つかの間の夢 2

「どうぞ。こちらです」
ツォンが、ドアを開ける。
それほど広くはないが、狭くもない。
豪華ではないものの、機能的でそれなりに居心地がよさそうに整えられた部屋だった。
部屋の正面が、一面ガラス張りの窓になっている。
窓からは、ミッドガルの街が見下ろせた。
「その窓は、社長が命じられて、作らせたものなのですよ」
ツォンが言った。
「ミッドガルがよく見える方がいいだろう、とおっしゃっていました」
とはいえ、ここは37階。
神羅ビル最上階にある社長室とは、眺めが違う。
社長室の数階下に連なる重役室と比べてさえ、その違いは歴然としていた。
だが、ルーファウスは口に出してはなにも言わなかった。
ここで、このタークスを相手に愚痴ったところで、なんの益もない。
「廊下を挟んで向かい側が、われわれタークスの本部になっています。なにかありましたら、その社内電話でお呼びください。すぐに参ります」
「わかった」
「では、まずはセフィロスをお呼びしましょう。お待ちください」
「ああ、ツォン」
 一礼して、部屋から出て行こうとしたツォンを、ルーファウスは引きとめた。
「はい」
「タークスの本部は、本当にそこなのか?」
「はい、そうですが」
ツォンの声に、わずかにいぶかしげな響きが混じる。
その問いかけるようなまなざしに、ルーファウスは軽く笑って、手を振った。
「いや、意外と普通なのだと思ってな」
「……は?」
「巷で言われている噂を知らないのか?37階のオフィスはダミーだとか、普通なのはエレベーターホールと受付だけで、あとは要塞になっているとか、いろいろ言われているぞ」
ツォンの目が瞬く。
「そんなことはございませんが………」
「なんだ、つまらんな」
 ルーファウスは、肩をすくめた。
「さきほど少し見えたが、普通のオフィスではないか。泣く子も黙るタークスの本部だ。もっと、おどろおどろしい雰囲気かと、私でも思っていた」
 ツォンは困ったようにルーファウスを見つめた。
「それは……申し訳ありま………」
 ルーファウスは思わず噴き出した。
「なぜ、おまえがあやまる?」
「いえ……」
口ごもったツォンが、なんとも困った表情を浮かべるのを見て、ルーファウスは、また笑った。
「まあ、いい、セフィロスを呼んでくれ」
「はい」
ほっとしたように、ツォンが部屋を出ていく。
その後ろ姿を見送り、またルーファウスは、くすりと笑った。

