Shall We Dance?

 ヴィクトールの手に握られた、くじ引き用の棒を見た瞬間、教室中がしんと静まりかえった。
 毎年、この時期になると行われる恒例のくじ引き、それに使われるくじ引き用の棒も代々、士官学校に受け継がれてきている。
 そして、ヴィクトールの指がしっかり握りしめている棒の先には、これ以上ないくらい大きく描かれたドクロマーク……。
 その意味するところは、明白だった。
 これを引いた者は、ダンスの特別授業で、女役をつとめなければならないのである。
「げ……」
 誰かが、妙な声を出した。
 だが、おそらくそれが、この場に居合わせた者すべての心を現していただろう。
 ヴィクトールの顔が、みるみるうちに嫌そうに歪む。
 それを見つめながら、士官候補生たちは、一様にひきつった顔を教官に向けた。
 いっせいに向けられた非難の視線を受けて、教官もまたひきつった顔で辺りを見回す。非難されても、俺のせいではない! と叫びたいのを押し殺して、唾を飲み込み、口を開いた。
「あー……」
 ひっくり返り、異様に高い声が出る。だが、誰も笑うものはいない。
 教官は、あわてて咳払いをするともう一度、口を開いた。
「あー、その、これで、女役は全員、決まりか?」
 だが、その瞬間、再びナイフの様に鋭い複数の視線が突き刺さり、教官は、再び咳払いをすると、言い直した。
「……しかし、その、だな。クリューガーは……その……そう、身長が高すぎるんではないかな。この学年で一番高いから、いくら何でも厳しいな」
 士官候補生たちが、いっせいに、必死の面もちでうなずく。
 それに勇気づけられて、教官は言葉を続けた。
「やはり、身長差がありすぎると練習にならんしな。よし、もう一度……」
「いえ」
 だが、当のヴィクトールの、低い無愛想な声が教官の声をさえぎった。
 みなの顔が、再び引きつり、声の主に向けられる。
 だが、今度は、突き刺さるような視線を受けても、意に介するような相手ではない。案の定、無愛想な声は、そのまま、辺りに流れている空気などに、まったく頓着することなく、言葉を続けた。
「くじ引きですから。ここでやり直しては、公平さを欠きます」
 教官が絶句し、助けを求めるように周囲を見渡す。だが、ここで自分が助けを求めてどうする、と健気にも思い直し、ヴィクトールに向き直った。
「それは、そうだが……しかしね、クリューガー……」
 他の候補生の身にもなってみなさい、と思わず本音を言いそうになり、あわてて口を閉じる。言葉を探すうちに、ヴィクトールの無情な声が言った。
「身長が高いというなら、レンツもそうですよ。公平さを欠くようなことはしたくありません。くじ引きですから、従います」
 ヴィクトールは淡々と言うと、くじ引き棒を箱に戻した。
 他の士官候補生たちは、ほとんど涙目である。
 全員の顔に、「頼むから、従わないでくれ!」とはっきりと書いてあるが、そんなことに気づくヴィクトールではない。
「では、もう行ってもいいでしょうか?」
「……あ、ああ、よし」
 引きつった顔で答えた教官に、ヴィクトールは礼儀正しく一礼すると、いつものように背筋をすっと伸ばし、大股に教室を出ていった。
 その、いかにも男らしい後ろ姿を見送って、残された士官候補生たちは、いっせいに、ため息をついたのだった。

