そのイリーナの反応で、予想はついてもよかったのだ、とツォンは、内心でため息をつきながら、道の向こうからやってくる二人連れの少女を目にし、思わず身構えた。
「うわ、かっこいー」
「モデル?」
案の定、すれちがった瞬間、その二人連れの少女の声が耳に入り、ツォンは、また、深くため息をついた。
イリーナに言われて、注意してみれば、すれ違う女性は、ほとんどすべてがルーファウスにちらりと目をやり、次の瞬間、決まって、目を大きく見開いて、ルーファウスを見つめ直した。
ルーファウスの見た目が、女性たちにとって、非常に好ましいものであることは、よくわかっている。
だが、ルーファウスを守らねばならないツォンとしては、泣きたい気分だった。
ただ、女性たちの熱い視線を浴びているだけならいい。
だが、ツォンとしては、常に、その女性たちの中に、ルーファウスを神羅の社長と知って、恨みを抱いて近づいてくる者がいるかもしれない、という前提にたって行動しなければならないわけで、先ほどから、ピリピリし通しなのである。
正直言って、警護をしていて、これほど神経を使ったことはなかった。
ルーファウスは、自分が注目されていることに気づいているのか、いないのか、まったく注意を払う様子もなく、歩いていく。
「お疲れではないですか?」
ツォンは、少し、人が途切れたあたりで、そっと話しかけた。
「いや、おもしろい」
ルーファウスは、満足そうに言った。
「大きな通りは、中心の広場から3本だな。ミッドガル方面と、カーム方面、南に行く道はジュノン方面か?」
「はい。WROがジュノンから、資材を運んできておりますので、この道は、ジュノンまで、かなり整備が進んでいると聞いております」
「なるほどな」
ルーファウスは、そこで、足を止めた。
そして、左に入って行く細めの道を覗き込む。
その道の両側にも、びっしりと建物が建っているが、いかにも、雑然とした様子が見て取れる。
「裏通りか。見てみよう」
無造作に、その道に足を踏み入れようとしたルーファウスを、ツォンはあわてて止めた。
「少し、お待ちください」
そして、 口元のマイクでレノを呼び出す。
「こちらが見えるか」
『見えるぞ、と』
「この道は、安全か?」
『うーん……そこより、一本先を左に入る道の方が、安全だぞ、と』
「なら、そこでいい。先に行って安全を確認しろ」
『了解だぞ、と』
視界の隅で、服装といい、態度といい、見事にエッジの街に溶け込んでいる、赤毛の部下が道の反対側を足早に歩いて行くのが見えた。
「この先の道が安全なようですので、そちらに」
ツォンの言葉に、ルーファウスは軽くうなずいた。
レノの言った道は、裏通りとはいえ、それほど細い通りでもなく、人通りがまったくないわけでもなく、確かに危険ではなさそうだった。
エッジは、災厄のあと、勝手に増殖していった、いわば、場当たり的に発展してきた街である。
途中から、リーブが組織したWROが介入し、神羅が持っていた建築資材や機器を投入し、それなりにしっかりした街づくりを進め始めたが、ミッドガルから避難した人々が、自分たちが雨露をしのぐための家を作るのを、止めるわけにも行かず、結局、きちんとした計画を持って、建築物が作られているのは、メインの通りに面した一部分のみにとどまっていた。それ以外の部分は、災厄から二年以上がたった今でも、廃材を組みあわせて作ったような建物がバラバラと林立する、雑然とした、無秩序な街並みが続いていた。
そしてまた、そのような場所は、犯罪の温床にもなるわけで、WROの自警団が、やっきになって治安を維持しようとしていたが、なかなか、うまくは行っていないのも、また事実だった。
「リーブもここまでは手が回らんのだろうな」
「そうですね」
興味深そうに、廃材を組み合わせたような、家々を眺めながら、ルーファウスは歩いて行く。
ところどころに、小さな店や酒場もあり、人通りがないわけではない。
だが、ツォンは、メイン通りを歩いていたときよりも、緊張感を高めていた。
といっても、神羅の社長だと見破られることは、もう、それほど心配はしていなかった。それよりも、ルーファウスが、こんな恰好をしていても、一目で、それなりの階級にいる人物だとわかってしまうことが心配だった。
姿勢ひとつで、その者の階級がわかる、とはよく言われるが、ルーファウスはまさにそうで、幼い頃から上流階級のマナーを叩き込まれてきた御曹司らしく、その姿勢はもちろん、歩き方や、ひとつひとつの仕草にも、なんともいえぬ優雅さがあるのである。
