『コーヒーが飲みたいのだが』
その電話がかかってきた時、タークスの主任ツォンは、ちょうど、テロ組織アバランチの内情を探りにウータイへ潜入していたレノと、携帯電話で話している途中だった。
レノに指示を出している最中に、デスクの上に置かれた電話の、上部にある赤いランプが点灯したことに気づく。とりあえず、レノに待つように言い、受話器を取る。なぜなら、その赤いランプが点灯するのは、ある人物からの直通電話が入った時だけだからだ。
副社長である、ルーファウス神羅。
それが、この直通電話の相手である。
ルーファウスは、現在、表向きには長期出張中、ということになっている。だが、実際には、神羅本社ビルにほど近い場所にある、タークスの地下監禁施設の一室に、父親であるプレジデントによって幽閉されていた。
当然、タークスの施設に幽閉されているため、その世話はタークスで行うことになる。もっとも、日常の細々とした世話、たとえば、食事、洗濯、掃除、といった雑務は、神羅家の使用人たちが、通いで行うことになっていたが、ルーファウスと外部との接触を、完璧に遮断するため、使用人たちとルーファウスが顔を合わせたり、言葉を交わしたり、ということは、まったくできないようにされていた。
そんな中で、ルーファウスとの連絡役となったのが、脱退したヴェルドに代わり、主任の座についたツォンだった。
もっとも、連絡役、というと聞えはいいが、要するに、ルーファウスのあれこれのリクエストを聞き、それがかなえられるように、様々な方面を調整し、という、体のいい雑用係だった。そうは言っても、プレジデントから「外部と連絡を取りたいという願いでなければ、どんなことでも願いをかなえてやれ」と厳命されているだけに、職務に忠実なツォンは、どんなに急ぎの案件を処理していようと、その電話を無視できようはずもない。もっとも、無視などできるわけがない他の理由もあったが、とりあえず、それは置いておく。
そんなわけで、部下を待たせたまま、受話器を取りあげたのだが、その言葉を聞き、思わず、絶句した。
「……コーヒー、ですか?」
『そうだ』
受話器の向こうのルーファウスの声は、いつものように、平静で、あまり感情をあらわにしない静かなものだった。
ツォンは、必死で、頭を、テロ組織アバランチから、コーヒーに切り替えた。
コーヒー。
副社長のコーヒーはどうなっていただろうか。
「プライベートルームの、ダイニングのサイドテーブルにコーヒーメーカーをご用意していたかと思いますが」
『あんなもの、飲めるか』
途端に返ってきた、ルーファウスの不機嫌そうな声に、ツォンは、言葉に詰まった。
「……と、おっしゃいますと?」
『給仕が作っていったらしいが、あんな不味いものは飲めん』
給仕とは、神羅本宅の給仕だ。
ルーファウスの食事は、神羅本宅の料理人が作ったものを、給仕が地下施設まで運び、ルーファウスがオフィスルームにいる間に、プライベートルームに運び込み、セッティングを整える、という手筈になっていた。
仮にも、神羅家の給仕である。そんな不味いものを作るとも思えない。というより、コーヒーメーカーで作るのに、それほど不味いものができあがるはずがない。
『煮詰まっているし、酸味も増している。私はあんなものは飲めん』
ツォンは、思わず、宙を仰いだ。
時計を見れば、10時を過ぎている。
ルーファウスは規則正しい生活を好むらしく、幽閉されて一週間が過ぎているが、起床は6時、朝食は7時というスケジュールをきちんと守っていた。窓のない監禁施設では、日が上ったものわからず、また、何かの予定があるわけでもないのだから、いくらでも自堕落に過ごそうと思えばできるはずだった。だが、ルーファウスは、きちんと起床時間と食事の時間を守って生活しており、ツォンは、ひそかに驚いていたのだった。
そんなルーファウスは、今朝も、きちんと朝7時に朝食をとっている。つまり、朝の7時に、給仕が作ったコーヒーが不味くなって飲めない、と、そういうことなのだった。
それはそうだろう、と思う。
(新しく作ればいいのでは……)
喉元まで言葉が出かかるが、ぐっとそれを飲み込む。
この一週間で、ツォンが、学んだことがあった。
それは、頭脳明晰で、弱冠一六歳にして、すでに有能な企業家としての片鱗を示しており、しかも、その辺の少女よりも美しいと言われるほどの美貌の持ち主である、この才色兼備な神羅の御曹司にも、ある大きな弱点がある、ということだった。
