賭け 2

セミオートは基本、すべて作りは同じだ。
手に持った38口径を、先ほどと同じように分解し、クリーナーで汚れを落としていく。
すっかり手が覚えた作業ではあったが、興味津々といった様子で見つめているルーファウスによく見えるように、一つ一つゆっくりと作業をすすめていった。
しんと静まり返った室内に、銃の手入れをする音だけが響く。
「……大きな手だな」
不意に、ルーファウスが言った。
「そう、ですね」
ツォンは苦笑した。
確かにツォンの手は大きい。
身長は180センチと少し、と、普通であれば文句なく長身の部類だが、タークスとしては平均である。だが、手の大きさでは誰にも負けない。
というより、指が長いのである。
長く、しかも細身の指で、実は、これが、銃を扱う上でかなり有利に働いているのである。
たとえば、どんな銃でも、楽に引き金に指がかかり、しかもまだ余裕がある。
そのため、ダブルアクションの重い引き金であっても、楽にコントロールできる。
あるいは、ダブルスタックの大きな弾倉を使っても、余裕でグリップが握れる、等々。
「それだけ大きければ、どんな銃でも使えるのだろうな」
「副社長も、指が長くていらっしゃいますから、銃に向いていると思いますよ」
「そうか」
ルーファウスが、少し嬉しそうな表情を浮かべる。
ツォンは、思わず、またそっと微笑んだ。
クリーニングが終わった38口径を組み立て、オイルを差し、数回、空撃ちをして感触を確かめる。
「これで終わりです」
そう言って、銃をテーブルの上に置くと、身を乗り出していたルーファウスは、ようやく身体を椅子の背もたれに預けた。
「手慣れたものだな」
感じ入ったように言う。
「毎日やっておりますから」
ツォンは苦笑して言い、38口径弾のカートリッジを取り上げた。
「毎日か」
少し驚いたようにルーファウスが言う。
「銃を使わない日は?」
「それでも点検はします。いざというとき、使えなければ困りますから」
「……確かにそうだな」
ルーファウスは言い、スーツの内ポケットから小ぶりの銃を取り出した。
「私も毎日やったほうがいいのか」
それは神羅製の、一般的に「ナノ」と呼ばれている護身用のセミオートで、38口径だが、その名のとおり小型で軽量の拳銃だった。
「訓練はされていますか?」
「ああ。週に一度くらいやっている」
「その後は、クリーニングはされてますか?」
「教官がやっているな」
「それなら、大丈夫ですよ」
ツォンは小さく笑ってうなずいた。
「少し見せていただいてもよろしいですか?」
ルーファウスが差し出したナノを、手早く分解し、中を確認する。
どこにも汚れはついておらず、油もしっかりと差してある。
その教官が、丁寧にクリーニングをしているのだろう。
「これなら問題ありません。もし、一ヶ月ほど訓練をしなかった場合は、クリーニングだけされるといいです」
「ふむ」
手早くナノを組み立て、差し出す。
だが、ルーファウスの表情に、その心の内を読み取って、ツォンは思わず微笑んだ。
「……ご自分で、やってみますか?」
ルーファウスがパッと顔を上げる。
その瞳は、まるで、欲しかったおもちゃを買ってもらった子供のように輝き、ツォンに向けられていた。、
その変化に驚く。
ルーファウスがこれだけ感情を露にするのは本当に珍しかった。
少年らしく銃に興味があるのだろうし、そしてまた、差し向かいで座り、仕事とは関係のない時を過ごすことで、ツォンにいつも以上に気を許しているのかもしれなかった。
「いいのか?」
弾んだ声に思わず微笑む。
「もちろんです」
新しい布をルーファウスの前に敷いてやり、そこに、組み立てたばかりのナノを置く。
「では、分解するところからやってみましょうか」
「わかった」
大きくうなずいたルーファウスにドライバーを手渡す。
ルーファウスは、それを興味深そうに見つめた。
「これはなんだ」
その瞬間、手に持っていたクリーナーを落とさずに済んだのは、タークスの訓練の賜物だった。
「……では、道具の説明から」
気を取り直して言ったツォンに、ルーファウスは大きくうなずいた。

