朝の情景~元首と情報部長官の場合~

 律動的な足音が近づいてくる。
「来たかな」
 火星国家元首ユージィン・アフォルターは、のんびりとつぶやくと、秘書の運んできた紅茶に口をつけた。
 次の瞬間、元首執務室の重々しい扉が、勢いよく開いた。
「ユージィン!!」
 足音も荒く室内に入ってきたのは、軍にこの人ありと知られた、軍服姿も凛々しい、軍情報部長官ヴィクトール・クリューガー中将である。
「おはよう、ヴィクトール」
 ユージィンは、紅茶のカップをソーサーに戻すと、にっこりと微笑んだ。
「今日は、何かな?」
「今日は、何かな、ではないッ!」
 ヴィクトールは、なにやら書類を握りしめ、ずかずかと執務机の前に歩いて行った。
「これはなんだ!」
「え?」
 ユージィンは、相変わらずのんびりとした手つきで、ヴィクトールが叩きつけるように置いた書類を手に取った。
 眼鏡を指で押し上げて、ざっと書類を読み下し、いぶかしげにヴィクトールを見上げる。
「これが、どうかしたのかい?」
「なんで、この仕事がうちに回ってくるんだッ!」
「いけないかい?」
 驚いたように目を瞬いたユージィンを見て、ヴィクトールは拳を握った手を震わせた。
 そして、その書類に指をつきつける。
「読んでみろ!」
「『<あなたはアフォルター元首をどう思いますか? 元首好感度調査>についての概要』」
 律儀に全部のタイトルをユージィンが読み上げる。
 そして、で?というように、ヴィクトールを見上げた。
「いいか? うちは軍情報部だ! 軍の情報部なんだ! それがなんで貴様の好感度調査なぞやらねばならん!」
「だって情報部だろう? 調査と言えば情報部、街頭アンケートといえば情報部だろう?」
「どこの軍の情報部が街頭アンケートをやるというんだッ!」
「そうかな?でも、まあ、やっていけないことはないだろう?情報を集めるエキスパートが揃ってるんだし」
 ユージィンはにっこりと微笑んだ。
 ヴィクトールは、握った拳を、机に叩きつけた。
 ガシャンッと音がして、紅茶のカップがはね、中身がソーサーにこぼれる。
 ユージィンの非難するような視線を無視して、ヴィクトールは怒鳴りつけた。
「冗談ではないッ!おれの優秀な部下を貴様の好感度調査なぞに使ってたまるかッ!これは、貴様のところでやれ!だいたい、こんなものは最初から、政府広報でやればいいだろうが!」
「あそこは今、忙しいんだよ」
「じゃあ、国家保安部にやらせろ!」
「あそこも、月政府対応で忙しい」
「じゃあ……」
 思わず、考え込んだヴィクトールは、やっと、そういう問題ではないことに思い至った。
「うちも忙しいんだッ!」
「……そうだけど、でも、君のところが一番人数が多いんだよ?」
「なっ……」
「だって、ほら、昔、二人で参謀本部とかの予算を大幅に削ったことがあっただろう?あの時に反対に情報部の予算が、跳ね上がったんだよねえ。それから、君のところの予算は増える一方で、それに比例して人数もどんどん増えて……」
「あれは、貴様が無理矢理、おれを引き込んだんだろうが! 当然の見返りだ!」
「そうだけど……でも、結果的に君が、一番おいしい所を持っていったんだよ?今じゃあ、情報部は、軍の中で最も力のある部署だからねえ」
「だからどうした! それは、それだけの仕事があるからだッ」
「うん、それはもちろん、そうなんだけど……はっきり言って政府よりも情報部の方が、予算も人数も豊かなんだよ。元首になって、びっくりしたんだけどね。だから、今、一番余裕のあるのが、君のところでねえ。君のところでお願いするしかないかな、と」
「何が、お願いするしかないかな、だ! 自分でやれ!貴様、暇そうじゃないか!」
「暇じゃないよ。今日だって、パーティが二つ入ってるし、会食も入ってるし、セレモニーに出席しないといけないし……」
「暇じゃないか!」
「ひどいなあ。それに、私は実務は苦手なんだよ。知ってるだろう?」
「貴様の場合は、苦手なんじゃなくて、やろうとしないんだろうが!なんでも、人のところに回してくるのはやめろ!」
「だって、君、仕事早いから」
 ユージィンは、にこにこと笑った。
「私がやるより、ずっと早いし、正確だし……」
「おだてようとしたって無駄だぞ。おれには、その手は効かん」
 ヴィクトールは、鼻で笑って言うと、身を起こし、腕を組んだ。
「とにかく、情報部はこの仕事はやらん。やりたければ勝手にやれ」
「困ったなあ……」
 ユージィンは、心底困ったように言い、指先で机の上に置かれた書類を嫌そうにつついた。
「飼い慣らしてる秘書官どもが、ぞろぞろいるだろうが。連中にやらせればいい」
「彼らは彼らで、仕事があるし……」
 ユージィンは、ぶつぶつとつぶやき、頬杖をついた。
「ああ、昔はよかったなあ。エーリヒがいてくれたからなあ。優秀な副官がいてくれたから、なんでも、助けてもらえたんだよねえ」
 そう言って、うらめしげにヴィクトールを見上げた。
「君が、取り上げるから大変だよ」
 ヴィクトールは、むっとしてユージィンを睨みつけた。
「あれも、見返りだ。今さら言われる筋合いはない」