□■□■□■□

「副社長。セフィロスです」
ツォンの静かな声に、ルーファウスは振り向いた。
はじめに目に入ったのは、両肩を覆う銀色の肩当てと、その上に流れる、銀色の長い髪だった。
黒い軍服と、膝上までを覆うブーツに包まれた肉体は、上背は相当あるものの、意外なほど細く見える。だが、喉元から胸元にかけて、軍服の合間からかいま見える部分は、しっかりした筋肉に覆われており、おそらく、着痩せする性質なのかもしれなかった。
「セフィロス、か」
「そうだ」
深い声だった。
深く、だが、冷たい無関心さをあらわした声。
「ルーファウス神羅だ。今日、副社長に就任した」
セフィロスは、眉を寄せ、ルーファウスを上から下まで眺めた。
「おまえ、いくつだ?」
「年齢など関係ないだろう」
「なるほどな」
セフィロスは、鼻で哂った。
「ついにプレジデントもやきが回ったか。こんなガキが副社長とは聞いて呆れる」
「では聞く、おまえがソルジャーになったのはいくつの時だ?」
セフィロスは、ふと眉を寄せた。
「確か…十五だな」
「同じだ」
ルーファウスは、小さく笑った。
だが、セフィロスは、肩をすくめた。
「ただのソルジャーと、神羅カンパニーの副社長はちがう。……まあ、おれにとってはどうでもいいことだ。副社長ごっこでもなんでもやってくれ……で、何の用だ」
ルーファウスは、あっけにとられ、思わず、セフィロスの顔を見つめた。
正直に言って、こういう展開は予想していなかったのである。
もちろん、セフィロスが、他の重役連中のように、ルーファウスのご機嫌をとり結ぼうとするなどとは、元より思ってはいない。
というより、そのような態度に出たら、おそらく、セフィロスへの興味は、一瞬にして失っていただろうと思う。
だが、少なくとも、ルーファウスはセフィロスの上司にはあたるのである。
もう少し、友好的、とは言わぬまでも、普通に相対してもらえると思っていたのだった。
生まれてから今まで、父親以外の者の顔色など、伺ったことはなかった。むしろ、誰もが、ルーファウスの顔色をうかがい、ルーファウスの寵を得ようとしのぎを削る、それが当たり前だった。
当然、こんな風にぞんざいな口のきき方をされたのも初めてなら、まったく相手にされない、というのも初めての経験だったのである。
このまま引き下がるのは癪に障る。
だが、かといって、どうすれば、この英雄と言われる傍若無人な男の関心を引き寄せられるかなど、皆目、わからなかった。
「……用がないなら、帰るぞ」
 セフィロスが、踵を返そうとする。
「待て」
 ルーファウスは、唇を湿した。
 セフィロスが足を止める。
「その刀。……正宗、だったか?」
 セフィロスはなにも言わず、ルーファウスを見つめている。
「抜いて見せてくれ」
 セフィロスの眉が、あがった。
 そして、ふと、その左手が優雅に動いた。
気がついたときには、セフィロスの手には、恐ろしく長い刀が握られていた。
 ルーファウスは、息を詰めた。
セフィロスが刀を抜いた瞬間、辺りの空気が一変したように、感じたのである。
といっても、セフィロスは、刀を構えることすらしていない。
むしろ、手を下に下げ、だらりと力を抜いたような恰好で、無造作にそこに立っていた。
だが、無造作に見えて、決して、気を緩めているわけではないことは、その目を見れば、一目瞭然だった。
蒼い瞳は、さらに鮮やかさを増したように輝き、油断なく、細められ、なにか事が起きれば、瞬時に全身が反応し、敵に襲いかかることを予感させた。
といっても、ここにはルーファウスしかいない。
ルーファウスを警戒している、というよりも、刀を持った瞬間に、おそらく、セフィロスの中の何かが、切り替わったような、そんな感じだった。
セフィロスの発散する気に、ピリピリと肌が焼かれるような気さえする。
(きれいだ……)
ルーファウスは、セフィロスに見とれた。
目の前に立つ英雄は、余分なものをすべてそぎ落とし、戦うためだけに全身と五感を鍛え上げた、野生の動物にも似た美しさをもっていた。
ふと、首に冷たい感触を感じ、我に返る。
いつのまにか、目の前に、冷たく輝く、異様に澄んだ青い瞳があった。
魔晄を浴びた者だけがもつ、澄み切った光。
「おれが少しでも手を動かせば、おまえの身体と首は切り離される」
穏やかで、優しげですらある声が、耳元で囁いた。
ルーファウスは、そっと目を動かした。
正宗の、禍々しく輝く刃が、ぴたりと自分の首に添えられていた。
だが、不思議と恐ろしくはなかった。
ただ、目の前の英雄に魅せられ、目が離せなかった。
セフィロスの目が、ふと細められた。
「……おまえ、怖くないのか?」
深い声が言い、蒼い目がルーファウスを探るように見つめる。
「怖くはない」
ルーファウスは、つぶやくように言った。
セフィロスの目が鋭さを帯びる。
「おれが、やらないとでも?おまえがプレジデントの息子だから、決してやらないとでも思っているのか?」
ルーファウスは、少し考えた。
(そう思っているのだろうか?)
自分でも、わからない。
「言っておくが、おれはソルジャー1stの中でも特別だ。とにかくおれは強い。ほかにも何人か1stがいるが、正直、おれと互角に渡り合える者は一人もいない。だからな、おれは少々のことには目をつぶってもらえる」
そこで、ふと冷たく笑った。
「まあ、次期社長の首を切り落とすのが、少々のことかどうかは別としてな。だが、おれがおまえを殺したとする。それでプレジデントがおれを殺すと思うか?」