                  
「ユージィン!」
「……ユージィン!」
 ロッカールームで着替えていたユージィンは、自分の名が連呼されるのを聞いて、振り向いた。
 見れば、蹴り倒す勢いでドアを開けて、二人の士官候補生が息せき切って駆けつけてくるところだった。
 その二人が、ヴィクトールのクラスメイトであることに気づいた瞬間、何が起こったのかを、瞬時に悟る。だが、もちろん、そんなことを面に出すユージィンではない。 驚いたように目を軽く開き、二人を迎えると、わずかに首をかしげた。
「そんなにあわてて、どうしたんだい?」
 二人は、よほど急いできたのか、息をきらせて、ユージィンの人の良さそうな顔を見上げた。そして、前置きもなにもなく、いきなり言った。
「なあ、ユージィン。今回、どっちだ?」
「え?」
 ユージィンは、いぶかしげに聞き返した。
「どっちって?」
「だから、女役か男役かってことだよ」
 そこでようやく納得がいったような顔をし、にっこりと微笑んだ。
「ああ、ありがたいことに、男役だよ」
 二人の顔に、みるみるうちに安堵の色が広がる。
 そして、二人は顔を見合わせ、軽くうなずくと、一人が口を切った。
「なあ、頼みがあるんだよ」
「頼み?」
「うん、実は、うちのクラス、クリューガーが女役になったんだよ」
 ユージィンは、目を見開いた。
「へえ、ヴィクトールが? 初めてじゃないかい?」
「そうなんだよ。でも、背が高いし、教官も、もう一度くじをやり直そうとしたんだけど、クリューガーが、それでは公平さを欠きますとか言って……」
 ユージィンは、そこでくすりと笑った。
「ヴィクトールらしいね」
「いや、そうなんだけど、もう、みんな真っ青だよ。誰がクリューガーと組むのかって大騒ぎになって、で、もう一回、くじ引きしたんだが……」
 そこで、もう一度、二人が顔を見合わせる。
 そして、思い切ったように、ユージィンに向かって手を合わせた。
「ユージィン、頼む! クリューガーと組んでくれ!」
「え?」
 ユージィンは、心底驚いたように、目を見開いた。
「だって、おれはクラス、違うし……それに、くじで決めたんじゃないのかい?」
「それが、くじで当たった奴、急性胃炎起こして、さっき、保健室にかつぎこまれたんだよ。なあ、ユージィン、頼むよ。あのクリューガーを女役にして、一緒に踊れるのなんか、君くらいしかいないんだからさあ、な、頼む!」
 二人とも、必死の形相でユージィンに手を合わせている。
「うーん、でも、教官にばれたら困るだろう? 一応、クラスごとってことになってるし」
「だいじょうぶだって。クラスごとっていったって、全クラス一緒にやるんだし、踊ってるうちに、そんなの関係なくなるし、な?」
「うーん……」
 ユージィンは、困り切ったように腕を組んだ。
 その様子を、二人はすがるように見つめている。だが、一人の目が、不意に輝いた。
「いい考えがある! 教官に許可をもらってくるよ。それならいいだろう?」
「そんなこと、できるのかい?」
 ユージィンが、驚いたように聞き返す。
「できるさ。だって、クリューガーは背が高すぎるって、教官も言ってたんだ。クリューガーとじゃ練習にならないって言えば、許可をくれるさ。背の高さが合うのはユージィンくらいしかいないってのは、教官だって知ってるし」
「おれだって、ヴィクトールより低いよ?」
「でも、1、2センチだろ? 俺たちよりはずっと身長あるんだし。よし、そうしよう!なあ、教官の許可がもらえればいいかい?」
「……まあ、それなら、おれはかまわないけどね」
 ユージィンは苦笑してうなずいた。
 二人の顔が、ぱっと輝く。
「ありがとう! やっぱり、きみは頼りになるよ、ユージィン! 恩に着る! じゃあ、さっそく教官のところにいってくるから。頼んだよ!」
 二人はそう叫ぶと、またあわただしくロッカールームから飛び出して行った。
 ユージィンは、苦笑したまま二人を見送った。
 そして、ロッカーに向き直ると、ゆっくりと着替えの続きを始める。
 すでに、他のクラスメイトは着替え終わったらしく、周りには誰もいない。
 淡々と着替えるユージィンの顔から苦笑が消え、ゆるやかに、別の表情がとって変わった。
 唇の端が持ち上がり、頬がわずかにゆるむ。
 確かにそれは微笑だった。だが、もし、その表情を見た者がいたら、おそらく自分の目を疑ったに違いない。それくらい、いつものユージィン・バンフォードが浮かべる、優しげで人の良さそうな笑顔とは、異なる笑みだった。
(おもしろくなりそうだな……)
 ユージィンは、ロッカーの扉の内側についている鏡をのぞきこんだ。
 鏡の中で、青緑の瞳が楽しげにきらめき、こちらを見返している。
(楽しませてもらうよ、ヴィクトール)
 そして、とうとう、こらえ切れぬように、くっくっと肩をふるわせて笑い始めた。

