賭け

 足を開かれ、肩の上に抱え上げられる。
 そのまま、一気に貫かれ、ユージィンはうめいた。
 かすかな痛みが、身体の中心を走る。
 だが、それは痛みというには、甘く、身体のそこかしこでかき立てられた快楽とないまぜになって、ユージィンを翻弄する。
 だが、馴らされたユージィンの身体は、どん欲にその快楽を求め、しなやかに抱かれていく。馴染んだ身体と馴染んだ快楽が、そこにはあった。
 マッソウと関係を持つようになって、十年近い月日が流れていた。
 これまで、何度、こうしてマッソウに抱かれたかなど、もはやわからない。
 始めの頃こそ、自分の身体が否応なく作り変えられていくことに、嫌悪と憤りがあったものの、さすがに、今では、そんなものを感じることもなくなった。
 始めは痛みしかなかったその行為が、快楽に変わっていったのは、いつのことか。
 もう、それすらも思い出せないほど、マッソウの身体に馴らされ、快楽を与えられることに馴らされた。
 だが、そのせいで自分が喪くしたものを、惜しむ気持ちもない。
 これが最善の道だと知っていたから、この道を選んだ。
 それだけのことだ。
 そして、選んだからには、その選択を振り返ってみても意味がない。
 そんな暇があったら、この状況を最大限に利用することを考えるべきだった。
 
 自分にのし掛かるマッソウの肩に、震える指先ですがりつく。
 唇をかみしめて、激しい感覚に耐えながら、ふと、左手の薬指にはめた指輪に目をやった。
(やってみるか?)
 快楽にしびれたようになっている身体とは裏腹に、常にしんと冷えている頭の芯で、考える。
 本物の結婚指輪より、若干、重く、違和感のある指輪。
 だが、そうはいっても、中に小型のカメラが仕込まれているにしては、信じられないほど軽く、小さい。
 これを作らせたのは、一年ほど前のことだ。
 今でこそ、大事な後見の一人であるカール・マッソウだが、いつ、敵に回るとも限らない。敵に回らずとも、ユージィンの過去を知る数少ない人物の一人であるからには、なんとしても、保険が必要だった。
 一番効果的なのは、もちろん、自分とマッソウの情事の証拠である。
 だが、さすがにマッソウは用心深かった。
 未だに、ユージィンが寝室にカメラなどを仕掛けないか、警戒を怠らなかったし、ユージィンの時計やボタンまで調べる周到さには、さすがに閉口した。
 それだけではなく、絶対にユージィンの服をベッドのそばに置かせない。
 つまり、カメラを隠して持ち込むことは無理だったし、あらかじめどこかに仕掛けるのも無理だった。
 そこで思いついたのが、この結婚指輪だった。マッソウも、さすがに、こんなに小さい指輪までは疑わないらしく、一度も調べられたことはなかったのである。
 できあがってからは、マッソウの邸宅にくる時はいつでも、こちらの指輪を身につけるようにしていた。
 そして、隙あらば、と思ってはいたものの、やはりそう簡単にはいかなかった。
 写真を撮るためには、指輪をはずさないとならない。
 だが、いつも身につけたままの指輪をはずせば、それだけで、気づかれるだろう。マッソウは、決して馬鹿ではない。
 そして、怪しまれたら最後、指輪を調べられて、一貫の終わりだ。
 これまでの苦労が水の泡になる。
 慎重に慎重に、ことを進める必要があった。
 とはいえ、一度だけ、細心の注意を払って、試してみたことがあった。
 そのときは、写真を撮るところまでは成功した。
 だが、小さいだけにレンズの角度が足りなかったらしく、できあがった写真は、ほとんど何が写っているかわからないような代物だった。
 そのあと、もう一度、改良させたのが、この指輪である。
 自分の寝室で試してみた限りでは、確かに前よりも数段、性能はよくなっているが、実際にどうか。それは、やってみないとわからない。
(今日は、チャンスかもしれない)
 寝室の明かりに照らされて、にぶい光を放つ指輪を目の隅で捉えながら思う。