全く、生活能力がないのである。
要するに、日常生活に関することは、何一つ、できない。
電気ポットを見たことすらなかったということを知り、思わず、まじまじとルーファウスを見てしまったものだった。
だが、考えてみれば、それも当たり前のことだった。
生まれた時から、大勢の使用人にかしずかれて生きてきたのである。食堂へ行けば、食事が出され、執事を呼べば、コーヒーが供され……そんな生活をしてきたルーファウスに、電気ポットを使え、という方が間違っているのである。ましてや、コーヒーメーカーなど、見たことも聞いたこともないだろう。
ツォンは、ひそかに心の中で、ため息をついた。
「……わかりました。今、伺います」
ツォンは、それでも、丁寧に言うと、受話器を置く。
そして、携帯電話の向こうで待つレノに向かい、口早に指示を投げながら、デスクの横においてあるハンガーラックからスーツの上着を取り、羽織った。
「副社長室へ行ってくる」と部下に声をかけ、足早にタークス本部を出た。
□■□
「この容器に水を入れ、ここにセットします。それから、ここにフィルターを敷き、挽いたコーヒーの粉を入れます」
ツォンの説明に、ルーファウスは、腕を組んで聞き入っている。
「そして、このボタンを押します」
ツォンの指がボタンを押すと、コポコポと音がして、コーヒーメーカーが動き始めた。
「なるほど」
ルーファウスが、感じ言ったように呟いた。
「コーヒーとは、こんなに簡単に作れるものなのか」
ツォンは、思わず、固まった。
この人は、インスタントコーヒーなどというものの存在すら知らないのだろうな、と思う。
タークス本部の給湯室にあるのは、当然のことながら、インスタントコーヒーのみである。レノなど、スプーンも使わず、インスタントコーヒーの入ったビンを傾けて、そのまま、マグカップにどどっと注ぎ、お湯をざっと入れて、コップを回すようにしてかきまぜるだけである。あんな姿を見たら、この御曹司はなんと思うのだろう、とひそかにため息をついた。
「もう覚えた。次からは自分で作れるだろう。ツォン、礼を言う」
「いえ、とんでもございません」
ルーファウスは、よく、我儘だ、と言われる。
だが、ルーファウスを近くで見るようになって、決してそうではない、とツォンは思うようになっていた。
コーヒーが飲みたい、という要求も、考えようによっては我儘なのかもしれないが、このように、作り方を教えれば、自分で作ろうとするわけで、やはり、これは我儘なのではなく、おそらく、神羅の跡取り息子と、自分たち庶民との感覚の違いなのだろうと思うのだった。
それに、すでに、幽閉が始まってから一週間が過ぎているのだ。今まで、コーヒーのことを言いださなかったところをみれば、おそらく、ルーファウスなりに、この一週間は我慢していたのだろう、と思う。
胸に、かすかな痛みを覚えながら、ダイニングの棚からコーヒーカップを取り出す。
そこに、出来上がったコーヒーを注ぐと、ルーファウスは、行儀よくダイニングテーブルの前に座り、嬉しそうにカップを取り上げた。
「美味いな」
一口、飲んで、ルーファウスが満足げに呟く。
ツォンは、軽く頭を下げ、小さく微笑んだ。
この一週間、ほぼ毎日、こうして、仕事の合間に、ルーファウスに呼びだされていた。いや、正確には呼びだされるのではない。ルーファウスは、ただ質問してくるのである。だが、結局、ツォンがここまで出向くことになっているだけだった。
だが、自分が、それを決して嫌がってはいないことに気づき、ツォンは、ひそかに苦笑する。どんなに急ぎの案件を処理している最中であろうと、あの、赤いランプが点滅すると、心が浮き立つのだ。
そして、こうして、ここまで出向いてしまう自分がいる。
ルーファウスの希望をかなえてやり、その嬉しそうな顔を見るだけで、満たされている自分がいるのである。
自分が、ルーファウスに対して、ただの上司として以上の気持ちを抱いていることは、もう、とっくの昔に気づいていた。
もっとも、そんなことは、言いだせようはずもないし、というより、そんなことを口に出すつもりも、ほのめかすつもりも、ツォンには毛頭なかった。この想いは、あくまでもツォンの勝手な想いであって、ツォンがそんな想いを抱いていることなど、ルーファウスは気づいてもいないだろう。
