Judgement 2

次々と現れる、様々な顔。
なつかしい顔や、よく見知った顔が、唐突に現れては、消えていく。
情景の断片は、すべてがあいまいで、現実なのか、それともただの夢なのかすら、さだかではなかった。
そして……。
黒い髪に、静かな黒い瞳をした男の顔が現れる。
(ああ……これは、ライフストリームか……)
なぜなら、この生真面目な顔をした男は死んだからだ。
(……では、ウェポンに攻撃されて……私も死んだのか……)
黒い瞳が、見つめている。
思わず、微笑みが漏れる。
(待っていたのか……ツォン)
黒い髪に手を伸ばす。
そこで、またふと、意識が途切れかける。
(だめだ…まだ……言ってないことがある……ライフストリームに溶けるのは…まだ)

ふと意識が浮上する。
まだ、自我が残っていることに安心する。
(ツォン……)
また意識を失う前に、ライフストリームに溶ける前に、言っておかなければならない。
(……ツォン……)
何度も、その名を呼ぶ。
やがて、求めていた姿が現れる。
(来たか……)
(はい)
ライフストリームの中でも、やはり、その声は、静かで穏やかだった。
(……おまえに、言うことがある)
(はい)
(私は……)
だが、そこで、また意識が途切れかける。
(私は、おまえが……)

そして、次に意識が戻ったとき。
ルーファウスは、ようやく、ほのかに明るい、白い部屋で寝ている自分に気がついた。
「……社長……?」
控え目な声がかけられ、ゆっくりと声のする方に目を向ける。
そこには、口に両手をあて、大きな蒼い目を見開いたイリーナがいた。
「………ああ……」
喉がひきつれ、掠れた声が出る。
それでも、その声は、イリーナに届いたようだった。
「社長!よかったっ!!」
イリーナの目から、涙がぼろぼろと落ちる。
「先生を呼んできます!」
バタバタと走り去る足音に、ようやく、現実感が戻ってくる。
それとともに、全てを思い出していた。
ウェポンの攻撃を受けた後、社長室のデスクの下に転がりこんだこと。
そして、ダストシュートを滑り落ち、シェルターに転がり込んだこと。
そこで、鎮痛剤を飲みながら、パスコードを入力したこと。
そして、シェルターの扉が開き、赤毛の部下の顔を見たところで、記憶が途切れている。
ゆっくりと周りを見回せば、どうやら、病室の一室らしかった。
やがて、現れた医師に、すぐに治療と手術を行ったものの、手術のあと二日間ほど、意識がはっきりと覚醒しないままだったこと、おそらく、鎮痛剤の飲みすぎが原因だと聞かされた。
右足はギブスで固められ、左足の足首からふくらはぎにかけては、包帯でぐるぐる巻きにされていた。
つまりは、両足とも動かせない状態だった。
それだけではない。
首から胸にかけても、なにかで固定されているらしく、首すら自由に動かすことができない。
ふと思いついて、イリーナにカーテンを開けさせた窓からは、赤黒く染まった空が見えた。
渦を巻き、禍々しい黒い物体となって浮かぶ凶星は、相変わらずそこにあった。

では、あれは夢だったのか、と思う。
夢の中で、ツォンに会った。
伝えなくてはならないことがあったのに、どうしても、言えなかったのを覚えている。
「イリーナ」
「はい」
「私は……なにか、言っていたか?」
「はい?」
「意識がなかった時だ」
「ああ、はい。いろいろとおっしゃってましたけど、あまりよく聞き取れなくて」
「そうか」
「あ、でも、社長、何度も……」
その時、病室のドアが勢いよく開かれ、赤い髪が飛び込んできた。
そこで、足を止め、ルーファウスを見つめる。
「本当だ…目を覚ましてるぞ、と…!」
と言うなり、後ろから現れた大柄なルードの腹に、拳を打ち付けた。
痛そうに顔をしかめながらも、ルードもまた、レノの腹に拳を打ち付けた。
だが、その二人の後ろから入ってきた黒い姿に、ルーファウスは、目を見開いた。
ルーファウスが呆然として見つめる前で、その姿は、ゆっくりと三人の部下のかたわらを通り、ベッドに近づいた。
ベッドの脇に立ち、きっちりと頭を下げる。
「社長。ただいま戻りました」
ルーファウスは、その姿から目が離せなかった。
何か言おうにも、声が出なかった。
死んだと思っていた男が、そこにいた。
「申し訳ありません。一番、私が必要な時におそばにいられませんでした」
(そんなことはどうでもいい)とか(生きていてよかった)とか、いろいろ言いたいことはあるはずで……。
だが、ようやく動かせた口から出たのは、
「遅い!何をしていた!」
という怒鳴り声だった。
とはいっても、相変わらず、ひどくかすれ、か細い声しか出なかったのはあるが……。
ツォンは、深く頭を下げた。
「はい……申し訳、ありません」
だが、その唇には、あるかないかわからぬくらいのものではあったが、確かに小さな笑みが浮かんでいた。