人通りの多いメイン通りでは、女性たちの視線をくぎ付けにするだけで済んだが、裏通りでは、好ましくない人種に狙われる可能性も高くなる。
ツォンは、メイン通りでは、なるべく己の存在を消し、人ごみに紛れるようにしてルーファウスを警護していたが、裏通りに入ってからは、わざといかにも護衛然とした態度で、傍らに寄り添った。
「レノ、どこだ」
『少し、先にいるぞ、と』
「よし。イリーナ、ルード、少し近づけ」
『了解』
そんな部下たちのやりとりには、関心を払わず、ルーファウスは、のんびりと歩いて行く。
ふと、何やら、変わった外装の建物が現れ、ルーファウスは、首をかしげるようにして足を止めた。
廃材を組み合わせて作ってある点は、他の建物と同じだが、色合いといい形といい、可能な限り派手で、人目を引くような作りになっていた。どことなく、ゴールドソーサーにでもありそうな雰囲気、とでも言ったらいいだろうか。
「これは、なんだ。店か?」
眉を寄せた、ルーファウスが、いぶかしげに言う。
その建物に目をやったツォンは、少し、奥まったところに掛けられた看板で、そこが、いわゆる、その手のホテルだということに気づいた。
なんと言おうかと悩み、結局、仕方なく、
「ホテルですね」
と、当たり障りのない返事を返す。
「ホテル?」
ルーファウスの眉が、さらに寄せられた。
それはそうだろう。ルーファウスが泊るようなホテルは、どこも超一流の高級ホテルである。こんな街の裏に建つ、うらぶれた建物がホテルと言われてもピンとこないだろう、と思う。
だが、ルーファウスは、納得したようにうなずいた。
「ああ、これが、ラブホテルか」
ツォンは、思わず固まった。
「なんだ。私が知らないとでも思ったか」
ルーファウスが、おもしろそうにツォンを振り返る。
「いえ……」
「まあ、見たのは初めてだがな」
ルーファウスは、軽く笑って、歩きだした。だが、
「おまえは、入ったことはあるのか?」
あっさりと聞かれて、今度こそ、ツォンは、絶句して足を止めた。
「……は?」
「ラブホテルだ。入ったことはあるのか?」
「は……いえ、その……」
しどろもどろになった、ツォンを見て、ルーファウスは、なにかに気づいたように軽く手を振った。
「ああ、勘違いするな。別に、妙な嫉妬などをしているわけではないから安心しろ」
これまた、あっさりと事務的に言われて、ツォンは、へたり込みそうになる。
普通に聞けば、これは、恋人として認めてもらっているから、嫉妬、などという言葉が出てくるわけで(たぶん)、嬉しいと思っていいはずだった。だが、ちっとも嬉しくないのは、なぜだろう、と泣きたくなる。
「ただ、中はどんな感じなのだろう、と思ってな。まあ、いい。レノあたり、詳しそうだな。あとで聞いてみよう」
淡々と言うルーファウスの後ろ姿を見て、思わず、何度目かのため息をついてしまうツォンだった。
だが、試練はそれで終わりではなかった。
すぐ、2、3軒となりも、地味な、街に溶け込むような外観ではあるものの、ラブホテルであることに気付く。改めて見回すと、この通りの、半分からこちら側は、どうやら、ラブホテルが集中しているらしく、この先にも明らかにそれとわかる建物が続いていた。
ツォンは、どうにもいたたまれぬ気分になりながら、レノに聞いた自分が間違いだった、と深く後悔したが、今さら、道を引き返すわけにもいかない。
ルーファウスは、そのことに気付いているのかいないのか、相変わらず、興味深げに街並みを見ながら歩いていたが、ふと、ツォンを振り向いた。
その目に、性質の悪い光が浮かび、頬に小さな笑みが浮かんでいるのに気付き、ツォンは、思わず身構えた。
いろいろな美点はあるものの、性格がいい、とだけは、さすがに、べた惚れに惚れているツォンも言えないこの上司が、こういう目をするときは要注意なのだ。それは、長い付き合いでよくわかっていた。
案の定、その、形のいい唇から洩れたのは、からかうような声だった。
「なんだ、入りたくなったか?」
その口調から、ラブホテルが軒を連ねていることも、それを見て、ツォンが、気まずい思いを抱いていることも、すべて、この上司にはお見通しだったことがわかり、ツォンは、心の中で深くため息をついた。
ルーファウスは、涼しげな美貌に、おもしろそうな笑みを浮かべて、ツォンを見ている。
そして、不意に、すっと顔を寄せた。
「私は構わんが。中も見れるしな」