それは、当然のことだった。ツォンは、ただのタークスの一員であって、ルーファウスにとっては、それ以上でもそれ以下でもない。ルーファウスにとって大事なことは、部下として有能であるか、無能であるか、それだけだ。
とはいえ、今のところ、ルーファウスはツォンに対して、他のタークスのメンバーには見せないような親しみを示してくれている。それは、はじめに副社長付き、として、ルーファウスの世話係になったことが大きいのだろうと思う。その点に関しては、ツォンは、プレジデントに大いに感謝していた。
もちろん、まったく、しょうもない、と、思わないでもない。
タークスとは、もっと、冷徹で感情に左右などされてはいけないはずだった。
そう思い、これまで、タークスとして、意識して、感情を押し隠し、常に冷静に、冷徹に行動するよう、己を律してきた。
それが、なんの体たらくか、と思う。
だが、一方で、いいではないか、と思う気持ちもある。
ルーファウスは、ここに監禁されているのだ。
窓もない地下に、他人との接触を徹底的に遮断され、監禁される生活など、考えただけでぞっとする。しかも、ルーファウスは、まだ、十七歳なのだ。
おそらく、数か月、あるいは、年単位での幽閉だろう、とツォンは踏んでいた。
そうであれば、自分が、ここで、少しくらい、ルーファウスを甘やかしたところで、なんの問題もないだろうと思うのだ。 自分にできることであれば、なんでもやってやりたい、と思っている自分に気づき、ツォンは、また、ひそかに苦笑した。
だが…。
『エスプレッソが飲みたいのだが』
その電話がかかってきたのは、それから三日もしないうちだった。
携帯電話で話していたルードに待つように言い、ルーファウスからの電話に出る。
「エスプレッソ、ですか」
『ああ。この前教えてもらった作り方には、エスプレッソの作り方はなかったと思うが』
エスプレッソ。
そうか、コーヒーメーカーではエスプレッソは作れない。
「……わかりました。伺います。……申し訳ありません、30分程、お待ちいただいてもよろしいですか?」
『かまわん』
「ありがとうございます。では、30分後に」
そして、その30分後、ツォンは、家電量販店の包みを抱えて、地下監禁施設のドアをくぐった。
「それはなんだ」
包みを開いていくツォンの手元を、ルーファウスが興味津々という顔で覗きこんでくる。
その顔が、年齢相応の幼さを感じさせ、ツォンは、ひそかに微笑んだ。
「エスプレッソマシーンです」
ルーファウスが目を瞬く。
「これで、エスプレッソが作れます。コーヒーメーカーも兼ねていますので、普通の豆を引いた粉を使えば、レギュラーコーヒーももちろん作れます。スチームミルクを作れば、カプチーノも作れます」
「すごいな」
ルーファウスが、心底、感心したように呟く。
「はい。これで、副社長にもご満足いただけるのではないかと思います」
「ふむ。私にも作れるのか」
「はい。こちらも簡単です。まず、ここに水を入れます。そしてここに、カフェポッドをセットします。これはお好みで。いろいろ取り揃えて買ってまいりましたので、お好きなものをお飲み下さい」
「ふむ。味が違うのか」
「はい。苦味の強いもの、酸味の強いもの、いろいろございます」
「わかった。それで?」
「セットしましたら、ここのロックを解除し、こちらのボタンを押します。スチームミルクはこちらのボタンで作れます。作ってみましょうか」
ツォンの手が動くのを、ルーファウスがじっと見つめている。ブツブツと口の中でつぶやいているのは、おそらく作り方を覚えているのだろう。
そういえば、と思い出す。
副社長になったばかりの頃、ルーファウスに銃の手ほどきしたことがあった。その時も、こんな風に、ツォンの言うことをじっと聞き、何度も、ツォンの言う注意事項をブツブツと繰り返しながら練習していた。あの頃は、まだルーファウスのことをよく知らなかったこともあり、その、素直な、一生懸命な姿を意外な想いで見たことを思い出す。
今になれば、わかる。基本的に、ルーファウスは、何か、新しいことを知るのが好きだ。そして、それが納得できるものであったり、自分に必要なことであると思えば、素直に、受け入れていく。ルーファウスと素直、という言葉は、どうやっても結びつかないようなイメージがあるが、本当の意味で有能な人間は、必要な時は、いくらでも素直になれるものである。ルーファウスも、そうなのだろう。
