Judgement 1

『社長。シスター・レイ、準備完了です』
雑音のひどい社内通話用の無線から、都市開発部門の総括部長、リーブの声が響いた。
ルーファウスは立ちあがり、社長室をぐるりと取り囲むように埋め込まれた巨大な窓ガラスに近づいた。
ここ、神羅本社ビルの70階にある社長室からは、ミッドガルの街がすべて見渡せる。
八番街の方向に目をやれば、突貫工事で据え付けられた、巨大な砲台が見える。
シスター・レイ。
要塞都市ジュノンから空輸されてきたこの砲台は、魔晄エネルギーを大量に打ち出せるように改良され、ミッドガルにあるすべての魔晄炉と直結された。
その巨大な砲身は、ぴたりと北方に向けられている。
その先にあるのは、北の大空洞だ。
ルーファウスは、北の方角を見据え、その遥かかなた、大空洞に眠る、強大な敵を睨み据えた。
セフィロス。
すでに人ではないものになり変ってしまった、かつての英雄。
そう、もう、彼は敵だ。
彼、とさえ呼べない、モノ。
一瞬、脳裏に、この世のものとは思えぬほど、美しく輝く青い瞳が浮かぶ。
魔晄を浴びた者の徴である、鮮やかで、まるで、それ自体が光を帯びているかのような青い瞳。
だが、その明るい輝きとは裏腹に、その瞳は常に、底知れぬ冷たさを湛え、沈鬱に沈み込んでいた。
それが、どうしても癒されぬ孤独ゆえであったことを、ルーファウスは知っている。
そしてまた、その冷たい瞳が、激しく他者を欲し、熱を帯びることがあること、そして、時として、驚くほど優しい光を浮かべることがあることも、また知っていた。
何度も、その瞳に、間近からのぞきこまれ、抗いようのない力に翻弄された。
(ルーファウス……)
耳の奥に残る、深い声。
目を閉じれば、まざまざと、その、少し皮肉めいた響きのある声が、その手が触れた感触が、そして、その腕に強く抱きしめられ、味わった官能さえも、よみがえる気がする。
(ルーファウス……)
懐かしい ―――― だが今となっては、すでに遠く、過去のものとなったその声――――。
ルーファウスは、目を開いた。
そして、北を睨み据える。
セフィロスではない。
あれは……ジェノバだ。
「よし……撃て」
『はい』
リーブが短く答える。
やがて、ドンッ……という、地の底から突き上げるような音が響いた。
床が激しく振動し、窓ガラスがビリビリと音を立てる。
その瞬間、緑色の光の束が、ミッドガル上空に打ち出された。
本来、魔晄は、淡い緑色をしているのが常だ。
だが、ヒュージマテリアで増幅され、高濃度のエネルギー集合体として打ち出された魔晄エネルギーは、鮮やかな深い緑色の流れとなって、北の方角へまっすぐに突き進んでいく。
ルーファウスは、目を細め、その軌跡を見守った。
『発射成功です。大空洞到達まで、あと15秒』
冷静なリーブの声が無線から流れ出る。
『10秒』
もはや、緑色の光は見えない。
だが、ルーファウスは、じっと魔晄が消えた先を見つめ続けた。
『6秒…5…4…3…2―― 1』
リーブの声が一瞬、途切れる。
『着弾確認』
「どうだ」
無線の向こうで、慌ただしく動く気配がする。
やがて、リーブの、わずかに明るさを含んだ声が響いた。
『……命中です…!」
だが、ルーファウスは、表情を変えぬまま、短く言った。
「殺したか?」
『……そこまではまだ確認できません……ですが、エネルギーの拡散は見られましたので、確実に命中はしています』
ルーファウスは、空を見上げた。
見慣れてしまった、赤黒く、禍々しく光る凶星メテオ。
セフィロスが発動させたものであるならば、セフィロスを倒せば、このメテオも消滅するはず。そして、メテオに対抗するために星が生み出したらしい、おぞましいモンスター、ウェポンも消滅するはず。
まったく単純な理論だが、それしか残された手がない、というのが正直なところだった。