□■□■□

ガチャリと弾倉をはめ込み、ルーファウスはクリーニングの終わった自分の銃を満足げに見つめた。
「おもしろいな。これからは自分でやってみようか」
ツォンは微笑んでうなずいた。
「はい。ただ慣れるまでは、教官とご一緒にされたほうがいいですよ」
「ふむ」
「やはり銃ですから、なにか、間違いがあってはいけません」
ルーファウスはうなずき、銃を内ポケットに仕舞う。
そして、ふと思いついたように言った。
「おまえはいつから、銃を使うようになったんだ?」
何気なく問われた質問に、ツォンは思わず、弾倉に弾をこめていた手を止めた。
その瞬間、父の銃の冷たさと重さが、まるで、今、あの22口径を持っているかのようによみがえった。
そして、同時に、過去の情景が脳裏にまざまざとよみがえる。
遠くで響く喧騒、逃げ出す館の者たち、そして、館の門前に打ち捨てられた父の身体。
もう十年以上も昔のことだというのに、あのときの情景は決して色褪せることがない。
あの日から、全てが変わった。
それは、ツォンにとっては、両親に守られて過ごす、幸福で平凡な子供時代が終わった日だった。
だが、それを知るのは、ヴェルドだけだ。
タークスの親しい同僚たちも、誰も知らない。
といっても、別に、秘密にしなくてはならないようなことがあるわけではない。
ただ、今まで、聞く者がいなかっただけだ。
タークスのメンバーは、皆、様々な過去を持っている。
あまり言いたくはない過去を持つ者も多く、お互いに詮索しない、というのが暗黙の了解だった。
そして、実際、ツォンも、できれば話したくなかった。
過去のことを話すとなれば、どうしても両親の死のことにも触れなくてはならない。
それはまだ、深い痛みを伴う記憶であったし、あまりにも、その後のツォンの生き方を変えてしまった出来事でもあり、ただの思い出話として話すことなど、到底、できなかったからだ。
そして、それは今でも同じだった。
適当にごまかそうと思えば、ごまかせるのだろう。
たとえ、上司といえども、過去のことまで洗いざらい、話さなくてはならない理由などない。
だが、不意に、先ほど見たルーファウスの、無防備で無邪気な表情が脳裏に浮かぶ。
もともと、嘘をつくのは苦手だ。
その上、あんなに気を許した表情を見せられてしまっては、到底、それを裏切るような真似ができるツォンではなかった。
ひそかに胸のうちで吐息をつく。
そして、さりげなく作業を再開しながら、静かに言った。
「……12の時です」
ルーファウスが少し驚いたように眉を上げた。
「そんなに早くからか」
意外そうなルーファウスの言葉に、ツォンは、苦笑を浮かべた。
「といってももちろん、そのときは、撃ち方も知りませんでしたし、撃とうにも反動がきつすぎて、まともに当てることすらできませんでした。訓練をしていたわけでもありませんでしたし。ですので、それから練習しました」
「誰かに習ったのか」
「近くに住んでいた、銃に詳しい男に教えてもらいました」
父の死によって、母と共に、逃げるように故郷から移り住んだミッドガルのスラム。
そこでの思い出は、つらく悲しいものばかりだ。
「12か……」
ルーファウスは心底驚いたようで、つぶやくように言う。
しばらく、ルーファウスは何も言わなかった。
弾を込める音だけが室内に響く。
やがて、静かな声が言った。
「ツォン」
「はい」
「一つ、聞きたいことがある。答えたくなければ、答えなくていい」
「…はい」
「なぜ、タークスになった?」
ツォンは、一瞬、目を閉じた。
薄々、そんな質問が来るのではないか、と思っていたのだった。
だがそれこそが、ツォンにとっては、いまだに胸の奥深くに刺さって取れない棘のような、そんな苦い記憶だった。

