街は、クリスマス一色に染まっていた。
店のショーウインドウには、赤、緑、白を配した、いかにもクリスマスらしい飾りつけがなされ、エントランスには、それぞれ趣向をこらしたクリスマスツリーやリースが飾られ、きらきらと輝きを放っている。
街ゆく人々も、手に手に、プレゼントらしい包みや、花束をかかえ、浮き立った表情で歩いていく。
その装いも、いかにもクリスマスらしいもので、美しい街並みを、さらに華やかに飾り立てていた。
だが、その賑わいと明るさに満ちた街を、むっつりと黙り込み、大股で歩いて行く、つまりは、まったく周囲にとけ込まない姿があった。
ブルー・ブラッドの名家クリューガー家の御曹司にして、ユーベルメンシュ。
ヴィクトール・クリューガーである。
といって、ヴィクトールの姿が、街にそぐわなかったわけではない。
士官学校の制服に身をつつみ、やはり学校から支給された、軍用コートに似た丈の長いコートを羽織り、背筋を伸ばして歩いていくヴィクトールの姿は、華やかな街にあっても、その凛々しさと美しさで際だち、すれ違う人々の目を奪っていたのである。
だが、本人は、そんなことには、いたって無頓着に、ひたすら、目的地に向かって足をすすめていく。周囲の喧噪も、美しい飾り付けも、いっさい目に入らず、といった様子で、まるで、弾丸のように、まっすぐに歩いていくのである。
つまり、浮き立った街にそぐわなかったのは、ヴィクトールが周囲に漂わせる雰囲気だったが、もちろん、本人がそんなことを気にするわけもなかった。
だが。
「ヴィクトール……」
わずかに息を切らせた声が、呼んだ。
ヴィクトールは、そのとたん眉を寄せた。
そして、前を向いたまま、そっけなく言う。
「なんだ」
「……あのさ、ヴィクトール……」
もう一度、柔らかい声が、ヴィクトールを呼ぶ。
ヴィクトールは、ぐっと眉を寄せ、ようやく足を止めた。
そして、その声の主を、じろりと睨み付けた。
「だから、なんだ」
「ああ、やっと、こっち見た」
隣で、ヴィクトールと同じように、士官学校の制服とコートを身につけた黒髪の青年が、にこにこと笑った。
青緑の瞳が、優しくほそめられ、いかにもうれしそうに、唇がほころんでいる。
だが、ヴィクトールの仏頂面には、なんの変化もなかった。
「くだらんことを言うつもりなら、行くぞ」
そっけなく言って、また、くるりと前を向こうとする。
黒髪の青年、ユージィン・バンフォードはあわてて、ヴィクトールの腕をおさえた。
「あのさ、ヴィクトール。もう少し、ゆっくり歩かないかい?」
「なんのために」
ヴィクトールは、つけつけと言った。
ユージィンは、にこにことヴィクトールを見つめた。
「だって、こんなにきれいなんだよ? もっと、ゆっくり、まわりを見ながら歩こうよ」
ヴィクトールは、ふんと、鼻を鳴らした。
「それなら、勝手にあとから来い。おれは、先に行く」
そう言って、さっさと身を翻す。
後ろで、ユージィンがため息をつくのが、聞こえたが、ヴィクトールは、振り返りもせず、大股に歩き出した。
後ろから、かつかつ、と足音が響き、ユージィンが追いついてくる。
「まったく、君って、本当に、美を解さないよね」
苦笑まじりの声が、言った。
「そんなもの、わかりたくもない」
ユージィンが、また、ため息をつく。
だが、ちらりと、ヴィクトールを見やり、苦笑を浮かべた。
「……いつにも増して、機嫌、悪そうだねえ」
「当たり前だ。なんで、よりによって、貴様と……」
ヴィクトールは、憮然としてつぶやいた。
「しょうがないよ、くじなんだから。 君、くじ運、悪いよね」
そう言って、ユージィンはくすくすと笑った。
ヴィクトールは、むっと黙り込む。
