Raphael 4

ラファエルは、唇をふさがれたまま、驚きのあまり、抵抗もできずにいた。
(な、なんなんだよ、これ!)
(なんで、なんで、ク、クリューガーのおっさんが、お、おれに)
(キキキキキス……ッ!)
(そ、そうだよな、キスだよな、これ、そうだよな……ッ!)
 頭の中は、パニックである。
 もちろん、ラファエルとて、男同士でそういう行為に及ぶことがあることくらい知っている。知っているどころか、見たことさえある。
 なんと言っても、スラム育ちである。
 男娼もいれば、ゲイもいる。
 それが日常だった。
 だが、知識として知っているのと、実際に、自分の身に起こるのとでは、えらい違いである。
(ななななな、なんで、なんで??)
 すっかり、頭の中は?で埋め尽くされている。
 しかし、それも、無理からぬことではあっただろう。
 ラファエルとて、ヴィクトールに、少しでもそういうそぶりがあれば、気づいたはずである。
 だが、ヴィクトールは今の今まで、そんな気配を一瞬たりとも見せなかったのだ。
 普通、こういう行為に及ぶまえには、欲望を示すサインなりなんなりがあるのではないだろうか。
 それが、なんの、前置きもなく、いきなりである。
 だが、そうして、じたばたしているうちに、ヴィクトールの手がラファエルのシャツにかかり、ぐいと力任せに、引いた。
 止まっていたボタンが飛び、胸元があらわになる。
 そこで、ようやく、ラファエルも硬直している場合ではないらしい、ということに気づいた。
 あわてて、手を振り回し、唇から逃れる。
「へへへへヘンなこと、すんなよっ! やめろよっ!」
 振り回した手が、ヴィクトールの頬に当たった。
 だが、ヴィクトールは無言のまま、さらにシャツを引きちぎるように脱がせてくる。
「なんだよ!へ、変態! やめろよーーッ ちくしょう」
 わめいて、手足をばたつかせる。
 だが、叫んでも、抵抗しても、ヴィクトールは意に介した様子もなく、服を脱がせる手を止めない。
(これは……本気だ……)
 こうなったら、こちらも本気を出して、なんとかこの場を逃れるしかない。
 ヴィクトールもユーベルメンシュだろうが、それを言うなら、ラファエルは、最高のユーベルメンシュなのである。
 少なくとも、肉体的な面で負けるわけがない。
 ラファエルは、力にまかせて、覆い被さる男の体を押しのけようと、息をつめた。
 が。
 ふと、間近にある、淡い色合いの瞳に、目を奪われた。
 グレイがかった青い瞳。
 冷たく、どこまでも澄み切った瞳が、まっすぐにラファエルを見つめている。
 だが、その瞬間、ラファエルの胸の奥に、鋭い痛みが走った。
(え……)
 ラファエルは、目の前にある美しい瞳に見入った。
 欲望など、一片も見いだせない、ただただ、冷たく冴え冴えとした光を浮かべた瞳。
 だが、その奥に……。
(なんだろう……)
 冷たい瞳の奥に、ゆらめく、かすかな光。
 なぜか、それを見ているだけで、胸がしめつけられるように、痛む。
(この目、見たこと……ある……)
(……どこ……で……?)
 ブルーグレイの瞳が、不意に、ある瞳に重なった。
 狂気を宿し、狂おしく燃え上がり、涙を流しながら、激しくラファエルを見つめていた瞳。
(「愛してたのに……」)
 胸に突き刺さるような叫びが、鮮やかによみがえる。
(……か…母さん……?)