 こうして、マッソウの邸宅にくるのは、実は三ヶ月ぶりのことだった。
 しばらく、軍の任務でコロニーに赴いていたためだ。
 久しぶりにやってきたユージィンを、マッソウは待ちかねたように寝室に誘った。そして、欲望のままに、珍しく性急に、ユージィンを組み敷いた。
 その様子を見た限りでは、いつもよりは、注意力が散漫になっていると考えていいはずだった。
 ユージィンは、すぐ近くにあるマッソウの顔を見上げた。
 マッソウは、ユージィンの身体を強く抱きしめ、快楽を追求することに没頭しているように見える。
 だが、今は、まだ、だめだった。
 まだその瞳の中に、ユージィンを冷静に観察している色がある。
 おそらく、何かを疑っているというのではなく、ユージィンの快楽に歪んだ顔を見たいとか、そういうことなのだろうが、それでも、観察されていることに変わりはない。
 そんな余裕などないほどまでに追いつめなければ、安心はできなかった。
 チャンスは一度きりだ。
 少しでも不審な動きを見せれば、それですべてが終わる。
 あくまでも、気づかれないうちに指輪をはずし、写真を撮り、そしてまた指に戻す。
 そのためには、もっと、マッソウの油断を誘う必要があった。
 だが、あからさまでは、怪しまれるし、また、ユージィンが馴れたのと同じように、マッソウもまたユージィンの身体を知り尽くしている。
 ユージィンが本当に快楽を感じているのか、それとも演技なのか、それくらいはすぐに見破るに違いない。
 つまり、あくまでもいつものように、マッソウに抱かれ、快楽にのめり込みながら、それをやってのけなければいけないということだ。
 まったく、綱渡りだった。
 だが、なぜか、気分が高揚しているのを感じる。
 こうして、何か困難なことが目の前にあり、それを乗り越えようとするとき、それも一か八かの賭けに出ようとする時、いつも、ユージィンは、えもいわれぬ高揚感にとらわれる。
 むろん、頭はさらに冴え渡り、いつにも増して冷徹に現実を把握し、的確な判断を瞬時にくだしていくが、その一方で、心は高鳴り、歓喜に打ち震える。
 それは、自分の全存在をかけて、自分を試すことに対する歓喜だ。
 賭けに勝つか負けるか。
 それは、ユージィンにとっては、生きるか死ぬかと同義だ。
 賭けに負ければ、それはすなわち、破滅を意味する、そんな生き方を選びとってきた。
 常に破滅と背中合わせの賭けに身をゆだねて、生きてきたのだ。。
 だが、ユージィンは、常に賭けに勝ってきた。
 だから、いま、ここにいる。
 そして、これからも、この賭けは続く。
 死ぬまで、勝つか負けるか、全か無か、生きるか死ぬかの賭けに身を委ねて生きていくのだろう。
 そして、賭けに負けた時が、生の終わる時なのだ。
 ユージィンは、マッソウの首筋に両腕を回し、口づけを誘うと、激しく快楽をむさぼった。 
 
                      ********

「ユージィン?」
 ぐったりとベッドに倒れ込んで目を閉じていたユージィンは、心配そうな声に、薄く目を開いた。
 こちらをのぞきこんでいるマッソウと視線がぶつかる。
「だいじょうぶか?」
 ユージィンは、かすかに微笑んだ。
「……ええ……」
「なにか飲むかね?」
「すみません、いいですか?」
 マッソウはうなずくと、立ち上がり、壁にそって並ぶ棚から酒のボトルを取り出した。 もちろん、ユージィンが最も好むスコッチスタイルのウイスキー、それも、かなり高価な銘柄のものだ。ボトルとグラスを一緒にベッドに運び、サイドテーブルに置いた。
「久しぶりだったからな」
 グラスに酒を注ぎながら、マッソウが言った。
 ユージィンは苦笑した。
「……そう、ですね……」
「……3ヶ月ぶり……くらいか?」
「ああ、そんなになりますか?」
 ユージィンは、肘で身体を支えるようにして、上半身を起こそうとした。
 だが、腕に力を入れたとたん、がくりと肘が折れ、そのままベッドに倒れ込む。