その顔を見て、また、ユージィンは、いかにも楽しげに笑った。
「まあ、いいけど。子供たちの前で、そんな顔してないでくれよ。 怖がって、みんな、泣き出すよ」
「……わかっている」
今日は、クリスマスイブだ。
毎年、イブの日には、士官候補生たちが、さまざまな事情で施設で暮らす子供たちのために、プレゼントを届けるのが、恒例になっているのである。
いわゆる、慈善事業の一環である。
二人は、まさに、その慈善事業に向かう途中なのだった。
「貴様が、おれの視界に入ってこなければ、こんな顔はしない」
ヴィクトールは、つけつけと言った。
「……傷つくなあ」
ユージィンは、言い、そっと自分の胸を押さえてみせる。
だが、ちらりとヴィクトールに向けた青緑の瞳は、きらきらと輝き、とてもではないが、傷ついたとは思えない。
ヴィクトールは、もう、何も言わず、手にさげた荷物を持ち直し、目的地に向かって、まっすぐに歩いて行った。
この毎年の慈善事業は、二人一組になった士官候補生が、それぞれ、二、三件の施設を回ることになっていた。。
そんなわけで、ヴィクトールとユージィンが義務を終え、士官学校への道をたどり始めた時には、すでに、すっかり日は暮れ、夜のとばりが降りていた。
繁華街から離れていることもあり、辺りは、人通りもなく、しんと静まりかえっている。
ヴィクトールは、静かな裏通りを、規則正しい足音を響かせて歩きながら、ちらり、と横に目をやった。
いつもならば、うるさいくらいに、何かと話しかけてくるユージィンが、妙におとなしい。
静かなのは、けっこうだが、ここまで黙り込まれると、調子が狂うというのも、また事実だった。
だが、ポケットに手を突っ込み、わずかにうつむき加減で歩いているユージィンの横顔は、相変わらず穏やかで、いつもと変わりない。
ヴィクトールは、そっと肩をすくめ、視線を前に戻した。
二人は、黙りこくったまま、静寂に包まれた街を、歩いていった。
が、不意に、ユージィンが足を止めた。
そして、なにかに耳をすませるように、わずかに顔をあげる。
「ああ……ミサが始まったんだね」
小さくつぶやいて、微笑む。
ヴィクトールにも、それは聞こえてきていた。
おそらく、近くの教会からだろう。
賛美歌らしき曲が、パイプオルガンの伴奏にのって、しずかに流れてくる。
ふと、低い歌声が、それに、重なった。
静かな、だが、張りのある美しい声。
ユージィンだった。
ヴィクトールの視線に気づいたのか、ユージィンがちらりと微笑む。
「アメイジング・グレイスだよ。知らない?」
「知らん」
「だろうね。もともとは、英語圏の賛美歌だったはずだよ」
「……おまえ、キリスト教徒か?」
「おれが? まさか」
ユージィンは、くすくすと笑った。
「母親が……ああ、義理のね。彼女がキリスト教徒だったからね、よく歌ってた。ほとんど、正気じゃなかったけど、歌だけは、よく歌ってたんだよね。だから、覚えた」
そういうと、また、続きを歌い始める。
「Amazing Grace(大いなる主の恵み)、なんとやさしき響きよ、このような我でさえも、救いたもうた
かつて我は失われ、いま見いだされぬ、かつては盲目だったが、光を知った。
大いなる主の恵み、そは我が心に恐れを教え、そして、解き放てり
かけがえなき恵みとは、なんとすばらしきものだったか
多くの危険や苦闘や誘惑を、我は乗り越えてきた
恵みはこれほどにも安らぎを与え、我を故郷へ導いてくれたもう
主は我に約束された、その言葉は我が望みとなりぬ
主は、我が盾、我の一部、この生命の続く限り
そう、この肉体と心が朽ちて、我がさだめが終わるとき
我はベールに包まれ、喜びと安らぎの生命を宿すのだ」