ミッドガルのスラムで、ある男に声をかけられた。
『君はウータイ出身か』
一目でなにか、凄みのようなものを感じさせる男だった。
『違う』
間髪いれず答えたツォンを男は値踏みをするように見つめた。
『それなら我々に力を貸してくれないか』
それがタークスのスカウトだった。
その頃、すでにウータイとの戦争は長期化の様相を呈しており、神羅は、戦争に勝つために手段を選ばなくなっていた。ウータイ人の外見を持った潜入スパイが欲しかったのだ。
おそらく、使い捨てにされるのだろうとわかっていた。
だが、タークスになれば、濡れ衣で裏切り者に仕立て上げられ、無残に殺された父の仇も、逃れた先で、結局、命を落とすことになった母の仇も討てると思った。
だから男に言われるままに神羅軍事学校に入り、訓練を受け、タークスになった。
そして、敵として祖国に戻った。
通信傍受、暗号解読、兵器工場爆破、要人暗殺、命令に従いなんでもやり、祖国の力を削いでいった。
だが、今ならば、わかる。
戦争は、人を狂わせる。
父も母も、言わば、戦争の犠牲者だ。
自分のしたことは、復讐などには、なりはしなかった。
だが、それに気がついた時には、すでに自分の手は、祖国の人々の血にまみれていた。
直接、手を下してはいなくとも、自分の仕事のせいで、どれだけの命が喪われたことだろう。
だが、それは自分が選んだ道だった。
そして、後戻りなど、もう、できなかった。

ツォンの表情で、その心の内を読み取ったのだろう。
ルーファウスの唇がかすかに上がり、苦笑がその頬に浮かんだ。
「わかった。答えなくていい」
ツォンは銃に向けたままだった目をあげた。
ルーファウスと目が合う。
「……おまえの過去を詮索しようなどと思ったわけではない」
ルーファウスの視線が下に落ちる。
そして、軽く吐息をつくと、顔を上げた。
「……私が知りたいのは、タークスだ」
意外な言葉に、思わず、ルーファウスを見返す。
真正面から、まっすぐにこちらを見つめている、蒼い瞳とぶつかる。
その表情は、先ほどまでの少年らしい、好奇心に満ちたものとは一変していた。
何もかもをも見通すような光をその蒼い瞳に浮かべた、十五歳とは思えぬほど大人びた表情。
そこにいるのは、神羅カンパニーの副社長であるルーファウス神羅だった。
その瞬間、ツォンは、悟っていた。
ルーファウスは、ただの気まぐれでここに来たのではない。
ツォンと話をするために来たのだ。
おそらく、この質問こそが目的だったのだ。
「……タークス、ですか?」
問い返したツォンに、ルーファウスは、うなずいた。
「タークスとは、どういう集団なのか、その本当の姿を知りたい」
そして、皮肉っぽく唇を歪めた。
「どうも、親父は、その辺りのことは私に知られたくないようでな。余程、警戒してるんだろう。タークスが実際には、ハイデッカーの指揮下にはなく、親父の直属の部署であることは知っている。親父とタークス幹部しか知らない極秘事項がいくつもあることも」
ルーファウスは、ツォンを見つめ、小さく笑った。
「心配するな。それを教えろ、などと言うつもりはない。ただ、なぜ、タークスが、それほど親父に忠誠を尽くすのか、あれほど結束が固いのか、不思議なんだ。なにがおまえたちを結び付けているのか、それが知りたかった」
ルーファウスは、軽く肩をすくめた。
「ソルジャーはまだ理解できる。1stになれば英雄だからな」
その唇に、皮肉めいた笑みが浮かぶ。
「ソルジャー志願の者たちの志望理由のほとんどが、セフィロスのようになりたい、だそうだ。だから、それは理解できるんだ。だが、タークスは違う。ソルジャーが光なら、タークスは闇だ。どんなに有能だったところで、英雄になれるわけでもない」
ルーファウスはわずかに首をかしげた。
「……タークスを抜けるときは死ぬとき、という言葉があるそうだな。なぜ、そこまでカンパニーに忠誠を尽くす?神羅カンパニーのタークス、という誇りか?」
なるほど、とツォンは胸の内で呟いた。
なぜ、ルーファウスがわざわざこんなところまで来たのか、ようやく理解していた。
ルーファウスは、プレジデントにもヴェルドにも、この会話の内容を知られたくないのだ。
それはそうだろう。
これは、考えようによっては、反逆の芽とも受け取られかねない。
だからこそ、わざわざ、一介の部下である、それも知り合って数ヶ月しかたたない自分のところにやってきたのだった。
ツォンは、ふと、先日、プレジデントとルーファウスが同行した社外のイベントセレモニーのことを思い出していた。
控え室にいたときのことだ。
プレジデントの言葉に、物に動じないルーファウスの顔色が変わった。
もっとも、注意深く見ていなければわからないほどの変化だっただろう。
だが、ツォンにはわかった。
ルーファウスが、かわいそうなほど緊張を高め、必死で自分を立て直そうとしたのがはっきりとわかった。
それまでも、この父子の間にある溝には気づいてはいた。
だが、この件で、その溝の深さを知ったと言っていい。
『私に逆らうなよ』とプレジデントは言った。
あれは恫喝だった。
なぜそこまで、実の息子を警戒するのか、とも思うが、そこは巨大カンパニーの社長のことだ。ツォンには理解できないこともあるのだろう。
そしてあのプレジデントならば、ルーファウスがこんなことを考えていると知ったら、おそらく、警戒するだろう。そして今度は恫喝では済まないだろう。
ツォンは、手に持っていた弾倉を38口径にセットすると、そっとテーブルに置いた。
「……一つ、伺ってもよろしいですか?」
ルーファウスは、わずかに首をかしげるようにすると、軽くうなずいた。
「私が……この件を報告する、とはお考えにならなかったのですか?」
ルーファウスは、しばらく、何も言わなかった。
やがて、ゆるやかに、その頬に、苦笑が浮かんだ。
「もちろん、考えた。……だから、これは賭けだ」
蒼い瞳が、まっすぐにツォンを見つめた。
澄んだ、きれいな瞳だった。
ツォンもまた、ルーファウスの瞳を見つめ返した。
タークスとしては、これは報告すべき案件だ。
タークスには、明確な優先順位というものがある。
その忠誠心は、個人としてはプレジデントのみにささげられる。
そして、他の重役たちの警護に関しては、神羅カンパニーへの忠誠の一環と考える。
つまり、タークスが守るものは、プレジデント本人とカンパニーの利益、存続のみなのである。
それが、タークスが一部の重役たちに、影で、プレジデントの犬、といわれる所以だ。
ある意味、秘密警察的な役割さえも担っているのが、タークスだからだ。
ルーファウスの場合は、少し特殊だ。
副社長という役職からすれば、ほかの重役たちと同レベルの扱いになる。だが、プレジデントの息子で次期社長候補であるため、当然、その身辺警護はプレジデントと同様の待遇ということになっていた。
だが、それはあくまでも、プレジデントの命令があってこそ、である。
プレジデントが一言、ルーファウスは警護不要と言えば、タークスはルーファウスからいっさいの手を引く。
ルーファウスの立場とは、そうした、砂上の楼閣にも似た、もろいものなのだ。
つまり、タークスは、プレジデントかルーファウスか、と選択を迫られれば、迷うことなく社長のプレジデントの意に沿うように行動するのが当然であり、そしてその忠誠の対象であるプレジデントに対する反逆の可能性があれば、すぐにでも報告するのが義務だった。