 マッソウはその様子を見て、苦笑を浮かべると、腕をユージィンの背中の下に差し入れ、細い身体を抱き起こした。そして、その唇にウイスキーを注いだ、グラスをあてがう。
 だが、ふと、何かを思いついたように、小さく笑うと、グラスを自分の口に運び、酒を口に含んだ。
 いぶかしげにマッソウを見上げたユージィンの唇を奪い、酒を流し込む。
 ユージィンは、かすかに目を見開いたが、別に初めてやられることではない。
 おとなしく目を閉じて、唇をかすかに開き、巧みに流し込まれる酒を、口で受けた。
 少しずつ注ぎ込まれる酒を、喉に送り込み、飲み下していく。
 すい、とユージィンの唇からこぼれた酒が、一筋の線を描いて細いあごを伝った。
 マッソウの唇が、その筋を、あごから喉へと、ゆっくりとたどっていく。
 そのまま、首筋や喉元を愛撫するように口付けられ、空になったグラスをサイドテーブルに置いたマッソウの手に胸元を愛撫され、ユージィンは、小さく吐息をついた。
「……すみませんが………もう、今日は……」
 囁くように言って、マッソウの身体から逃れようとする素振りをみせた。
 だが、マッソウは、ぐいとユージィンを抱き寄せ、その顎を捉えると、おもしろそうにユージィンの顔をのぞきこんだ。
「なんだ、もう限界か?」
 ユージィンはかすかに微笑み、力無く首を振った。
「……死にそうですよ……」
 マッソウは、小さく笑った。
「それは、ますます、そそられるな。この疲れ切った顔も、色っぽいね」
 ユージィンは、ぐったりと身体を預けたまま、恨めしげにマッソウを見上げた。
「そんな目をしてもだめだよ、ユージィン。さすがに君のそういう手には、もう、引っかからないよ。今日は、泊まっていくのだろう? だったら、しばらく立てなくても、かまわんだろうが」
「また、そういうひどいことを………」
 マッソウは、ユージィンの身体をシーツの上に横たえ、覆い被さりながら口づけた。
「君が、音を上げる姿というのは、本当にそそられるんだよ。普段は何があっても弱音を吐かない君だからな。そんな君を見ていると、さらにいじめて泣かせてみたくなる。哀願する君など、こういう時でもないと、お目にかかれないからな」
 ユージィンは、深くため息をついた。
「……本当に、きついんですよ、もう……」
 だが、マッソウは取り合わなかった。
「いつもの自分を恨むんだな」
 そう言って、ユージィンの身体に口づけの雨を降らせていく。
 ユージィンは、再びかき立てられた快楽に、唇を震わせ、あえぎながら、ゆっくりと下に降りていくマッソウの髪に指をからませた。
 そして、ちらりと、左手の薬指に光る銀色の輪に視線を投げた。
(やるか?)
 マッソウにはユージィンの指は見えない。
 おそらく、はずすことは可能だ。
 そこから、どうやってサイドボードに持っていくかが問題だった。
(まあ、いい。なんとかするさ)
 ユージィンは、快楽に耐えきれなくなったように、指でマッソウの髪をかき乱した。
 その仕草に欲望をかきたてられたのか、マッソウの愛撫が激しくなる。
 ユージィンは、全身に走った快楽に思わず、身体をのけぞらせながら、そっと指輪を抜き取った。
 そのまま、両手を左右に大きく広げるようにして、右腕をサイドテーブルに伸ばす。
 視線はマッソウの髪にあてたまま、素早く、指輪の内側にかすかに刻まれた溝を指先で探り、爪でカメラのスイッチを入れる。そして、小さな突起の位置でレンズの向きを確かめると、手探りでテーブルの上に置いた。
 おそらく、五秒と、かかっていないはずである。
 そのまま、両手を頭上に伸ばしヘッドボードを掴むと、サイドテーブルに視線を走らせた。
 指輪はちゃんと、そこに、あった。
 だが、そうと知っていなければ、おそらくは気づかないはずだ。
 マッソウを見おろすと、何も気づかず、ユージィンを愛撫することに没頭している。
 ユージィンは、小さく吐息をついた。
 だが、ここで安心することはできない。
 ここからが正念場だった。