「それにしても……ひどい有り様だな」
あらためて医師から、怪我の状況を聞かされたルーファウスは、ため息をついた。
肋骨と右足の踵の骨折、重度のムチうち、そして、割れたガラスの破片が、相当、身体に突き刺さっていたらしく、あちこちに包帯が巻かれていた。
だが一番、不便なのは、当分、歩くことができなさそうなことだった。
「でも、社長のお顔に傷がついていなくて、よかったですー!」
イリーナが、いそいそと、ルーファウスに水を注いだグラスを差し出しながら言う。
「こんな時に、歩けない方が問題だ。顔など、傷の一つや二つあったところで、どうということもない。顔に怪我をしたほうが、ましだった」
と、言ったとたん、
「顔だけは、だめです!!!」
と、イリーナにすごい勢いで言われ、ルーファウスは思わず、黙った。
それを見て、レノが笑う。
「社長も、女の子には弱いんだぞ、と」
じろりとルーファウスに睨まれ、レノは、首をすくめた
「……じゃ、ちょっと、外でも見てきますよ、と。ルード、行こうぜ」
「ああ」
二人が連れだって、病室を出ていく。
だが、ドアのところで、ふと、レノが振り返った。
「あ、イリーナ。おまえも来るんだぞ、と」
「えーーー」
イリーナは、不満げにレノを見た。
大好きな社長と、愛する上司が、揃ってここにいるのだ。
絶対、出て行きたくない、とその顔には書いてある。
「先輩命令だぞ、と」
「えーー……」
「社長の護衛は、主任にまかせて、お仕事だぞ、と」
「はーい……」
名残おしげに、ルーファウスとツォンを見つめ、イリーナも病室を出ていく。
3人の足音が遠ざかり、しんと静寂が落ちた。
ここのフロアは、おそらく個室フロアなのだろう。
ミッドガルの状況を考えれば、病院など、けが人でごった返しているはずで、それでも、この部屋には、その喧騒は伝わってきていない。
「……社長」
その静寂を破るのを恐れるかのように、ツォンが、そっと言った。
「なんだ」
ルーファウスは、短く答え、ツォンを見上げた。
だが、首に痛みが走り、眉を寄せる。
楽なようにベッドの背もたれをあげ、そこに寄りかかってはいたが、首を動かせない状況で、目だけでツォンを見上げるのもきつい。
指で、ツォンを呼ぶと、すぐにツォンは理解したらしく、近くにあった椅子を引き寄せた。
「失礼します」
と言い、椅子に腰を下ろす。
だいぶ近くなった顔を、ルーファウスは、見つめた。
その顔は、記憶にあったものよりも、少し、頬がこけ、痩せたようだった。
「任務に失敗しまして、申し訳ありませんでした」
ツォンが言う。
「ああ。……死んだと、思っていた」
「はい」
「どこで、なにをしていた」
「リーブ部長が……」
ツォンの口から出た、意外な名前に、ルーファウスは目を瞬いた。
「リーブ?」
「はい。リーブ部長がケットシーで助けてくださいました」
「……あいつ……!……」
ルーファウスは、思わず、唸るように言った。
「あの男、なにも言わなかったぞ。おまえが生きていることを、一言も、だ!」
だが、そこでふと、思い出す。
(『黒い毛並みの護衛犬にかみ殺されかねませんから』)
ルーファウスは、ツォンの黒い髪を見上げた。
そこで、思わず、くっと笑った。
「社長?」
ツォンがいぶかしげに、目を瞬く。
「まあいい……よく、戻ってきた」
「……はい」
かすかな笑みを浮かべたツォンに、指で、もっと近くにこい、と指示をする。
ツォンは、いぶかしげな顔をしながらも、ルーファウスの方に、身をかがめた。
「もっとだ」
「は?」
「私は動けないんだ。もっと近くに寄れ」
「は、はあ……」
とまどったような顔をしながら、さらに、ツォンが身を寄せる。