囁くような声に、間近にあるルーファウスの顔を見下ろせば、身長差から、すくいあげるように自分を見あげる青い瞳とぶつかった。
その瞬間、ツォンは、思わず、小さく喉を鳴らしていた。
昨晩、腕の中で、快感に喘ぎながら、熱っぽく潤んだ瞳で見上げてきたルーファウスを思い出してしまったのである。
思わず反応しかけた下半身を意志の力で押さえこむ。
「……ご冗談を」
呟くように言ったツォンを見て、ルーファウスは、楽しそうに笑った。
□■□
何やら、丸めた、大きな紙をかかえたWRO局長リーブが、ヒーリンに姿を現したのは、その日の夜遅くのことだった。
エッジから帰ると、すぐに、ルーファウスは、ツォンに、「リーブを呼べ」と言い、「エッジの最新地図と、ミッドガル周辺の地形図を持ってこいと伝えろ」と付け加えて、自分は自室に篭ってしまったのだった。
「来たか」
ルーファウスは、執務室でリーブを迎えた。
「地形図は持ってきたか」
「はい」
「ここに広げろ」
リーブとツォンが、デスクの上にミッドガル周辺の地図を広げる。
「その上に、エッジの地図を」
リーブが、二枚の地図を重ねて置く。
ルーファウスは、しばらく、エッジの地図を眺めていたが、ペンを取り上げた。
「これが最新の地図か?」
「はい。一応そうなのですが、どんどん増殖していきますので、地図も追いつきません」
ルーファウスは、軽くうなずくと、その地図に、何本かの線を無造作に書きこんだ。
「今日の状況だ」
ルーファウスの言葉に、リーブが驚いたように、目を見開いた。
「エッジに行かれたんですか?!」
「ああ、行った」
「なんという無茶を……」
「別に、無茶でもない。私が神羅の社長だなどと気付いた者はいなかったぞ」
「たとえそうだとしても……」
ブツブツと言いかけたリーブを、軽く手を振って黙らせると、ルーファウスは、さらに何本かの線と、なにかの建物を表すらしい四角をいくつか書きこみ、地図から顔をあげた。
そこには、もともとあったものより、一回り大きく、放射状に広がる線もいくつか増えた地図ができあがっていた。
ツォンは、驚いた。
たった半日、歩いただけで、この人はこれだけのものを見てとったのかと、と思う。
ただ、エッジを見物し、いろいろな店を見て回っているだけだと思っていたが、おおよその街の形状をしっかりと把握していたのだ。それにしても、メモもとっていなかったはずなのに、これだけのものを覚えていることに驚く。
リーブも同じように驚いたらしく、目を丸くしていたが、やがて苦笑混じりの声で言った。
「相変わらず、すごい記憶力ですね」
ルーファウスはそれには返事をせず、腕を組んで、自分の書いた地図を見下ろした。
「リーブ。エッジの再開発はするのか」
「考えてはおりますが、もう、好き勝手に増殖し続けていますので、どうにも」
「だろうな」
ルーファウスは、あっさりと言った。
「ハイウェイを作る」
「ハイウェイ、ですか」
「ああ、エッジと主要都市をつなぐハイウェイだ。そのハイウェイランプから、エッジに道を通す。はじめは、エッジの道を整備し直そうかと思ったが、あれは、しばらくは無理だ」
ルーファウスの長い指が、地図の一点を指さした。
「ここに、ハイウェイランプを作る」
リーブが、腕を組み、じっと地図を見つめた。
ルーファウスの指が地図を滑り、エッジの東端で止まった。
「ここと、ハイウェイランプを結ぶ。そして、ここを基点に、エッジを囲む環状道路を、まず作る」
指が、エッジを囲む円を描き、南端で止まった。
「エッジは、東西に長い。この環状道路の南端と、今のエッジの南端には、まだスペースがある。ここを区画整理し、街を作る。そして、そのまま、ジュノン方向に発展させる。今のエッジは、とりあえず、そのままだ」
リーブは、腕を組んだまま、しばらく考え込んだ。
やがて、小さくうなずいた。
「地形的には、まったく問題はありませんし……そうですね、いいお考えだと思います。ですが、残念ながら、WROでは無理です。そこまでの大事業はできません」
ルーファウスは、小さく笑った。
「WROでやれ、とは言っていない」
「と、おっしゃいますと?」
「私がやる」
リーブは、目を見開いて、かつての上司を見つめた。
「………それは……」
「ああ。神羅でやる」
リーブは、あっけにとられたように、ルーファウスを見つめ、首を振った。
「それこそ、無茶だ。神羅が、世間からどう見られているか、ご存じないわけではないでしょう?」