「……どうした?」
いぶかしげに問いかけられ、ツォンは、自分が、不自然なほど長く、上司の顔を見つめていたことに気づいた。あわてて、視線をエスプレッソマシーンに向ける。
ピピッと音がして、抽出が終わった。
「出来上がりです」
ステンレスのポットにできあがったエスプレッソを、ルーファウスのカップに注ぐ。
「どうぞ」
ダイニングテーブルの上に、カップを置くと、その前に座ったルーファウスが、目を輝かせてカップを持ち上げ、口に運んだ。一口飲み、嬉しそうに笑う。
「美味いな」
「それは、よかった」
「家で飲んだのと変わらない。執事もこれで作っていたのか?」
「あー……いえ、それは、ないかと思いますが」
神羅家の、あの忠実な執事が聞いたら、この世を儚んで自殺しかねない、と思いつつ、呟く。
ルーファウスはもう一口飲んで、満足そうに、ツォンを見つめた。
「ツォン、礼を言う」
「いいえ」
「しかし、おまえはすごいな」
「……は?」
「なんでも知っているし、なんでもできるな」
上司が冗談を言っているのか、と、ツォンは、思わず、おいしそうにエスプレッソを飲むルーファウスの顔を見つめた。
だが、その顔は冗談を言っているようでもなく、他に、なにか他意があるわけでもなさそうだった。
「……どうかしたか?」
「いえ……」
ツォンは、ひそかに、小さな吐息をついた。
(……普通はできるんですよ)
とは、口が裂けても言えないツォンだった。
□■□
ふと、ツォンは目を覚ました。
だが、違和感に眉を寄せ、そして、すぐにその正体に気づいた。自分の目を覚まさせたものは、いつもの目覚まし時計の音ではなかった。
しかも、目に入る内装が、見慣れたものと違うことに気づく。
ようやく、そこで、ここがどこか、そして、なぜ、自分がここにいるかを思い出す。だが、隣にいるはずの姿がないことに気づき、あわてて起き上がった。
昨晩のことを思い起こさせるように、ベッドの周りに散らばったままの服をかき集め、手早く身につける。
だが、求める姿は、隣の執務室にもなかった。
もちろん、オフィスにもない。
ふと思いついて、その奥の食堂に足を踏み入れる。
広々とした食堂には、朝の光がさんさんと差し込み、まぶしいほどだった。
その窓際に、ほっそりとした後ろ姿があり、ツォンは、ほっと吐息をついた。
気配に気づいたのか、ルーファウスが振り向いた。
「おはよう」
「おはようございます」
答え、だが、ルーファウスが何をしているかに気づき、ツォンはあわてて、駆け寄った。
「そのようなこと、言ってくだされば、私がやります」
ルーファウスは、エスプレッソマシーンの前に陣取り、コーヒーを作ろうとしているのだった。
それは、数日前に、レノがエッジに立ち並ぶ店で買ってきた品だった。
リサイクル品の店ということだったが、品物は新品で、おそらく、どこかの店頭にあったものがそのまま流れて、その店で売られていたのだろう。
カフェポッドも一緒に売られていたらしく、レノから「買って帰りたいんだぞ、と」という連絡が入ったとき、ツォンは、すぐに許可を出していた。レノは、もちろん、自分で飲みたかったのだろうが、ツォンとしては、コーヒー好きのルーファウスのために、是非ともそれが欲しかった。
もっとも、住み込みで働いている、元神羅家の料理人は、おいしいコーヒーを入れてくれる。だが、星痕が癒えてからのルーファウスは、時間を気にせず仕事をするようになっていて、そのたびに、料理人を呼び出し、コーヒーを入れさせるのも気が引ける。このマシーンがあれば、好きな時においしいコーヒーが飲めるわけだった。
「そんなに慌てるな。たまには、いいだろう」
ルーファウスは、おもしろそうに笑った。
「寝過しまして、申し訳ありません」
ツォンにとっては、自分が、ルーファウスより遅く起き、しかも、コーヒーまで作らせるなど、あり得ない失態だった。だが、ルーファウスは含み笑いを浮かべながら言った。
「かまわん。それに、おまえの寝顔を初めて見れたしな」
ツォンは思わず、さっと頬が熱くなるのを感じた。
「そ、そんなものは……お見せするようなものではなく……」
「悪くなかったぞ」
からかうように言われ、ツォンは困り切って、うつむいた。
「……とりあえず、続きは私が……」
場所を交代しようとすると、ルーファウスが、軽く手を振った。
「これを、覚えているか?」