「なぜ、おまえがおれの前にいる?」
 この上なく不機嫌そうな声に、ユージィンはにっこりと微笑んだ。
「特別に指名されたんだよ」
「指名?」
「そう、君と身長が合うの、おれしかいないからって」
 まわりで、ヴィクトールのクラスメイトが、いかにも心配そうに、二人にちらちらと視線を投げている。だが、ヴィクトールが憮然とした表情で周りを見回すと、みな、あわてて視線をそらせた。
 ヴィクトールは、腕を組んだまま、鼻を鳴らした。
「余計なことを」
 だが、さすがに、そこは声を落として言う。
 ユージィンは、くすくすと笑った。そして、こちらもヴィクトールだけに聞こえるように声をひそめて言った。
「そう言うなよ。みんな、君を女役にして踊るなんて怖いんだよ。一人、胃炎で保健室に行ったって?」
「……なんだ、それは」
 ユージィンは、さらに楽しそうに笑った。
「君の相手をすることになって、急性胃炎起こしたって聞いたよ」
「失礼なやつだ」
 ユージィンは、吹き出した。
「そんなことを言ったら、かわいそうだよ」
 ヴィクトールは、じろりと、笑い続けるユージィンを睨んだ。
「似合わないことを言うな」 
「ひどいな。ほんとにそう思ってるのに」
 ユージィンが苦笑する。
 そのとき、笛の音が体育館に響き渡った。
「……始まるね。というわけで、よろしく」
 ユージィンはにっこりと微笑むと、女性に対するように優雅に一礼した。
 そして、ヴィクトールの右手を取る。
 ヴィクトールは、一瞬、顔を引きつらせ、手を振り払おうとする素振りを見せたが、おそらく意志の力を総動員したのだろう。そのまま、右手をユージィンに預けたまま、むっつりと押し黙る。
 ユージィンは、さらに深く微笑むと、左手でヴィクトールの右手を柔らかく包むように握り、右手をヴィクトールの背中に回した。
「まだ、なんとかなるね」
「……なにがだ」
 いまにも射殺しそうな目つきで、ヴィクトールがユージィンをにらみつける。
「いや、君、この一年でだいぶ成長したみたいけど、まだ、大人にはなりきってないからね」
「気色悪いことを言うな」
 ヴィクトールが、嫌そうに言ったが、ユージィンは無視して続けた。
「頼まれたとき、正直言って、困ったんだよ。こうやって組んだときに、おれがぶらさがってるみたいになったら、みっともないだろう? でも、まだ、だいじょうぶみたいで、安心したよ。 君、身長の伸びに、まだ横が追いついてないんだな。二つ年上っていうのが、まだ有利に働いてるね」
「……」
 ヴィクトールは、むっと黙り込んだままだ。
 ユージィンは、くすくすと笑った。
「でも、きっと、こんなのも今年が最後だろうね。そのうち……」
 だが、そこでワルツの前奏が始まり、ユージィンは口をつぐんだ。
 そのうち、なんなのか。ヴィクトールは、ちらりとユージィンを見やったが、ユージィンは、もうすっかり会話のことなど忘れたように曲に集中している。
 ヴィクトールは、軽く眉をあげると、曲に耳を傾けた。
 