 ラファエルは、心の中でつぶやく。
 そうだ、母親の、あの時の目。
 過去の記憶の封印が一瞬、解け、ラファエルを夫と思い、封印されてきた激情を、たたきつけてきた母親のすさまじい瞳。
(「愛してたのに……愛してたのに……!」)
 深く傷つき、それでも、なお、想うことをやめられない苦しさにのたうっていた母親の瞳。
 狂うほどに、深く深く、夫を愛した母の瞳。
(……なんで……)
 なぜ、その母親の瞳と、ヴィクトールの瞳が重なるのか、わからない。
 ヴィクトールは、強い人間だ。
 強く、厳しく、誇り高く、何ものにも屈しない、あの、父親にさえ、対等に渡り合う人間だ。
 そのヴィクトールの瞳に、なぜ、あの母親の狂気の宿った瞳が重なるのか。
 だが、目の前にある、ブルー・グレイの瞳に浮かぶ光は……まぎれもなく、同じものだ。
(……どうして……)
 呆然と、ヴィクトールを見つめるラファエルの身体から、シャツの残骸がはぎとられる。
 だが、抵抗しようにも、知らず知らずのうちに、身体から力が抜けて行く。
 ヴィクトールの瞳に、一瞬、いぶかしげな光が浮かぶ。
 だが、力強い手は止まらず、ベルトをはずし、下着もろとも服を脱がしにかかる。
「…い……いやだ……」
 ラファエルはあらがったが、それは、とてもではないが、男の凶行をとめられるような抵抗ではなかった。
 あっさりと、すべての服をはぎ取られ、乱暴に、ソファの上に身体を押しつけられ、ヴィクトールの身体が覆い被さってくる。
(あ……)
 ラファエルは、何かが流れ込んでくる、感覚に息をのんだ。
 あの、ユーベルメンシュたちの思念が、身体に流れ込んでくるのと、同じ感覚。
 触れあった肌から、ヴィクトールの心が流れ込んでくる。
 深く深く、傷つき、その傷から、血を流し続け、何かを求め続け、恐ろしいほどの渇きにのたうつ心が、流れこんでくる。
 その、せつなさに、ラファエルの心が涙を流す。
 力強い手が、ラファエルの両手を強引に上にあげさせ、ひとまとめにして、押さえつけた。
 もう片方の手が、足を開かせてくる。
 だが、覆い被さる身体を、押しのけることができない。
 ヴィクトールを拒絶することは、ラファエルには、もはや、できなかった。

「あ……あ……」
 うめいて、ラファエルは両手を強く握りしめた。
 強引に押し込まれた指が、身体の内側で荒々しく動き回り、ラファエルを苦しめる。
 だが、足をからめられ、体重をかけて下半身を押さえ込まれ、腰を動かすこともできない。
「つ……っ……」
 身体の中心に、さらに圧迫感を感じて、のけぞる。
 内側から、身体を広げられる異様な感覚と痛みに、汗が噴き出す。
(もう、いやだ)
(やめてくれ)
 心の中で、叫ぶ。
 だが、もう、言葉にすることもできず、ただ、ひたすらうめき、あえぐしかない。
 ヴィクトールは、いっさい、口を開かない。
 何も言わず、冷たい目をラファエルに向けたまま、徹底的にラファエルの身体を蹂躙していく。
 その顔のどこにも、欲望の影はない。
 時折、冷たいブルーグレイの瞳にひらめくのは、強烈な怒りの炎だけだ。
 それは、ひたすら恐ろしい。
 だが、その怒りの炎の影に、ちらちらと見え隠れする、光。
 ラファエルが見てしまったヴィクトールの心の闇は、いまも、はっきりとそこにある。
 それが、ラファエルの抵抗を封じる。
「うッ!!」
 身体がさらに広げられる圧迫感に、ラファエルは、背をのけぞらせた。
「あ、あ、あ……」
 数本の指が、容赦なく動き回り、身体の中心を嬲り尽くしていく。
 不意に、異様な衝撃が全身に走り、ラファエルは目を見開いた。
「ん……ッ……」
 身体が、びくっと跳ねる。
 一瞬、ヴィクトールの指が止まる。
 だが、次の瞬間、強く、身体の奥を押されて、ラファエルは悲鳴をあげた。
 身体が、勝手にがくがくと震え、足が痙攣するように震える。
 また、同じところを、強く押され、身体が跳ねた。
「や……だッ……」
 身体の中で暴れ回っていた指は、いまや、明確な意志を持って、ラファエルを嬲りにかかっていた。
 何度も何度も、同じところを刺激され、そのたびに、身体がびくびくと跳ねる。
 うねるような感覚が、全身を走り、身体をのたうたせずにいられない。
「あ……ああっ…」
 身体がほてり、下腹部が、じんじんと熱を持ってうずく。
 ふと、ラファエルは、自分の下腹部に目をやった。
 そのとたん、信じられず、目を見開いた。
 それは、明らかに快感を示し、大きく勃ちあがっていた。
 なにかが触れているわけでもない。
 それなのに、はっきりと快楽にふるえ、熱く脈打っている。
 ラファエルは、ようやく、悟った。
 さきほどから、自分を襲っているのは、快感だった。
 自分は、身体の中を嬲られるだけで、恐ろしいほどの快楽に流されているのだ。