「そりゃそうだけど……」
 なおも、ぶつぶつとつぶやいていたが、ふと、その瞳を輝かせてヴィクトールを見上げた。
 そして、にっこりと微笑む。
 その表情を見て、思わずヴィクトールは身構えた。
 こういう表情をしたら、ユージィンは危ない。
 いや、よく見せる表情ではあるが、これを自分に向ける時はろくなことなないのである。
「そうだなあ、こんなに人手がないと困るし……しょうがないから人事異動でもしようかな」
「な……!」
「私もやっぱり、優秀な補佐官がもっとほしいし」
「おい」
「それに、わたしは人見知りをするからねえ。やっぱり、気心の知れているエーリヒがいいなあ」
「人見知りが聞いて呆れる!それに、だいたい、エーリヒは軍人だッ。何を考えているんだッ!」
「だから、期間限定の異動ってことで。前例がないわけじゃないし。元首特例っていう便利な制度もあるしね。うん、それはいい考えだな。よし善は急げというし」
 ユージィンの手が、通信ボタンの方に動く。
「ちょっと待て!」
 ヴィクトールは思わず、叫んだ。
「なに?」
「貴様、そんなことだけのためにエーリヒの人生を変えて恥ずかしくないのか」
「嫌だなあ、そんなに大げさなもんじゃないよ。エーリヒだって、民間で少し働いて見るのも勉強になるよ。軍籍を抜かないで、異動ってのも私ならできるし。ほら、なんて言っても元首、だから」
 ユージィンはそう言って、にっこりと微笑むと、再び、手をボタンに伸ばした。
「ちょっと待て!」
「なに?」
「それはだめだ」
「どうして?」
「エーリヒは貴様には渡さん」
「どうして?」
「どうしても、だ」
「……そんな、子供みたいなことを……」
「子供なのはどっちだ!」
 ヴィクトールは、苦々しげに言った。
 ユージィンは、頬杖をついたまま、上目使いでヴィクトールを見上げた。
「だって、しょうがないじゃないか。君がやってくれないっていうから……」
 そう言って、また指を通信ボタンに伸ばす。
「わかった!」
 とうとう、ヴィクトールは叫んだ。
「え?」
「やればいいんだろう!やれば!!」
 ユージィンが、ぱっと顔を輝かせる。
「ありがとう。やっぱり、君は頼りになる。頼んだよ」
 そう言うと、書類を、すばやくヴィクトールに差し出した。
 ヴィクトールは、それに手を伸ばさず、ユージィンをにらみつけた。
「だが、今回限りだからな! 今度、またこういう仕事を回してきたら、裏で手を回して貴様の不信任案を議会から出させてやる!」
「怖いなあ、情報部長官が言うと、冗談にならないよ」
 そう言いつつも、ユージィンは、少しも怖がっていない様子でにこにこと微笑んだ。
「冗談ではないぞ! いいな、おれは本気だ。おれの力を見くびるなよ」
「嫌だなあ、見くびってなんかいないよ。この仕事も完璧にやってくれるものと期待している」
 ヴィクトールは、むっと押し黙り、ユージィンをにらみつけた。
 何か言ってやろうと思うものの、言葉が見つからず、ヴィクトールは憤然として、ユージィンが差し出している書類をひったくると、踵を返した。
 足音も荒く、大股で、扉まで数歩で行き着くと、入れ違いに入ってきた若い秘書官があわててよけるのに、目もくれずに執務室を出ていく。
 いかにも、怒り心頭に達した、とでもいうその姿を見送った秘書官は、ユージィンのそばまで来ると、心配そうに声を潜めて言った。
「今朝はなんだったのですか?」
「うん……ちょっと軍と政府の仕事の連携についてね、議論を」
「ああ、なるほど」
 秘書官は、納得したように大きくうなずいた。
「いろいろと問題がありますからね。しかし、毎朝、クリューガー長官も大変ですね。わざわざ元首官邸まで……」
「うん。でもありがたいよ。彼は仕事熱心だからね。軍と政府の架け橋になってくれるし」
 ユージィンは、いったん口を閉ざすと、柔らかく微笑んだ。
「私は、本当に部下に恵まれているね。もちろん、君もそうだよ。よくやってくれるのでつい甘えてしまうんだよ。すまないね」
 秘書官は目を見開き、次の瞬間、うれしそうに唇をほころばせた。
「いえ、私は、元首のご負担を少しでも軽くできればそれで幸せですから! 私にできることであれば、何でもさせていただきます!」
 ユージィンは、優しく目元をゆるませて秘書官を見つめた。
「ありがとう。じゃあ、仕事を始めようか。今日の予定を教えてくれるかな」
「はい!」
 秘書官は、若々しい顔をうれしそうに紅潮させたまま、大きく頷いた。
「まずは、十時から国務大臣と会見。十時四十五分に終了、五十分には、元首邸を出発し、十一時から、コンサートホールのセレモニーに出席。十二時より、会食……」
 秘書官が、メモを片手に、今日の予定を読み上げていく。
 ユージィンは、静かに耳を傾けながら、紅茶を一口飲んだ。
 そして、ちらりと目をヴィクトールが消えた扉に向ける。
 その、カップの影に隠された唇は、いかにも楽しげに、だが、いくぶん人の悪い笑みにほころんでいたのだった。

END

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