お互いに、しばらく何も言わなかった。
しん、とした静寂が落ちる。
ツォンは、深く吐息をついた。
「危険な賭け、ですね」
ルーファウスは、くっと笑った。
「……そうだな」
そして、肩をすくめる。
「だが……知りたいんだ。ソルジャーとタークスは、言ってみれば、カンパニーを支える両輪だ。まあ、だからこそ、親父は徹底的にその辺りの情報を自分だけで握っているのだろうがな」
そして、また蒼く澄んだ瞳が、まっすぐにツォンを見つめた。
「報告するしないはおまえの自由だ。話す話さないも、自由だ。私は、おまえの上司としてここに来ているのではない。ただの個人として来ただけだ。好きにしていい」
淡々と言われた言葉。
そこには、なんの迷いも気負いもない。
(自分ならば……)
ツォンは、思わず心の中で苦く思う。
(自分ならば、御しやすいと思われたか……)
おそらく、そうなのだろう。
それがあながち外れでもないことが自分でもわかるだけに、さらに苦い思いが沸きおこる。
そして、だからこそ、ルーファウスは、ヴェルドのところでもなくほかの誰のところでもなく、自分のところに来たのだろう。
だがそうわかってみても、この少年の頼みを断り、プレジデントにすべてを報告する、などという気持ちには自分は決してならないわけで、もうこれは、ルーファウスの読みの正しさに脱帽、という他はなかった。
(甘いな……)
思わず苦い笑みを浮かべ、小さく吐息をつき、顔を上げる。
こちらを見ていたルーファウスと目が合う。
だがその瞬間、ツォンは、かすかな違和感に、わずかに眉を寄せた。
まっすぐにこちらを見つめている瞳。
その瞳は、あまりにも静かだった。
たしかに、ルーファウスは、いつでも冷静で、ほとんど感情を表に出さない。
だが、瞳にはなにかしらの感情が、普通は表れるものだ。
喜び、悲しみ、怒り、恐れ、期待……。
だが、今、ルーファウスの、蒼く澄んだ美しい瞳には、なにもなかった。
自分の思い通りに事が運ぶのかどうか、普通ならば、その心の内には、不安と期待があるはずだ。
たとえ、ツォンが自分の意のままに動くという自信があったとしても、いやそれならばなおさら、期待感というものがあるはずだ。
だが、ルーファウスの瞳には、言ってみれば、そうした「熱」がまったくない。
まるで、どこか他人事のような、突き放したような、そんな、しん、と冷えた瞳なのだ。