空に浮かぶ凶星に変化はない。
『………北の大空洞は激しい爆発を起こした模様。氷壁が崩れ落ちています。偵察ヘリが内部に向かっています』
だが、次の瞬間、無線の向こうでリーブが息を呑んだ。
「どうした?」
『……セフィロス!』
リーブの声が、絶句したかのように途切れる。
『……ヘリからの映像が……セフィロスは……生きています…!』
「当たらなかったのか?」
『いえ、周りの氷壁は激しく崩れおちていますから、当たってはいます……。ですが、セフィロスが眠る氷壁は、無傷です……!』
リーブの声が、絶望をにじませる。
ルーファウスは唇を湿し、北の空を睨み据えた。
「……もう一度だ。いつ撃てる?」
無線の向こうで、一瞬押し黙る気配がする。
『――まずは砲身を冷却しないとなりません』
「しなければどうなる?」
『爆発します。エネルギーが莫大なものですから、ミッドガルも無事では済まないかもしれません』
ルーファウスは、唇を噛んだ。
「わかった。では、早急に冷却しろ。どんな手を使っても構わん」
『はい…!』
無線が切れると、しんとした静寂が、室内を満たした。
ルーファウスは、窓ガラス越しに、巨大なミッドガルの街を見下ろした。
祖父と父親が作り上げた、歪んだ、不健康な街。
常に人と車と、鮮やかな輝きに溢れていた大都市ミッドガル。
だが、いまそこには、ほとんど動くものの姿はない。
おそらくほとんどの者は、郊外の家に帰宅したか、あるいは、そこから他の街に避難を始めているのだろう。
次第に近づいてくるメテオの脅威は、日増しに激しくなっていて、その強い風と、おそらくメテオの力によって地殻までが動くのか、時おり起こる地震によって、この鋼鉄の街は、危険な場所になっていた。
もっとも、ミッドガルを逃げだしたところで、メテオの災厄からは逃れられはしない。
だが、それでも、この鋼鉄の街にいるよりは、と、人々は逃げる。
自分と、そして大切な人を守るために。

不意に、無線がカチリ、と音を立て、ルーファウスは我に返った。
『社長、問題が。シスター・レイにエネルギーが充填されています。このまま充填し続ければ爆発します』
「なぜだ」
『宝条が、勝手に動かしています。目的はわかりません』
「宝条だと……?魔晄炉を止めろ。それで抑えられるだろう」
『やってみましたが、宝条がシステムを切り替えたようで、ここからは操作できません。シスター・レイに直接乗り込まなければ、止められません』
「ソルジャーでもタークスでもいい、向かわせろ」
『はい。それから、クラウドに協力を要請してもいいでしょうか?いま、ミッドガルにいます』
ルーファウスは、眉を寄せた。
クラウド――敵か味方か、と言えば、敵である。
ルーファウス自身でさえ、戦ったことがある相手だ。
だが、決断は早かった。
今はそんなことを言っている場合ではなかった。
「よし、要請しろ。使えるものはなんでも使え。宝条などに構っている暇はない」
『はい。了解しました。……それから、……社長』
「なんだ」
『念のため、避難してください。……お願いします』
最後の「お願いします」は、おそらくルーファウスが拒否することを見越しての言葉だろう。その通り、そんなことを受け入れるわけにはいかなかった。
「何を言っている。いま、私がここを離れるわけにはいかない」
『社長には、安全な場所で指揮をとっていただかないと困ります。ヘリはもう嵐がひどくて飛ばせませんので、お車で避難をお願いします。タークスにお迎えに行かせます』
「私は避難などする気はない。くだらんことを言っていないで、さっさと宝条を止めろ。シスター・レイの準備を整えろ」
『そうはまいりません。クラウドが間に合わなければ、ここは爆発するかもしれないんです。それに、ウェポンが一体、ミッドガル方面に向かっているという情報も入ってきています。お願いです。避難してください』