「もちろん知っている。私が、世紀の極悪人扱いされていることもな。だがな、そろそろ、営利至上主義の企業理論が戻っていいはずだ。甘やかしてばかりでは、世界は進んでいかない」
「それは、そうですが………」
リーブは、再び、首を振った。
「これは、ボランティアではない。完全に、営利事業として行う。雇用も増えるし、健全な経済活動が始まる。悪いことではあるまい」
「それはそうですが………神羅はまずいですよ。せめて……企業名を変えるとか」
ルーファウスは、鼻で笑った。
「そんなことをしたところで、すぐにばれる。隠していてばれれば、そのダメージは非常に大きい。だが、隠さず、出ていれば、初めから叩かれるだけですむ。もう、うちのイメージは、落ちるところまで落ちているんだ。失うものはなにもない」
リーブは、指を額に当て、考え込んだ。
「ですが、神羅カンパニーの名では人は集まらないですよ」
「そうだろうな」
あっさりと言ったルーファウスに、リーブは、眉を寄せた。
そして、ハッと何かに気づいたように、ルーファウスを鋭く見つめた。
「WROの名は貸しませんよ」
ルーファウスは、くっと笑った。
「名などいらん。人材を貸せ」
「………は?」
「元神羅の有能な連中を、全部、おまえのところに回してやっただろう?」
ルーファウスは、星痕症候群を患いながら、神羅カンパニーを事後処理をきちんとすませていた。
その中には、元社員に、残りの給料と退職金を支払い、リーブの元に送り込む、という、気の遠くなるような煩雑な作業も含まれていたのである。
「あの連中を貸せ」
「いまさら、神羅に戻せと言われましても……」
リーブが、渋い顔で言いかけるのを、ルーファウスは手を振って、さえぎった。
「誰が、神羅に戻せと言った。WROで株式会社を作れ。そこに、連中を移せ」
「株式会社……ですか」
「ああ、そうだ。WROも出資しろ。その企業で、環状道路を作り、ハイウェイを作る」
「つまり、その経営を、社長がされると?」
「いや、私は出資して株主になるだけだ」
眉を寄せて、考え込んだリーブを横目で見て、ルーファウスは、椅子に座った。
足を組み、ひじ掛けにのせた両手を軽く組む。
しばらく、そのままリーブの様子を見ていたが、やがて「リーブ」と静かに声をかけた。
「おまえが、なにを心配しているかはわかるが、とりあえず、それは先の話だ」
リーブは、ルーファウスにあきれたような目を向けた。
「やはりいずれは、乗っ取るおつもりなんですね。人材を貸せ、もなにもないではありませんか。結局、WROの人材をまた、神羅に奪われるだけのことだ。それがわかっていて、私が、その片棒を担ぐとお思いですか?」
「乗っ取るだの、奪われる、だの、物騒だな」
ルーファウスはくっくっと笑った。
「そんなことは、先になってみないとわからんだろう。とりあえず、私が、今、やりたいのは、世界に、健全な経済活動を戻すことだ。これは、おまえも同じだろう?」
「まあ……そうですが」
「それがなければ、世界は復興していかん。そのための一歩だ。悪い話ではないだろう?」
リーブは腕を組んで、再び、考え込んだ。
ルーファウスは、小さく吐息をついた。
「それなら聞く。他に手はあるか?WROだけではできない。もちろん、うちだけでもできない。それであれば、手を組むしかない。だが、WROは、表向きは神羅と組むことはできない。そうだろう?」
「はい」
「だが、WROが作った企業への投資、という形であれば、誰も文句は言えない。もちろん、株主は誰でもなれる。他企業はもちろん、エッジの一市民だってなれるんだ。もちろん、初めから筆頭株主などにはならんから安心しろ」
リーブは、唸るような声を出した。
だが、ふと、顔をあげた。
「あなたの名義で株主になられるおつもりですか?」
「名を隠したままでは、フェアではないからな」
「………いいんですか?」
ルーファウスは、小さく笑った。
「いつまでも、逃げ隠れしているのは性に合わん」
「世間が納得するでしょうか」
「するもしないも、発起人はおまえだ。私は、経済復興のために資金を出すだけだ。出す先は、企業になるが、WROに資金提供していたことと、表向きは、なんら変わりはない」
「ですが……二年以上、あなたは表舞台に立たなかった。そのことも非難されますよ」
「星痕症候群闘病記でも、出版するさ」
ルーファウスは、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「少しは同情も集まるだろう?」