ふと、前にもこの瞳を見たことがあると思い出す。
そうだ、あれは、出会ったその日のことだった。
その日、ルーファウスは正式に、神羅カンパニーの副社長に就任した。
そして、式典の後、ルーファウスの願いで、ソルジャーのセフィロスを副社長室に呼んだ。
そのとき、一体、なにがあったのか詳しいことはわからないが、セフィロスがルーファウスの首筋に正宗を突きつけるという事件が起きたのだ。
もっとも、セフィロスが本気でルーファウスを殺そうと思っていたなどとは思っていない。そうであれば、一瞬で片がついていただろうからだ。
恐らく、あのセフィロスのことだ。
年若い副社長、それもプレジデントの息子、という権力そのものに対する揶揄をこめたパフォーマンスだったのではないかとは思った。
だが、また一方で、もし万が一、セフィロスがルーファウスを殺したとしても、不思議ではない、という気持ちがあったのもまた事実だった。
なぜなら、セフィロスは、それを許されてしまうからだ。
セフィロスは、神羅にとって、そしてプレジデントにとってなくてはならない存在だ。
ソルジャー1stは他にも何人かいる。
それぞれに、皆、強い。
だが、それでも、セフィロスは特別なのだ。
おそらく、セフィロスがいなければ、神羅はここまで力を伸ばせなかっただろう。
そしてそのセフィロスの価値を誰よりもわかっているのは、当然、プレジデントで、たとえ、ここでセフィロスがルーファウスを殺したところで、それで、セフィロスを処刑する、などということは、おそらくできないだろう。
セフィロスとは、それほどの存在なのだ。
だからこそ、ツォンはモニターでその異常な状況を見て取った瞬間、副社長室に飛び込んでいた。

だが。
鋭利な刃を首にピタリと付けられている少年の姿を見たツォンは、違和感に、思わず眉を寄せた。
ルーファウスが恐ろしくなかったわけがなかった。
パフォーマンスだったのか、本気だったのか、それはわからないが、正宗を手にしたセフィロスはまさに軍神のような圧倒的な存在感で、あの場を支配していた。
だが、あのときのルーファウスの瞳は、今でも忘れられない。
恐怖もなにもなく、ただ、魅せられたように、自分の首にピタリと寄せられた刃を見つめていた。
その光景は、一見、英雄とまで言われるソルジャーに刀を突きつけられても、動揺すらしない豪胆な次期社長、とも受け取れるものだった。
だが、ツォンは、ルーファウスの目に違和感を持ったのだ。
豪胆というならば、もっと、その瞳には力があったはずだ。
だが、ルーファウスの瞳はただ、静かだった。
まるで他人事のような、どこか遠くから、自分を見つめているかのような、そんな静けさを湛えた瞳だった。
ルーファウスが、十五歳だというのに、すでに確固たる己を持ち、自負にあふれた少年だということは、そして、その自負に見合うだけの才能を持っているらしいことも、ツォンにもすでに感じ取れていた。
そして、この少年は、いずれ自分のものになる権力も財産も持っている。
つまり言ってみれば、この世の中でもっとも恵まれた少年であるはずだった。
それなのに、なぜ、こんな目をするのだろう、そう思ったのだ。