 前奏が終わり、ユージィンは、絶妙のタイミングで、ヴィクトールをリードし、ステップを踏み出した。
 ヴィクトールも、実際に組んでやったことはないとはいえ、女役のステップは頭には入っている。嫌々ながらも、仕方なく、ユージィンについて、足を踏み出した。
 だが、そのとたん、ユージィンの声が飛んだ。
「だめだよ、ヴィクトール。そんなんじゃ」
 ヴィクトールは、むっとして、ユージィンをにらみつけた。
「ステップは合っている」
「そりゃそうだけど、もっと力を抜かないと。格闘技じゃないんだから」
「……」
「まだ、力が入ってるよ。いいかい? 女役はね、男役に身体をあずけるようにしないとうまく行かないんだよ。もっと力を抜いて、おれのリードにすべて任せるようにしないと」
「……」
「ほら、ここも力が入ってる」
 ユージィンは握ったヴィクトールの右手を、ちらと見て、苦笑した。
「嫌なのはわかるけど、この硬直した手はなんとかならないのかな? 握れとはいわないから、少しは添えるとか……」
 ヴィクトールの右手は、これ以上ないくらいぴんと伸び、反り返っている。おそらく極力、ユージィンの手に触れないようにしているのだろう。
「まったく、傷つくなあ」
 ユージィンは苦笑して言ったが、大して傷ついているようでもない。その証拠に、
「ほら、ここも、力が入りすぎだよ」
 と、右手で容赦なく、ヴィクトールの背中を叩いた。
「おれの手に背中を完全に預けるんだよ。じゃないと、ターンもうまくいかない。いいかい、行くよ」
 ユージィンがヴィクトールをリードし、曲に乗る。
「ターン……」
 その瞬間、ヴィクトールは足を思いきり踏まれて、顔をしかめた。
「ああ、ごめん」
 ユージィンは、にっこりと微笑んだ。
「だから、言っただろう? もっと力を抜いて自然にターンしないと、足がもつれるんだよ。だから、まずは背中と肩の力を抜かないとだめなんだ。そうしないとかえって踊りにくいよ。はい、深呼吸」
 思わず深呼吸をしそうになり、ヴィクトールは、あわてて息を詰めた。
 そして、刃物のような視線をユージィンに投げる。
 だが、ユージィンは、その恐ろしい視線をにっこりと受け止め、再び曲に合わせて踊り出しながら、優しく言った。
「おれの手に体重を預けるつもりでいればいいんだよ」
「……」
「はい、ターン。優雅に……」
「………」
「うん、そう、力を抜いて」
 3拍子の曲に合わせて、ステップを踏みターンを繰り返す。
 ユージィンは、実に自然に、ためらいなくステップを踏み、ヴィクトールをリードして行く。そうやって踊ってみると、いまいましいが、確かにユージィンの言うとおり、身体に力を入れていると、かえって疲れる。
 それに、絶対に、わざとに違いないが、足を何度も踏まれる。
 だが、やり返そうとしても、こちらは慣れない女役のステップであり、あっさりとかわされる。
 そのうち、ヴィクトールもやけくそになり、何も考えずに踊っているうちに、いつの間にか身体から力が抜けていたらしい。
 ようやく一曲終わると、ユージィンは、にこにことヴィクトールを見やった。
「うん、少しずつ固さがとれてきたよ。いい感じだ。次は、おれのリードにまかせるってのを考えてくれれば、もっとよくなるよ」
 ユージィンは、うれしそうに続けた。
「とにかく、自分で動こうとしないで、楽に……」
「おい」
 ヴィクトールは、だが、そこでユージィンを遮った。
「一つ、聞きたい……」
「なに? 質問かい?」
 ユージィンは、にっこりと首をかしげる。
 それを睨み据えて、ヴィクトールは腕を組んだ。
「あくまでも、おれは練習台だ。なのに、なぜ女役のステップがうまくならないといけない?」
 ユージィンは、何を今さらとでもいうように、あきれたような目をヴィクトールに向けた。
「だって、君がちゃんと女役をやってくれないと、おれが練習できないじゃないか。
まだ、そこまで行ってないんだから、頼むよ、ヴィクトール」
 そんなことを言うが、ユージィンのリードは見事なものである。
 これ以上練習する必要など、はっきり言って、ない。
 ヴィクトールは、いまいましげにユージィンをにらみつけた。
「貴様、楽しんでるだろう」
 ユージィンは、驚いたように、大きな目をさらに見開いた。
「嫌だなあ、ヴィクトール。おれだって、君と踊るなんて嫌だよ、ほんとは。だけど練習しないといけないんだから、しょうがないじゃないか。アンゲリカと踊った時にも、ちゃんとリードできるようにしておかないといけないし。彼女はワルツの名手だからねえ。君もよく、知ってるだろうけど」
 そう言って、いかにもうれしそうに、にこにこと微笑む。
 その笑顔にも、もちろん、まったく邪気はない。なさ過ぎるほど、ない。
 嫌みもここまでくると、芸術である。
「だから、君にがんばってもらわないと……そんな怖い顔しないでくれよ。おれだって去年、女役、やったんだよ? きみだってちゃんとやらないと……ほら、公平にやらないとねえ、そういうのは」
 そこで、ヴィクトールはむっと押し黙った。
 公平さ、それは潔癖なヴィクトールにとっては無視できない言葉である。
 そう言われてしまえば、黙るしかない。
 その様子を眺めて、ユージィンは、満面の笑みを浮かべた。
「ほらほら、曲が始まるよ」
 ユージィンは優雅な仕草で、再びヴィクトールの手を取り、その背中に右手を回した。
「はい、力を抜いて。おれに身体を預けて。とにかく君は、おれを信頼して、リードについてくればいいんだからね」
 そう言って、にっこりと微笑んだユージィンを、ヴィクトールはにらみつけた。
「……信頼……?」
 低く、何かを押し殺したような声で、囁くように言う。
 だが、そんなことでユージィンが動揺するはずもない。
「そう、信頼」
 ユージィンは、あっさりと繰り返すと、それは美しい笑顔で微笑んだ。
「簡単だよ。昔を思い出せばいいんだから」
 その瞬間、ヴィクトールの足が渾身の力を込めてユージィンの足の上に振り下ろされた。
 ユーベルメンシュの渾身の力である。
 ユージィンの顔が、さすがに一瞬、ゆがむ。
 それを見て、ヴィクトールはわずかに溜飲を下げたのだった。
 

 その日の夜。
 寮の一室でユージィンが腫れあがった足の甲に湿布薬を貼り付けていた。
「まったく……相変わらず、ばか力だな」
 さすがに閉口したように、つぶやく。
 
 そして、同じ階の別の部屋では、同じように足や腕に湿布薬を貼り付けるヴィクトールの姿があった。
「くそっ覚えてろよ、ユージィン」
 ヴィクトールの唇からは、物騒なつぶやきが漏れている。
「いつか、復讐してやるからな」
……何か違うぞ、ヴィクトール。

 こうして、毎年恒例の、空しいにもほどがある一日は、終わったのだった。

END

ブックマーク へのパーマリンク.

コメントは停止中です。