だが、その顔の近さに、あわてて、身を起こそうとする。
ルーファウスは、包帯を巻かれた右手をあげ、ツォンのネクタイを掴み、ぐいと引き寄せた。
そして、少しだけ首をあげ、ツォンの唇に、自分の唇を押し当てた。
「!!」
ツォンの目が丸くなる。
だが、同時に、ムチうちに痛む首が悲鳴をあげ、ルーファウスは、呻いて、そのまま、ベッドに倒れ込んだ。
「しゃ、社長?!大丈夫ですか?!」
ツォンが、あわてて腰を浮かせる
その姿を見上げ、ルーファウスは、フンと鼻を鳴らした。
「まったく、無粋な男だな」
「は……?」
「大丈夫ですか、ではないだろう」
ツォンが、とまどったように、ルーファウスを見つめる。
「私が痛む首を我慢してまで、キスをしてやったんだ。ちゃんとしたキスを返すくらいのことはしろ」
ツォンが、絶句して固まる。
ルーファウスは、しばらくその様子を見ていたが、やがて、ふと肩をすくめた。
「………別に無理にやれ、とは言わん」
そっけなく言い、目をそらす。
「い、いえ、そういうわけでは……」
ようやく、口をきけるようになったらしい、ツォンが、あわててつぶやいた。
そして、ためらいがちに、ルーファウスの顔をのぞきこんだ。
「あの……社長」
「なんだ」
「……理由をお聞かせ願えますか?」
「理由など必要なのか」
「いえ……その」
ツォンが、口ごもる。
「そんなもの、決まっているだろう。したかったからだ」
ツォンが、目を瞬く。
ルーファウスは、横目でツォンを見ると、小さく息をついた。
「もうすぐ、世界が終るかもしれない。そのときになって後悔しても遅い。だから、今のうちに、欲しいものは欲しいと言っておくことにした。それだけだ」
「………欲しい、とおっしゃいますと……?」
ルーファウスは、あきれ返って、ツォンを見上げた。
「ツォン」
「はい」
「おまえは、タークスだろう?」
「は?……はい」
「そんなに人の気持ちがわからんで、よく諜報員などがつとまったな」
「……申し訳ありません……」
「さっき、私は何をした?」
「………キスを……」
「そうだ。それがどういう意味かわからんのか、ばかもの」
ツォンが、まじまじとルーファウスを見つめる。
「………あの、本当……でしょうか」
「じれったい男だな。私が誰彼かまわず、キスをしかける男だとでも思うのか」
実際には、それに近いことをやっていたこともあるが、それはこの際おいておく。
「いえ、そんなことは……!」
ツォンが、あわてて言い、そして、ルーファウスを見つめた。
「…………では、本当に……」
「ああ。おまえが欲しいと言っているんだ、私は」
そのときのツォンの顔は見ものだった。
目が丸くなり、頬がさっと紅潮した。
この男がこんなに表情を変えたのは、初めて見た、と思う。
ツォンもそのことはよくわかっていたのだろう。
右手が、あわてたようにあがり、口を覆った。
「……本当ですか……」
「なぜ、信じない」
思わず、ルーファウスは笑った。
「社長が、まさか……そんなことを……」
ツォンが、しどろもどろに呟く。
「おまえは、私をなんだと思っているんだ」
ルーファウスは、あきれて言った。
「私だって、誰かを好きになることくらいある」
「それは、よく、わかっておりますが……」
「それに、好きになれば、キスもしたくなれば、寝たくもなる」
「……そ、そのようなことをおっしゃっては……!……」
「あーうるさいな、おまえは。私を人形かなにかだとでも思っているのか」
「いえ、そんなことは!……ただ、社長は、私にとっては、大切にお守りすべき方で……」
ルーファウスは、フンと鼻を鳴らした。
「だから、四年半、手を出しもしなかったのか」