今、ツォンを見つめる双眸にも、あのときと同じ色があった。
まるで、自分を投げ出すかのような、といっても、自暴自棄、というのとは違う。
ただ……。
(ああ……これは、あきらめ、か)
この少年は、なにかをあきらめてしまっている。
なにを、だろう。
こんな大胆な賭けに出るほどだ。
野心も自負も、有り余るほど持っている。
では、なにをあきらめてしまっているのだろう?
いつでも背筋を伸ばし、まっすぐに前を見て歩くルーファウス。
何者をも寄せ付けず、一人で……。
(ああ……そうか)
不意に、すとん、と心に落ちたものがあった。
ルーファウスは、いつでも一人だ。
社内ではもちろん、大学でも、そして、おそらく家でも。
母親は、ルーファウスがまだ幼い頃、病死したと聞いている。
兄弟もいない。
そしてあのプレジデントが、幼い息子のことをかえりみたとは、到底思えない。
(好きにしていい)
淡々と言われた言葉と、迷いも気負いもない瞳。
ようやく、この言葉の、そして瞳の意味がわかった。
ルーファウスは、なにも期待していないのだ。
誰かに何かを期待すること。
自分の望みをかなえて欲しい、と思うこと。
誰もが当然のようにやっているそれを、この少年は、しない。
おそらく、しない、のではなく、できない。
たぶん、これまで、誰かに何かを期待しても、それをかなえられたことがないからだ。
もちろん、欲しいものは全て手に入ってきただろう。
だが、おそらく、この少年が心底望んだものは、そういうものではないはずだ。
降り注がれる無償の愛情、打算のない友情。
幼い子供が持つことを許される、そういったもの。
おそらく、それは、ルーファウスには与えられなかった。
そして、ルーファウスは、あきらめてしまった。
誰かに何かを期待することを。
そのかわりに、自分の望む未来を得るために、この少年は感情をいっさい廃した、綿密な計算をして生きてきたのだろう。
そう、今、ここにいるように。

その瞬間、胸に走った痛みに、かすかに残っていた自制心が警告の声をあげる
『おまえは、情に厚すぎる。人としては、それは長所だろう。だが、タークスとしてはそれが命取りにもなる。いいか、情に絆されるな』
かつて、ヴェルドに言われた言葉を思い出す。
それも一度だけではなかった。
事あるごとに『情に絆されるな』と言われ続けた。
なぜ、ヴェルドが自分に、その言葉を繰り返したのか、その理由はツォン自身もよくわかっていた。
自分の本質は、決して、ヴェルドのように冷徹でも冷静でもない。むしろ、感情的な人間であることを、よくわかっていたからだ。
それは、自分が神羅に入った理由を考えても明らかだ。
だからこそ、神羅軍事学校に入ってからこれまでの十年、訓練、そしてタークスとしての任務をこなしていく中で、ツォンは感情を極力排除するよう努力してきた。
そしてまた、タークスとしての任務は、感情など切り捨てなければ遂行できないものが多く、必然的にそうなっていったともいえる。
その甲斐あって、いつの頃からか、仕事に感情を挟むなどということは意識しなくともなくなっていったし、それだけではなく、なにかに心を揺さぶられるなどということ自体が、気づけばなくなっていた。
そして、それは、タークスという立場においては、とても楽なことだった。
職務を遂行すること、そして可能な限り生き延びること、それだけがすべてに優先されるべきことになり、すべての判断基準となった。そして、感情を切り捨ててしまえば、判断を下すのは、驚くほど容易になった。
次第に、ツォンはタークスの中でも頭角を現していったし、いつの間にか、ヴェルドも、もう、『絆されるな』などとは言わなくなっていた。
そして、いつの間にか、ツォン自身も、かつての自分を忘れ、ヴェルドに何度も言われたその言葉すら、記憶のはるか底の方にしまいこみ、もはや思い出すこともなくなっていたのだった。
だが、今。
その言葉は、十年前と同じ鮮やかさで、ツォンの脳裏によみがえっていた。
なぜ、今になって、またあの言葉を思い出したのか。
ツォンは、そっと目をテーブルの上に落とした。
理由は明らかだった。
何よりも優先すべきものであるはずのタークスとしての職務、それを、自分は遂行しないだろう。
それは、もう、はっきりとした確信だった。

2014年9月22日 加筆修正・再UP

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