無惨に引きちぎられた腕。
その傷口から、血があふれ出し、体力を奪っていく。
全身、血と汗にまみれた、すさまじい姿。
それでも、ユージィンは闘い続けた。
目の前に立つ、自分によく似た顔をした青年に向かって、ありったけの力を放出する。
苦痛のうめき声をあげて、青年の体がのけぞり、後ろの壁にたたきつけられる。
「完成されたユーベルメンシュが情けないね」
ユージィンは、額から垂れ落ちてきた鮮血を無造作にぬぐうと、冷笑を浮かべた。
「私は、ただの人間だよ? その私に、勝てないとはね」
「……ちく……しょ……」
ラファエルが、うめきながら立ち上がる。
「……なに……が……ただの人間だ……」
ユージィンは微笑んだ。
「ただの人間だよ。だけどね、もうわかっただろう? 君より、私の方が強い。結局はね、精神の強さが勝つってことだよ。君は、私には勝てない。たとえ、サリエルがいても、他のユーベルメンシュたちがいても……私の方が強い」
ユージィンは、婉然と笑った。
「負けを認めるんだね、ラファエル。そして、私と組もう」
「……冗談……じゃ……ねえよっ!」
悲鳴のような叫び声とともに、空気の固まりがユージィンを直撃した。
空気が、ユージィンの周囲で渦巻き、刃のように、肌を切り裂く。
もう、無事なところなどないほどに痛めつけられた体から、鮮血が噴き出し、リノリウムの床を染める。
続けざまに、ラファエルの手から放たれた刃が、さらに容赦なく、ユージィンを切り刻んでいく。
ユージィンは、苦痛にうめきながら、かすかに微笑んだ。
(ヴィクトール……)
(ヴィクトール……君の死は、確かに美しかったよ)
(でもね、私の死より輝かしいかどうかは、私が死んだ時に決まる。そうじゃないかい?)
(私はね、まだ生きているよ。だから、まだ勝負はついてない)
(あいにく、勝ち逃げされるのは……趣味じゃないんだよ…)
再び、衝撃がユージィンの体を襲う。
耐えきれず、床にたおれこみ、こみあげてきた血を唇から吐き出す。
(ヴィクトール……)
ヴィクトールの視線を感じる。
いつも、いつも、自分を駆り立て、追い上げてきた瞳。
死しても、なお、自分を駆り立てる、美しく激しい瞳。
(ヴィクトール、見てるといいよ……)
攻撃の手がゆるみ、ユージィンはふと、顔をあげた。
ラファエルの青ざめた顔がそこにある。
さすがのラファエルも、消耗が激しいのだろう。
ユージィンは、かすかに唇をゆがめた。
おそらく、あと、2,3回もラファエルの攻撃を受ければ、自分の体は死ぬ。
そのときが勝負だった。
どうすればいいかなど、わからない。
だが、ヘルにできて、自分にできないことはないはずだった。
ラファエルの体に入り込んでしまえば、こちらのものだ。
精神力では、自分が勝つに決まっているのだから。
「……もう、終わりかい?」
ユージィンは嘲笑を浮かべて、再び、念をラファエルの脳に送り込んだ。
ラファエルの顔が激痛と苦痛に、ゆがむ。
だが、同時にラファエルから放たれた空気の礫が、ユージィンを襲う。
よろめきながらも、ユージィンは、意識を、ラファエルにのばした。
(おまえは、そんなものには興味ないだろう?・)
耳の奥で、深いバリトンが響く。
(……そうだよ、ヴィクトール。ラファエルに乗り移ったところで、おもしろくもなんともないよ)
(でもね、わたしは、走り続けなければいけないんだよ)
(だって、この道を選んだんだから……)
(この道が、とぎれるまで、全力で駆け抜けないとならないんだよ)
力を振り絞って伸ばした意識を、なにかが跳ね返す。
(ラファエルは、渡さない!)
