから頭が働いていないのは事実だが、少なくとも、そんなことを忘れるほどではないはずだ。
では、父親の差し金か、と思ってはみたものの、父親が、そんな些末のことに口を出すとも思えない。
ヴェルド、でもないだろう。
となれば、ツォンが自分に何かの用がある、ということなのだろうか。
いぶかしい想いは消えないものの、正直、何かを考えるということすら、億劫だった。
「ああ……いや、そうだったな。ツォンを呼んでくれ」
いくぶん投げやりに言うと、秘書は、とまどったような表情のまま、はい、とうなずいた。
「少しお待ちくださいませ」
もう一度、心配そうな視線をルーファウスに投げ、秘書が小走りに、副社長室を出て行く。
その後ろ姿を見送り、ルーファウスはデスクの上を整理し、端末の電源を落とした。
そして、椅子の背もたれに寄りかかる。
深く、革張りの背もたれに身を預け、目を閉じる。
そこで、自分が、ひどく疲れていることに気付いた。
もう、立ち上がることさえ、できない気がするほど、疲れていた。
このままここで寝てしまおうか、と思い、そんなことを考えた自分に苦笑する。
だが、思いついてみると、それは悪くない考えに思えた。
このままここで、何も考えずに ─────────

ドアのノックの音に、意識を引き戻され、ルーファウスは目を閉じたまま、眉を寄せた。
「ツォンさんがいらっしゃいました」
秘書の声が聞こえる。
ルーファウスは吐息をつき、仕方なく、目を開いた。
ドアの近くに、久しぶりに見る黒い姿がある。
ルーファウスは、軽くうなずき、立ち上がった。
「お疲れさまでした」と頭を下げる秘書に、軽く手を上げ、先に立って副社長室を出る。
だが、エレベーターホールまで行ったところで、秘書が小走りに追いかけてきた。
「副社長、携帯電話をお忘れです」
ルーファウスは、驚いて目を瞬いた。
ルーファウスは、これまで、何かを忘れてくる、ということをしたことがない。
だが、秘書の手にあるのは、確かに自分のプライベート用の携帯だった。
「ああ……すまない。ありがとう」
携帯を手に持ち、しばらく眺める。
だが、ふと、ツォンが自分を見つめているのに、気づき、顔をあげた。
「なんだ」
ツォンが、わずかに眉を寄せる。
だが、ツォンは「いえ」と呟くように言い、ちょうど到着したエレベーターのドアを押さえた。
ルーファウスは、携帯をしまい、エレベーターに乗り込んだ。

車が、ミッドガルの街を走り抜けていく。
ツォンは、車を発進させるときに「出します」と言ったきり、無言のままだった。
何も言わず、ただ、イルミネーションの輝く夜の街を、車を走らせている。
バックミラーに映る、相変わらず、感情というものを見せない、静かな表情のツォンを、ルーファウスは見やった。
ツォンが自分に用があるのでは、という予想はおそらく当たっているだろうと思う。
なぜなら、ここ最近の治安の悪化から、ルーファウスの護衛には常に4,5人のSPがついていた。
もちろん戦闘能力の高いタークスであれば、SPの4,5人分の働きを2,3人でこなすことができるし、もう、あとは帰宅するだけだ。
そこまでの警備が必要ない、ということはあるだろう。
だが、それにしても、護衛がツォン一人だけ、というのは、あり得ない状況だ。
少なくとも、タークス二人。
これが、警護の最低ラインだろう。
それを、わざわざツォンが一人で自分の警護につく。
そこには、必ず、何らかの理由があるはずだった。
だがツォンは何も言いださない。
ルーファウスは肩を軽くすくめ、シートに身を預けた。
途端に、先ほどと同じ、強烈な疲労感が襲い掛かる。
なぜこんなに疲れているのだろう……。
そんなことを思えたのも、ほんのわずかの間で。
ルーファウスはそのまま、引きずり込まれるように眠りの中に落ちて行った。