 カメラは、自動で一分置きにシャッターを切り、三十枚の映像をディスクに保存するようになっている。
 つまりは今から、三十分が勝負だった。
 その間に、使える写真を撮らなければならない。決定的な証拠になる写真を撮らなければならないのだ。
 しかも、その間、マッソウが指輪に気づくことのないように、完全に没頭させないとならない。
 ユージィンは、唇を舌で湿した。

「……カール……」
 せっぱ詰まったような声で呼ぶと、マッソウは顔をあげた。
「なんだ?」
 ユージィンは、何も言わず、ただ目だけで訴えた。
 おそらく、それでも十分に伝わり、そして、さらにマッソウが欲望をつのらせるだろうことは、百も承知の上だ。
 案の定、マッソウは、意地悪そうな笑みを片頬に浮かべた。
「なにかな? 言ってごらん」
 ユージィンは、頬をかすかに染め、唇を噛んだ。
「さあ」
 即すマッソウの目に、欲望がふつふつとたぎっているのを読みとる。
「言ってみなさい」
 ここで言うべき言葉は、よくわかっている。
 そのつもりで呼んだのだし、早く行動に移ってもらわねば、写真が撮れない。
 だが、ユージィンは、ためらった。
 その言葉を言わされるのは、初めてのことではない。
 何度も何度も、追いつめられて言わされた言葉だ。
 だが、何回口にしても、これだけは慣れることができない。
 たかが、言葉だ。
 それも、たったの一言だ。
 それなのに、どうしても、抵抗なく口にすることができない。
 ユージィンは、自分に、まだそんな感情が残っているのだということが、不思議でさえあった。
 マッソウに言われるままに、どんなに屈辱的な行為もできるようになっていたのに、なぜ、これだけが……。
 だが、ためらっている場合ではなかった。
 そんな感傷に、捕らわれている場合ではなかった。
 ユージィンは、唇をかみしめた。
「ユージィン?」
「………」
 ユージィンは、その言葉を小さくつぶやいた。
 だが、案の定、マッソウはさらに揶揄するように微笑み、ユージィンの口元に耳を近づけた。
「聞こえないが」
 ユージィンは、もう一度、唇を噛み、だが、意を決して口を開いた。
「………入れて……ください……」
 ユージィンは、声を絞り出すようにして言った。
 それだけで、残っていたすべての力を使い果たしたような気さえする。
 マッソウは、微笑んでユージィンに口づけた。
「いいだろう」
 囁くように言って、ユージィンの身体をうつぶせにさせると、その背に覆い被さった。
 ユージィンは、さりげなく手を伸ばして枕を引き寄せた。
 両手で抱え込むようにして、左手をマッソウの目から隠し、枕に顔を埋める。
 これは、ユージィンがよくやることだった。というよりも、こういう時のために今まで積み重ねてきたことの一つだ。
 うつぶせになれば、当然、自分の指はマッソウの目に簡単に触れてしまう。それを隠すために、考えた苦肉の策だった。
 だが、それも、続けていれば、怪しまれることはない。
「また、そんなもので、声を消そうとでも思っているのかね?」
 案の定、マッソウは、なんの疑いも持たないようだった。
「どこまで耐えられるか、やってみるんだな」
 揶揄するような口調で言い、ユージィンの腰を抱え上げると、そのままゆっくりと押し入ってくる。
 ユージィンは、小さく叫び、枕をきつく抱きしめた。
 そうしながらも、目の隅で指輪の位置を確認する。
 証拠写真になるためには、自分の姿とマッソウの姿、というよりも、二人の行為そのものと、二人の顔が写っていないと意味がない。
 この前のような失敗をしないためにも、しっかりとカメラのレンズに、自分たちの姿がおさまっていないと意味がないのだ。
 おそらく、この体勢ならばだいじょうぶだ、と思う。
 マッソウの姿も、レンズは捉えているだろう。
 ユージィンは、自分の顔をレンズにおさめるために、枕から顔を上げた。
 ふと、自分のこの姿は、どんな風に映るのだろう、と頭の隅で考える。