激しい悲鳴のような叫び声。
(…サリエルか…)
ユージィンは、唇をゆがめた。
(さっさと逃げたくせに、大きな口を叩くんじゃない)
ユージィンは、ラファエルの脳に念を送り込んだ。
サリエルの絶叫が響く。
(…もう、逃げない!)
その瞬間、激しい力の奔流がユージィンを襲った。
「!!!」
すさまじい爆音。
身をかばう間もなく、吹き飛ばされる。
そのまま、崩れた壁の残骸にたたきつけられ、ユージィンは、声もなく、床に崩れ落ちた。
再び、爆音が響く。
遠のく、意識の片隅で、崩れ落ちてきた瓦礫が、自分の体を押しつぶすのを、感じる。
どこかで、誰かが叫んでいる。
ラファエルか……それとも、サリエルか……。
あるいは、他の誰かが……。
そのまま、ゆっくりと、ユージィンの意識はは、闇の底に沈んでいった……。
静かだった。
ユージィンは、ゆっくりと目を開いた。
ぼんやりとかすんだ目に、赤い影がうつる。
何度かまばたき、それが、そこかしこで燃え上がる炎であることに気づく。
同時に、四肢が引きちぎられるような激痛が、全身を走り、ユージィンはうめいた。
(ということは、まだ生きているのか……)
ユージィンは、唇をゆがめた。
(我ながらしぶといな……)
だが、おそらく、自分に残された時間は、あと、わずかだろう。
目を動かすことしかできないが、瓦礫の間に押しつぶされていることくらいは、わかる。
息をするのもやっとだ。
おそらく、肺から何から、潰されているのかもしれなかった。
あと、数分か……数秒か……。
そして、ラファエルの気配は、ない。
サリエルの気配も……そして、ユーベルメンシュたちの気配もなかった。
おそらく、先ほどの爆発は、サリエルが起こしたものだ。
(ラファエルを逃がしたか……)
サリエルは、どうなったのか……。
一緒にいったのか……、それとも、無に帰ったのか……。
だが、そんなことは、もう、どうでもいいことだった。
ラファエルがいない今、自分に打てる手は、もう、何も、ない。
(……終わり……か)
ユージィンの唇に、ゆっくりと微笑が浮かんだ。
だが、それは、あの、人々を魅了し、多くの心を奪った、魅惑的な微笑ではなかった。
穏やかで、静かな……そして、透き通るような優しさを持った、奇妙な微笑みだった。
ユージィンは、微笑んだまま、ゆっくりと目を閉じた。
瞼の裏に、よく見慣れた顔が、浮かぶ。
記憶にあるよりも、はるかに窶れ、ほお骨の高さが、目立つようになっていた、その顔。
だが、そこには、一種、壮絶な美しさがあった。
それは、どこからくる、美しさだったのか。
何かを貫き通した生き様ゆえなのか。
それとも……すべてを超えた、何かの想いゆえなのか。
「……ヴィクトール……」
ユージィンは、そっと、その名を呼んだ。
呼び慣れた、常に自分と共にあったその名を、一音一音、噛みしめるように呼ぶ。
「……どうだい?……私の死も……悪くは、ないだろ……?」
ユージィンの頬に刻まれた微笑が、深まる。
「……私もね……思い通りに生きたよ……最期の瞬間まで、ね……」
まっすぐに、自分を見つめてくる、ブルー・グレイの瞳。
ユージィンは、静かに、その瞳を見つめ返した。
柔らかく微笑み、すべての想いをこめて、その美しい瞳を、見つめる。
常に傍らにあり、自分を映し続けたその瞳を、そして、何よりも自分が愛したその瞳を、見つめ続けた。
ゆっくりと、意識が、薄れていく。
それでも、ユージィンは、見つめ続けた。
その瞳が、最期の瞬間まで、自分を見つめていたように。
自分だけを、見つめていたように……。
END