ふと、目を覚ます。
一瞬、自分がどこにいるかわからず、目を瞬く。
辺りは暗かった。
ほんのわずかな光源が、自分の手を照らしており、そこでようやく、自分が車の後部座席にいることに気付く。
ようやくすべてを思い出し、背を預けていたシートから身体を起こした。
運転席にいたツォンが、振り返る。
「……どこだ、ここは」
ルーファウスは、小さく吐息をつくと言った。
窓の外は暗い。
明らかに、ミッドガルの繁華街ではない。
だが、そのとき、空高く噴き上げる魔晄の緑の輝きが、振り向いたツォンの顔を照らし出した。
「公園か」
魔晄炉の近くには、その生成される熱を逃すための公園が配されている。
どれもかなり大きな敷地を持ち、木々や花々は植えられ、市民の憩いの場となっている場所だ。
窓の外には、かなり鬱蒼とした木々の姿が見える。
おそらく、そうした公園の中でも最も大きく、神羅本宅をはじめ、有力者たちの邸宅が集まるいわゆる高級住宅地に近い、壱番魔晄炉近くの公園だろうと知れた。
「はい」
ツォンがうなずく。
ルーファウスは、もう一度深く吐息をつくと、腕を組み、車のシートに背を預けた。
「……で?……話は、なんだ」
振り向き、顔をこちらに向けているツォンを見つめる。
「なにか、話があるのだろう?」
ツォンは、だが、無言のまま、なにかを探るように、ルーファウスの顔を見つめている。
ルーファウスは眉を寄せた。
「………副社長」
ツォンが、ようやく口を開いた。
だが、ためらうように、また口を閉じる。
そして、小さく吐息をつくと、呟くような声が、言った。
「………もう、いいんですよ」
「なに?」
意味がわからず、ルーファウスはさらに眉を寄せた。
だが、ツォンの静かな瞳は、ただルーファウスを見つめている。
ふと、まるで泣きそうな瞳だ、と思った。
なぜ、そんなことを思ったのかわからない。
ツォンが、泣いたりするわけはなかったし、だいたい、この状況で、泣く要素などなにもない。
「……何を、言っている」
不意にまた、噴き上げた魔晄の輝きが、その顔をうつしだす。
ほとんど表情を変えない、常に冷静な顔。
それが、まるで痛ましいものでも見るかのような、せつない表情を浮かべていた。
「………ツォン……?」
「……泣いていいんですよ」
泣きそうなのは、おまえだろう、と心の中で思う。
「悲しければ、泣いていいんです」
「……なぜ、私が泣かなければならない?私は別に……」
ふと、そこで、ルーファウスは、口を閉ざした。
不意に、こみあげてきた何かが、息を詰まらせたのだ。
眉を寄せ、言葉を続けようと、唇を開く。
だが、その唇が、激しく震えていることに気づく。
「……な……ん……」
唇を押さえようと、右手を上げる。
だが、その右手も、激しく震えていた。
不意に。
不意に、耳によみがえった声があった。
(『――――待ってろ』)
深く、皮肉めいた、だがその奥に、やさしい響きを乗せた声。
あれは、誰の声だ。
(『ルーファウス』)
自分の名を何度も呼び、この身体を、強く激しく抱きしめた腕は、誰のものだ。
熱い情欲を湛え、だが、せつなくなるほど優しい光を浮かべて、自分を見つめたあの瞳は、誰のものだ。
蒼く透きとおり、この世のものとは思えぬほど美しい、あの瞳は――――。
「あ………」
その瞬間、すべてを思い出していた。
あまりにも、つらく、あまりにも、耐えがたく………。
記憶から、閉めださなくては、立つことすら……息をすることすらできなかった。
大切な、大切なもの。
生まれて初めて、手にした、なにものにも代えがたいもの。
喪っては、いけなかったもの。
それが――――。
震える右手を左手で押さえようとする。
だが、もう、全身が震え、どうにもならない。
ふと、その震える手に、温かい手が重なった。
「我慢しなくていいんです。泣いてください」
囁かれた、静かな声。
その途端、喉につかえていたものが、あふれ出した。
激しい嗚咽に、喉が震える。
目からあふれ出したものが、頬を伝い、スーツを濡らす。
身体が痛かった。
全身が、なにかを、もぎとられたかのように、痛んだ。
『セフィロスが…………死んだようだ』
冷たい、死の宣告にも似た、その言葉が、がんがんと頭の奥で鳴り響く。
死ぬ………?
セフィロスが………。
「………う……そ……だ」
震える唇から、声が迸る。
重なった温かい手に、わずかに力がこもる。
「うそだ……」
首を振る。
そんなことがあるわけがない。
「……セフィ………ロス……」
あっていいはずがない。
「セフィロス………っ」
何度も何度も、その名を呼ぶ。
呼べば、いつものように、あの少し皮肉めいた笑みを浮かべて、現れるのではないかと。
いつものように、からかうように眉をあげて、この身体を抱きしめてくれるのではないかと。
「セフィロス………」
――――震える声をしぼりだすように、ルーファウスは、ひたすら、その名を呼び続けた。

2011年5月19日  up

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