「それなら、なおさらここを動くわけにはいかない。ウェポンを倒せるのは、このシスター・レイだけだ」
『わたしが残ります。ですから社長は、いったん避難をお願いします』
「くどい。何度、同じことを言わせる」
ルーファウスは、目を鋭く細めると、鞭のような声で言った。
ルーファウスは、一見、人形のように整った、どちらかと言えば中性的な顔立ちをしている。
子供の頃は、それこそ、少年というよりは、美少女といった方がいいような面立ちをしていたのである。
だが、それを裏切るのが、切れ長の目と青く冷たい輝きを持つ瞳だった。
とくに、こんな風に、目を細め冷たい表情を浮かべると、途端に、その人形めいた相貌は一変し、酷薄で苛烈な雰囲気を漂わせた。
それを見る者は、みな、一様にたじろぎ、思わず首をすくめたくなる気分になるのが常だった。
それほど、ルーファウスが怒りを爆発させたときの激烈さは、周囲の者には知れ渡っており、それは、二十以上も年の離れた、古参の幹部たちも同じだった。
もちろん、それは、このリーブにとっても同じことである。
だが、リーブは引き下がらなかった。
『なんと言われようと、社長には生き延びていただかなければなりません。……世界の復興のためにも』
ルーファウスは、眉を寄せ、険しい表情で、しばらく黙り込んだ。
だが、やがて、吐息をつくと、苦笑を浮かべた。
「おまえも頑固だな」
『……誰かが言わないといけないことですから……怖がってなどいられません』
リーブの言葉に、ルーファウスは笑った。
「だがな、リーブ、わたしは誰だ」
『……神羅カンパニーの社長です』
「そうだ。そして神羅の社長には、この街を作った者として、この街と住民を守る義務がある。そしてもう一つ。セフィロスを作りだした者として、いまのこの事態を収拾する義務がある。その責任を果たさなければならない。わかるか?」
『それは、わかります。ですが……亡くなってしまえば、その責任も果たせないのではありませんか?』
「それは詭弁だな。後で責任を果たすために、今、逃げる?そんなのは、卑怯な言い訳だ。まだ、打つ手はある。できることがある限り、私はここに残る」
『ですが……』
リーブが、一瞬、口ごもる。
「わかっている。勝率は少ないだろうな。もう打つ手がなくなったら逃げるさ。玉砕する趣味はないからな」
 無線の向こうで、リーブがため息をつく。
『……本当ですね……?もうだめだとなったら避難してくださいますね?』
「当たり前だ。ミッドガルと心中するとでも思うのか?冗談ではない。死ぬつもりなど、まったくない」
『…………わかりました』
しぶしぶといったリーブの声に、ルーファウスは、小さく笑った。
「なんだって、そんなに私の命を心配するんだ」
『自分の社のトップを心配したら悪いですか』
リーブの声に、心外だという響きが混じる。
「いや、悪くはないが……おまえはもっと、野心家かと思っていた。私がいなくなったら、自分がとって変わるくらいのことは考えていると思ったが」
『そんなことは……!』
絶句したリーブに、ルーファウスは軽く笑った。
「別にそうだとしても構わん。というより、それくらい思っていてくれないと困る」
『社長』
困り切ったような声に、ルーファウスは、もう一度笑った。
『それに……頼まれているんですよ』
リーブが、ぶつぶつという。
「頼まれた?なにをだ」
『社長を頼みます、と言われましたのでね。あんなカミソリみたいな目をして言われたら、守らないわけにはいきません』
ルーファウスは眉を寄せた。
「……誰にだ?」
『あとでお教えしますよ。ここで私が、社長をみすみす死なせたとあっては、あの黒い毛並みの護衛犬にかみ殺されかねませんから』
(黒い毛並み……?)