 激しい羞恥と自己嫌悪に、いたたまれない。
 苦しいのに。
 こんなに苦しいのに、身体は、確かな快楽に震え、のたうつ。
「いやだ……いや……やめ……」
 なんとか、勝手に反応する自分の身体を押さえ込もうと、身体に力を込める。
 だが、それは、嬲られている部分を締め付けることになり、中に埋め込まれた指をいっそうリアルに感じ取る羽目になった。
「うっ!」
 さらに、快感が四肢を走り、ラファエルのものが、びくりと震えた。
 先端から、とろり、と液体がしたたり落ちる。
 ラファエルは、羞恥にカッと頬を染めた。
 だが、身体は、もう、どうにもならないところまで、追いつめられていた。
「……も……う……やめ………っ…」
 あえぎながら、訴えるが、言葉にならない。
 えぐるように身体の中を刺激され、内壁を嬲り尽くされる。
「もう……ッ……」
(だめだ)
 耐えきれない……そう思った瞬間、激しい快感に、全身が震えた。
「んッ……ッ!」
 頭の中が、真っ白に染まる。
 太腿が、がくがくと震え、自分が、思い切り欲望をはき出すのを、頭の片隅で感じる。
 恐ろしいほどの快感と開放感。
 快楽の名残に、押さえようもなく、身体が震える。
「ちくしょ……」
 ラファエルの目から、涙があふれ出た。
 身体をふるわせながら、ようやく開放された腕をあげて、顔を覆う。
「な……んで……こんなこと……」
 涙が、あとからあとから、こぼれ落ち、腕を濡らす。
 だが、不意に、腰を引き寄せられ、足を開かれ、ラファエルは、涙に濡れた目を見開いた。
 開かれた左足をソファの背もたれに押しつけられる。
 あわてて、起きあがろうとしたが、右足を引きずり上げられ、バランスを崩し、ソファに倒れ込む。
「い、いやだ……やめ……ッ」 
 抱え上げられた右足をばたつかせる。
 だが、のしかかってきたヴィクトールの身体に、足を大きく開かれたまま、組み敷かれ、腰を押さえつけられた。
「……や……」
 開かれた腰に、熱い固まりが押し当てられる。
 恐ろしいほどの圧迫感に、息が詰まった。
 先ほどと同じ、身体を内側からこじあけられる異様な感覚。
 だが、次に身体を襲った痛みは、先ほどの比ではなかった。
 息もつけずに、ラファエルは、背を反り返らせた。
 その上に、ヴィクトールの身体が覆い被さってくる。
「…ッ……ッう……」
 身体を二つに裂かれる感覚。
 激痛に気が遠くなる。
 そのとき。
「おれを憎むがいい」
 ささやくような声が、薄れた意識の中に響いた。
 低い、ほとんど聞き取れないほど小さな、つぶやきにも似た声。
 ラファエルは、激痛にうめきながらも、必死で目を開いた。
 すぐ間近に、淡い色の瞳がある。
 さきほどよりも、さらに、透明感を増したようにすら見える瞳。
 その、透き通るような美しさに、ラファエルの心がしめつけられる。
(できないよ……)
 ラファエルは、そう、言おうとした。
 だが、その瞬間、身体の奥を激しく突き上げられ、その言葉は、喉の奥で、かすれた悲鳴に変わった。
 身体をこじあけて、さらに奥へ奥へと、熱く脈打つ異物が、押し込まれてくる。
「……あッ……あ……」
 きれぎれの悲鳴が、喉の奥から、ほとばしる。
 だが、ラファエルは、ヴィクトールの瞳を必死で、見つめ続けた。
(同じだから)
 不意に、脳裏に浮かんだ言葉。
(おれも……同じだから……)
 ああ、そうか……。
 ラファエルは、朦朧とした意識の片隅で、ぼんやりと悟る。
(そうだ……おれも……同じだったんだ)
(母さんと同じ目だと思った……でも、おれも、そうなんだ……)
 母親の、父親の、そして、キャッスルの愛が欲しくてたまらなくて、でも、それはどうしても手に入らなくて……。
 ヴィクトールが、何に渇いているのかは、わからない。
 だが、ヴィクトールもまた、何かを喪い、何かに傷つき、何かを求め……。
「……ッ……」
 やがて、ラファエルは、腰に温かい肌を感じ、身体をふるわせた。
 力強い手に腰をつかまれ、揺すりあげられる。
 身体を貫くものが、奥深くまで達していることを、まざまざと感じ、ラファエルはあえいだ。
 苦しくてたまらない。
 ぐいと、ヴィクトールの腰が動いた。
 身体の奥深くを貫かれ、ラファエルは、喉の奥でうめいて、身体をふるわせた。
 だが、それは、一度では終わらなかった。
 何度も何度も、ヴィクトールの腰が引かれ、ぐいとラファエルの身体を突き上げる。
 そのたびに、熱い固まりに容赦なく身体を引き裂かれ、ラファエルは、声も出せずに、全身を痙攣させた。
 まるで、永遠に続くかのような、苦痛。
 その中で、ラファエルは、とうとう、意識を手放し、暗闇の中に墜ちていった。

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