ツォンは、言葉に詰まったように、口を閉じた。
「おまえは、私に気があったのではなかったのか?」
「そ、それは……その、その通りですが……」
「それなのに、四年半だぞ、四年半!毎日、チェスだけだ。手も握ろうとしない。おまえはそれでも男か」
ツォンは、目をみひらいた。
そして、何か言いかけ、だが、なんと言っていいかわからぬように、口を閉ざし、そのまま呆然とルーファウスを見つめる。
「私が気がついていないとでも、思っていたか、ばかもの」
「申し訳……」
「申し訳ありません、は、聞き飽きたわ」
ルーファウスは、フンと鼻を鳴らした。
ツォンは、しばらく、その様子を見つめていたが、やがて、顔をそっとルーファウスに寄せた。
「社長」
囁くように言う。
「なんだ」
「もう一度……チャンスをください」
ルーファウスは、ちらとツォンを見上げた。
「お願いします」
ルーファウスは、苦笑すると、小さくうなずいた。
ゆっくりとツォンの顔が近づいてくる。
なるべく、ルーファウスの身体に触れないように、細心の注意を払いながら、身体を寄せ、やがて、そっと、唇が重なった。
温かい唇だった。
しばらく、それは、そこにとどまっていたが、やがて、優しく、ルーファウスの唇の輪郭をたどるように、動き始めた。
輪郭をたどりながら、柔らかく吸われ、閉じた唇を優しく開かれる。
穏やかな、愛撫を繰り返すような口づけに、忘れかけていた官能を呼び覚まされ、ルーファウスは、うっとりと目を閉じた。
入ってきた舌が、そっと、ルーファウスの舌にからめられる。
ルーファウスが、それに答えると、一瞬、ツォンの動きが止まった。
だが、次の瞬間、ツォンの唇が、かみつくように、深く重なった。
唇を吸われ、舌をからめられ、次第に激しくなる口づけに、息があがる。
「ん……」
息苦しさに、思わず声をあげると、あわてたように、ツォンの唇が、離れた。
ようやく唇を解放され、ルーファウスは、荒い息をつきながら、ツォンを見上げた。
「すいません。つい……」
あわてふためいた様子のツォンを見て、ルーファウスはくっと笑った。
「おまえ……こういうキスをする男だったのか」
「……は?」
「なんというか……もっと、あっさりした男かと思っていた」
「そ、それは、申し訳……」
「いい。嫌だったわけではない」
あわてて謝ろうとしたツォンを遮って、ルーファウスは、笑った。
そして、もう一度、ツォンのネクタイを掴み、引き寄せると、耳に口を寄せた。
「悪くなかった」
ツォンの頬が、また、さっと紅潮した。
それを見ながら、ルーファウスは、からかうように言った。
「本当は、続きをやりたいところだが……さすがにこの身体では無理だな」
ルーファウスの言葉に、ツォンの頬が、さらに、紅潮する。
「社長……な、なにを、おっしゃるんです……!」
「なんだ、おまえは、私が欲しくないのか」
「いえ、それは、あの……」
ルーファウスは、じっと、ツォンの黒い瞳を見つめた。
ツォンの喉が、小さく鳴った。
「………それはもちろん……許していただければ……」
「許す」
ルーファウスは、そう言って、笑った。
ツォンは、しばらく見とれるように、ルーファウスを見下ろしていたが、また、そっと顔を近付け、ルーファウスの唇に優しくキスを落とした。
「今は、無理だぞ」
「……はい。わかってます」

星から噴き出したライフストリームによって、メテオが破壊されたのは、その三日後のことだ。
だが、それは、新たな悲劇の始まりでもあった。

END

2011年5月29日 up

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