 うつぶせになり、腰だけをあげて男を受け入れている自分。
 それは、醜悪で淫猥な、吐き気をもよおすような映像だろう。
 そして、快楽に歪み、開いた唇からあえぎをもらしている自分の顔は、どんなに醜いことだろう。
 不意に、瞼の裏に、冷たい美貌が浮かび上がった。
 高貴で典雅な、凛々しい美貌。
 見慣れた、だが、見るたびに、ユージィンの心に喜びをもたらす、その貌。
 だが、そのブルー・グレイの瞳には、まぎれもなく、嫌悪と侮蔑がある。
 ユージィンは、小さく嗤った。
(君には、わからないだろうね、ヴィクトール)
(君には、一生、わからない)
(でもね、これがおれのやり方だ。おれが、自分で選んだやり方なんだよ)
 マッソウが後ろから、ユージィンの顎を捉え、首をねじるようにして後ろを向かせると、むさぼるように唇を重ねてくる。
 ユージィンは、瞼の裏の鮮やかな姿をかき消すように、目を固く閉じた。
 だが、そのブルーグレイの瞳は、いつまでもいつまでも、ユージィンの姿を見据えるかのように消えない。
(ヴィクトール。見るがいいよ。おれは、望みを叶えるためなら、なんでもできる。自分の身体を売り渡すことだってできる。どんなに醜いことでも、平気でできるんだよ。君には、できるかい?)
 マッソウの腕が、ユージィンの身体を仰向けにし、上半身を抱き起こす。
 そのまま激しく抱かれ、さらに快楽を煽り立てられ、ユージィンは、マッソウの身体にしがみついた。
 ようやく、冷たいブルーグレイの瞳が消え失せて、我知らずほっと息をつく。
 だが、それも一瞬のことだった。
 熱に翻弄され、身体がばらばらになりそうな感覚に、もう、何も考えられなくなる。
 マッソウの腕が、一段と強く、抱きしめてくる。
 やがて、ユージィンはマッソウの腕の中で、全身を激しく震わせて、頂点を極めた。
 そして、崩れ落ちるように、シーツに倒れ込む。
 朦朧とした意識の中で、甘美な快楽の名残に身体を震わせながら、目を閉じ、荒い息に肩と胸を激しく上下させる。
 疲労のあまり、そのまま、眠りに引き込まれていきそうになるのに、必死で抵抗する。
 まだ、眠るわけにはいかない。
 指輪を取り戻さなければ、すべてが水の泡だ。
 マッソウが満足げな吐息をついて、ユージィンの唇に軽く口付けると、ベッドをきしませ、隣に横たわった。 
 まだ整わない息のまま、そっと視線を動かし、マッソウが目を閉じているのを、確かめる。
 そして、ゆっくりと、右手をサイドボードに伸ばした。
 まだ、震えているような指先で慎重にテーブルの木目をたどり、指輪に触れる。
 音をさせないように細心の注意を払って取り上げ、素早く左手にはめる。
 マッソウは、何も気づいていない。
 ユージィンは、今度こそ、大きくため息をついた。
(終わった……)
 緊張していた身体から、ゆっくりと力が抜けていく。
 もっとも、撮れているかどうかが問題だが、とりあえず、マッソウに気づかれずに事を運ぶことはできたのだ。
(さすがに……疲れた……)
 その憔悴しきった顔に、かすかな微笑みが浮かんだ。
(が、おれの勝ちだ。今日のところは、まだ……)
 次はどうか、わからないが。
(賭けに負けた時が、生の終わる時)
 頭の隅で響いた、その言葉に、妙な喜びを感じる。
 とはいっても、別に死にたいわけではない。
 だが、そうやって、自分の生死を自分の手に握っていると考えるのは、悪くはなかった。
 改めて襲ってきた睡魔が、急速にユージィンの意識を奪っていく。
(もう……眠ってもいい……だいじょうぶだ……)
(今は、何も考えずに、眠っていい………)
 常に、遠くから自分を眺めている、もう一人の自分が、そう囁く。
 ユージィンは、その言葉に安心したような微笑みを浮かべた。
 そして、そのまま、引き込まれるように、意識を手放していった。 

END

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