(殺さないだろう)
ルーファウスは思った。
セフィロスは、父親の命綱だ。
なにがあろうと、セフィロスは手放さないに違いない。たとえそれが、息子の命と引き換えでも――。
「どうだ?おれとおまえ、どっちの命が重いか秤にかけてみるか?」
セフィロスが楽しげに言う。
ルーファウスは、小さく笑った。
「秤にかけるまでもないな。……親父はおまえを選ぶ。なんの迷いもなく、な」
セフィロスの青い瞳が、さぐるようにルーファウスを見つめる。
ルーファウスもまた、その瞳を見返していた。
ふと、圧迫感が消え、ルーファウスは大きく息を吸った。
見れば、セフィロスが身体を起こし、刀をしまうところだった。
「ただの金持ちのわがままなガキかと思ったが、そうでもないようだな」
そして、振り向く。
「おい、そこのタークス」
ルーファウスは驚いて、ドアの方に目をやった。
ドアが大きく開き、そこに、ツォンが立っていた。
「銃を下ろせ。おまえらの大事なぼっちゃんに傷をつけたりしないから、安心しろ」
苦笑混じりの声に、ツォンが、ようやく、静かに右手に構えた銃を下ろした。
「副社長、申し訳ありません。副社長をお守りするのがわたしの仕事ですので、中の様子をモニターで見させていただいておりました」
生真面目にツォンが言う。
ルーファウスは、心の中で苦笑した。
監視役兼護衛、まさにそのままだ。
「べつに謝る必要はない。おまえは自分の仕事をしただけのことだ」
セフィロスが、ちらり、とルーファウスを見る。
なにかを考えるようにルーファウスを見下ろしていたが、やがて、身をかがめ、顔をルーファウスに近づけた。
「なぜ、おれを呼んだ?」
それは、ルーファウスだけに聞こえるような、小さな声だった。
ルーファウスは、少し考え、やがて言った。
「私は、力が欲しい。だから、力のある者を見てみたかった。それだけだ」
セフィロスは、何を思うのか、じっとルーファウスを見つめている。
やがて、ふと耳元に顔を寄せた。
「一度しか言わない。覚えろ」
ルーファウスは、目を瞬いた。
「………」
囁かれた12桁の数字。
「プレイベート用の番号だ。覚悟があるなら、かけてこい」
セフィロスの唇に、小さな笑みが浮かぶ。
そして、セフィロスは、身を翻すと振り向きもせず、部屋を出て行った。
「副社長」
あわてた様子でツォンが駆け寄ってくる。
「お怪我は?」
「ない」
ルーファウスは素っ気無く答えた。
だが、ふと、ツォンの右手を見つめる。
「ツォン、おまえ、銃は得意なのか?」
ルーファウスの突然の問いに、ツォンはとまどったような表情を浮かべた。
「はい、一応、銃が一番、得意かと思いますが」
生真面目に答える。
「銃でセフィロスを倒せるのか?」
「いいえ」
あっさりと返ってきた答えに、思わずルーファウスは噴き出した。
「では、本当にセフィロスが私を殺そうとしたら、どうするつもりだったんだ?」
「セフィロスの気をそらすことはできますから。気をそらせてこちらに注意を向けて、その間に副社長に逃げていただくつもりでした」
「私が逃げなかったら?」
ツォンは、眉を寄せた。
「それは…困ります」
もう一度ルーファウスは、ふきだした。
笑いながら、案外、この男はいいやつなのかもしれない、と思う。
生真面目で、不器用で。
「おまえはおもしろいな」
ツォンは、とまどったように、ルーファウスを見た。
「タークスは、裏工作を得意とするのだろう?暗殺だの、誘拐だの、犯罪まがいのことすら、命令とあればやると聞いた。タークスというのはもっと、恐ろしい、油断のならない連中の集まりかと思っていたが、そうでもないのか?それとも、おまえが特別か?」
ツォンは、考え込むように、眉を寄せた。
「私は普通かと思いますが……。タークスにもいろいろな仕事がありますから。適した仕事を適した者に、ということはあります」
「それで、おまえに子守が押し付けられたのか」
ルーファウスは、なおもくすくすと笑った。
なんとなく、このツォンという男に、自分のお守が回った理由がわかるような気がしたのだ。
だが、ツォンの表情に、ルーファウスは笑うのをやめた。
ツォンは、なにやら、真剣な顔をしてルーファウスを見つめている。
やがて、ツォンが口を開いた。
「わたしは、子守り、などとは思っておりません」
ゆっくりと言われた言葉は、真摯で、誠実な響きを持っていた。
「押し付けられた、とも思ってはおりません。我々にとって副社長は、プレジデントと同じように、お守りすべき人ですから」
ルーファウスは、目を瞬いた。
正直、心底、驚いていた。
こんな風に、まっすぐに言われるとは思っていなかったのである。
「悪かった。つまらんことを言った」
ルーファウスの言葉に、ツォンが「いいえ」と軽く頭を下げる。
だが、ふと、その唇がわずかにほころんでいるのに気づき、ルーファウスは、思わず、生真面目なタークスの顔を見つめた。
「……なんでしょうか?」
ルーファウスの表情に気づいたのだろう、ツォンが首をかしげる。
「いや……おまえでも笑うのか」
ツォンの顔が、一瞬、虚を突かれたように固まる。
「……たまには……」
その、困り果てたような、なんとも言えない表情に、ルーファウスは、今度こそ声を立てて笑った。

2011年4月29日 up

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