リーブはとうとう笑い出した。
「………あなたという方は……」
「えげつない、と言いたそうだな」
「忘れていましたよ。あなたは、本来、そういう方だった」
「失礼な奴だな」
リーブは、笑った。
そして、吐息をつくと、うなずいた。
「いいでしょう。確かに、方向転換してもいい時期かもしれません。WROもこのままの形で、この先、ずっといけるわけではないですしね」
ルーファウスは、椅子から立ち上がった。
そして、リーブに右手を差し出す。
リーブは、とまどったように、その手を見つめた。
「どうも………その……」
「なんだ」
「あなたにこういうことをされますと……」
「おまえはWRO局長、私は神羅カンパニーの社長だ。これがふさわしいと思うが」
リーブは、意を決したように、右手を出し、差し出されていたルーファウスの右手を軽く握った。
「商談成立だな」
ルーファウスは満足げに笑った。
だが、リーブは、ため息をつくと、力なく首を振った。
「また、あなたにしてやられた気もしてますがね、私は」
ルーファウスは、眉をあげた。
「相変わらず、あなたは口がうまい」
「おまえも、相変わらず、頑固だな」
ルーファウスは、そう言うと、軽く笑った。
「ツォン」
リーブが帰り、デスクの上の地図を片づけていたツォンは、名を呼ばれ、顔をあげた。
「はい」
「無名の、いいライターを探せ」
デスクに両肘をつき、両手を組み、何やら考えていたルーファウスが言った。
「……本当に、闘病記を出されるおつもりなんですか?」
「当たり前だ。私は冗談など、言わん」
ルーファウスは、皮肉めいた笑みを頬に浮かべた。
「女に受けそうなものを書けるライターを探せ。どうやら、私の顔は、女受けするようだからな。せいぜい煽って、同情を集めるぞ」
ツォンは、思わず苦笑した。
ルーファウスは、エッジの街で、自分が女性たちの熱い視線を浴びていたことに、ちゃんと気づいていたのだった。あるいは、初めから、その辺りの目論みもあったのかもしれない、とすら思う。
二年間の、つらく、苦しい闘病生活の中で忘れていたが、したたかで、現実的で、自分の持つ力を最大限に生かし、勝負に挑んでいく、それが、本来のルーファウスだった。そんなルーファウスにとっては、自分の容姿すら、目的を達成するための材料にしか過ぎないのだ。
「だが、まあ、その前に、どこかの雑誌社の記者だな」
「雑誌、ですか」
「ああ、おまえの昔の知り合いで、信頼できる記者はいないか?」
ツォンは、眉を寄せた。
タークスという仕事柄、情報屋や、記者といった人種とは、いろいろな意味で関わることが多かった。
「何人かおりますが、今、どうしているかはわかりません。すぐに探します」
「頼む。スクープをやる、と言え。ただし、私のことは一切、言うな」
「はい……ですが、なにをなさるおつもりですか?」
「私が世間に出る足掛かりを作ってもらう」
ルーファウスは、何を思うのか、ツォンを見つめ、不敵に笑った。
「おもしろくなるぞ」
その顔は、かつての、ルーファウス神羅そのもので、ツォンは微笑んで、頭を下げた。
この先、ルーファウスが歩く道は、困難とスリルに満ちたものになるだろう。
これは再出発ではない。
資産は有り余るほど、まだ残っているとはいえ、祖父と父親が作り上げた基盤をすべて喪い、0からの出発といっていい。
いや、0ですらない、マイナスからの出発ともいえた。
なぜなら、ルーファウスの再出発には、まずは、世間からの冷たい洗礼を浴びることになるだろうからだ。そしてそれは、かなり手酷いものになるだろう。
そのすべてから、この、何よりも大切な人を守りたいとツォンは思った。
強く不屈の精神を持つルーファウスだが、その奥底には、表には絶対に出さずにしまわれている、柔らかく感情豊かな心があることを、ツォンは知っている。
その心を傷つける、すべてのものから、守りたかった。
ツォンは、ルーファウスを見つめた。
「どこまでも、お供します」
ツォンの言葉に込められた、強い想いに気づいたのか、ルーファウスは、ふと笑みを消した。
蒼く澄んだ瞳が、ツォンをまっすぐに見つめた。
やがて、その唇が、ゆるやかに笑みを浮かべた。
だが、その笑みは、先ほどまでの、不敵で、挑戦的なものではなかった。
優しく、愛情に満ちた、穏やかな笑みだった。
「ああ……そばにいろ」
「はい」
ツォンもまた、微笑んだ。
END
2011/7/8 up