そう言って、エスプレッソマシーンを指さす。
もちろん、ルーファウスが何を言いたいか、ツォンにはすぐにわかった。レノが買ってきた時から、そのことに気づいていたからだ。
「おまえが買ってきたものと、似ている」
ツォンは、小さく微笑んだ。
「……覚えていらっしゃいましたか」
そう、この、エスプレッソマシーンは、地下施設に監禁されたルーファウスのために、ツォンが買い求めたものとよく似ていた。
もっとも、あれは、もう、かれこれ、7年近くも昔のことである。おそらく、これは、その後に製造されたものだろうが、基本的な構造は同じところを見れば、おそらく同じメーカーのものだった。
「これなら、私にも作れる。作ってやるから、そんなところに突っ立ってないで、座れ」
「では……カップを取ってまいります」
ツォンは、キッチンへ足を踏み入れた。
ここは、神羅の別荘だけあり、キッチンも使用人が働くことを想定してあるのだろう。小さなレストランほどの大きさはある、機能的なキッチンだった。
だが、いま、そこに人は誰もいない。
二日前から、ルーファウスが、使用人全員に休暇を与えたのだ。ツォンをのぞく三人のタークスたちが休暇でいない間に、使用人たちにも、いっせいに三日間の休みをとらせたのだった。
棚から取り出したカップを二つ持って戻ると、ちょうど、エスプレッソができあがり、辺りにいい香りが立ち込めていた。
「私がやりますから、お座りください」
ツォンが言うと、ルーファウスは苦笑し、手近にあった椅子に座った。
カップに濃厚な香りをたてるエスプレッソが注がれる。
「美味いな」
一口飲んで、ルーファウスが満足そうに笑みを浮かべる。
「はい」
ツォンもまた、微笑みを返した。
「静かだな」
「はい」
「これも、あと一日か」
明日になれば、タークスの三人組も使用人たちも戻ってくる。
「そうですね。……朝食を作りましょうか」
料理人たちが休みをとっているこの三日間、ツォンが食事を作っていた。もちろん、さすがに夕食は、ルーファウスがいつも食べるような食事をツォンが作れるわけもなく、麓の町にある、小さな、だが味はいいと評判のレストランから、二人分の食事を運ばせていた。だが、朝食と昼食は、ツォンがあれこれと作っていたのである。
ツォンは、基本的に器用で、たいていのものは作れる。おそらく、タークス四人組の中では、一番、まともなものを作れた。イリーナを入れても、である。
「なにか召し上がりたいものはありますか?」
ツォンに尋ねられ、ルーファウスは、少し、首をかしげるように考え込んだ。だが、ふと、その頬に、いたずらめいた笑みが浮かんだ。
「朝食もいいが……」
ルーファウスは、ふと言葉を切り、意味ありげに、立ち上がりかけたツォンを見上げた。
その意味に気づかないツォンではない。
小さく微笑み、誘われるままに、唇を重ねた。
「寝室に行くぞ」
だが、囁かれた言葉に、思わず、目を瞬く。
「昨日は、早々に寝てしまったらしいからな」
ルーファウスが、苦笑する。
昨晩、仕事に没頭したあと、なだれ込むように、ベッドで抱き合った。だが、疲れがたまっていたのか、一度、身体を繋げただけで、ルーファウスが気を失うように眠りについてしまったのだった。
「今日は、休みにするぞ」
ツォンは思わず笑った。
「はい」
もう一度、唇を重ね、そのまま、ふわりとルーファウスの身体を抱き上げた。
二年間の療養生活で落ちた体重は、当然のことながら、まだまったく戻らず、その身体は骨ばって、恐ろしく軽い。だが、それでも、心臓は確かに脈打ち、腕の中の身体は熱を帯び、その確かな生命を伝える。そのたびに、何よりも大切な存在を喪わずにすんだ奇跡を、深く、天に感謝するツォンだった。
「……当たり前のように、抱き上げるな」
腕の中で、ルーファウスがブツブツと言った。
「まだ、歩かれるのは大変かと」
「そんなことはない。だいぶ、歩けるようになった。さっきはここまで、一人で来たぞ」
「……またお疲れになっても困りますから」
ツォンの言葉に、ルーファウスは眉を上げた。
「誘っていただけて、舞い上がってますので……たぶん、歯止めがききません」
ルーファウスは、くっと笑った。
「おまえは、自制心の固まりではなかったのか」
「社長が相手では、無理です」
ベッドの上に、そっと、ルーファウスの身体を下ろし、ツォンは、もう一度、唇を重ねた。
END
2011/6/24 up