護衛犬と言えば、ダークネイションくらいしか思いつかないが、あの忠実な犬は、二か月前に、ルーファウスを守り、命を落とした。
『では、とりあえず、ケット・シーに集中して、クラウドの様子を見ます。またご連絡します』
再び、冷静な都市開発部門部長の口調に戻ったリーブが言い、無線が切れた。

(打つ手はある、か)
そうは言ったものの、この状況で、凶星メテオに打ち勝つことのできる確率は何%程度あるのだろう。 何%もないのかもしれない、とも思う。
――――(さあ、見てごらん)
幼い頃、できたばかりのこの本社ビルに父に連れられてきた。
この窓から父と並んで、ミッドガルを見下ろした。
足元までガラスがはめ込まれたこの窓は、幼い自分にはとても恐ろしく、足がすくんだのを覚えている。
だが、父親は上機嫌だった。
――――(美しい街だろう?これが、いずれお前のものになるのだ――)
正直、ルーファウスには、この街が美しいとは、まったく思えなかった。
どこもかしこも、鋼鉄とコンクリートで囲まれた、武骨な街だと思った。
だが、そんなことを言えば、父親が激怒するのはわかっていたから、おとなしく「はい、お父様」と返すだけの知恵はもうつけていた。
もっとも、確かに、夜のミッドガルは美しかった。
煌めく街の明かりと、魔晄炉が時折吹きあげる、淡い緑色の光。
それは、この世のものとは思えないほど、美しいものだった。
おそらくもう、このミッドガルが、あの美しさを取り戻す日は来ない。
たとえ、この災厄を何らかの手段で切り抜けたとしても、魔晄炉はもう、その働きをすることはないだろう。
後に残るのは、鋼鉄とコンクリートの塊だ。
(親父、あんたのしたことの結果がこれだ)
だが、不思議なことに、そう思っても、すでに何も感じなくなっていることに気づく。
父親の生涯を賭けた作品であるこのミッドガルの崩壊を目の当たりにしているのだ。昔ならば、おそらく自分は、ざまーみろ、とすら思ったはずだった。
それほど、父親を憎み、反発し、そして恐れていた。
だが、今は、なにも感じない。
ただ、一抹の、寂しさがそこにあるだけだった。
『社長!』
不意に、無線からリーブの叫び声が響いた。
『ウェポンが!…ウェポンの攻撃がきます!』
「なに…?」
『光が……こちらに向かってきます!ミッドガルに!』
ルーファウスは、窓を振り返った。
『……ああ、まさか……!なんてことだ…ここまで届く…!!社長!早くお逃げください!』
ルーファウスは、窓の向こうを凝視した。
さえぎるものとてないこの社長室からは、ミッドガルの境界を超え、はるか遠くまで見渡せる。
やがて、遠くで、光が生まれた。
はじめは小さな点にすぎなかったそれが、瞬く間に大きく膨れ上がっていく。
それはまっすぐに、ここ、ミッドガルの中心にそびえる、神羅の本社ビルを狙ってきていた。
おそらくあと数秒――。
ウェポンは、星が自衛のために、自ら生み出した兵器なのだと聞いた。
(星に殺される、か…)
ルーファウスの唇に笑みが浮かんだ。
確かに、星の命ともいえる魔晄を吸い上げ、空からきた災厄ジェノバを復活させ――。
神羅がやってきたことは、星を怒らせるのに十分だろう。
(いいだろう。ツケは払ってやる)
いまや、光は、ガラス張りの窓、全面に広がっていた。
『社長!!』
リーブの叫び声が響く。
ふと、脳裏に、黒い髪に黒い瞳の男の顔が浮かんだ。
(そうか……おまえが待っているな)
ルーファウスは、かすかに微笑んだ。
最期に微笑みかけられる相手がいた、それだけで、もう十分だった。
すさまじいまでに白く輝く、光の束が、目前に迫っていた。
(私の命が欲しいなら、くれてやる)
ルーファウスは光を見据えた。
(私が神羅の社長、ルーファウス神羅だ!)
まっすぐに、己に向かってくる、死の輝きを見つめ、ルーファウスは、小さく笑った。
 

2011年5月28日 up

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