(「Amazing Grace(われをもすくいし) 賛美歌第2編167番」
それは、美しい曲だった。
かすかに聞えてくるパイプオルガンの荘厳な響きと、人々の歌声、そこに重なる、透明感のある、優しい歌声。
ヴィクトールは、正直言って、音楽にはまったく興味がない。
それでも、聴いているだけで、なんとも言えず、心地よい気分になっていくのを感じる。
やがて、歌が終わったのか、ユージィンが黙り込んだ。
静寂が、辺りを包む。
奇妙な喪失感に、ヴィクトールは、小さく吐息をついた。
アスファルトの道に、二人分の足音だけが響く。
「クリスマスっていいよね」
不意にユージィンが言った。
「どこもかしこも、きれいに飾り付けされてて……楽しくなるよ」
「くだらん」
ユージィンは、くすりと笑った。
「まあ、君は、そういうと思ったけど。……おれはね、子供の時っていうのは、クリスマスとは無縁だったからね」
微笑んだまま、静かに続ける。
「クリスマスなんてものがあるってのも知らなかったし。遺伝子研究所の子供なんてものは、モルモットだからね。今日の施設の子供たちみたいに、プレゼントをもらえるなんてこともないし」
ユージィンは、しばらく、何かを思いだすように暗い夜空を見上げた。
そして、小さく笑う。
「火星にきたの、十一月ころだったんだけどね、しばらくしたら、いっせいに、街の飾り付けが始まって……最初は何が始まったのかと思った」
そう言って、いかにも楽しげに笑った。
「といっても、別に誰かがプレゼントくれたり、なんてことはなかったけどね、でも、あの汚い街が、クリスマスの時だけは、ちょっときれいになるんだよ。それは、気分、よかったな」
ヴィクトールは、ちらりと、ユージィンの横顔に視線を走らせた。
穏やかで、優しげな微笑みを浮かべた横顔。
だが、その心の中には何があるのか。
ユージィンの心が、恐ろしく残酷で、凍り付くように冷たいことは、嫌と言うほど、思い知っている。
心など、ないのだ、とすら思う。
だが、時折、ヴィクトールはとまどう。
傲慢で、冷酷で、非情きわまりないはずなのに、ときどき、その影に、かいま見えるものがある。
それが、なんなのか、ヴィクトールには、わからない。
だが、それが、ヴィクトールをとまどわせ、苛立たせるのだ。
ヴィクトールは、ユージィンから目をそらし、無言で、歩き続けた。
が、不意に、トンッと、かかってきた重みに、よろけた。
「……な……」
体勢を立て直す間もなく、そのまま、せまい路地の壁に背を押しつけられた。
すぐ目の前に、ユージィンの微笑みを浮かべた顔がある。
ヴィクトールは、鋭く、その顔を睨み付けた。
「なんのつもりだ」
怒りをこめて、囁く。
だが、ユージィンは、にこにこと笑った。
「きみって……ほんとに、優しいよね」
「なに?」
思わぬことを言われて、ヴィクトールは、眉を寄せた。
「さっきの顔だよ」
ユージィンは、そう言って、いかにも楽しげに笑った。
「きみ、おれの話を聞いて、ちょっと動揺しただろ? 顔に全部、出てたよ」
「するわけがない。ばかばかしい」
ヴィクトールは、吐き捨てるように言った。
「……そうかな?」
ユージィンは、くすっと笑った。
そして、ヴィクトールの目をじっと見つめた。
「だからね、君は、おれみたいなのに、付け入れられるんだよ」
まるで、歌うように囁かれた言葉。
ヴィクトールは、目を見開いた。
目の前にある青緑の瞳が輝きを増し、笑みを浮かべた唇が、禍々しく、歪む。
圧倒的な力を肌に感じ、ヴィクトールは、全身を緊張させた。
例の力を使うつもりなら、容赦はしない。
身体に力がみなぎってくるのを感じる。
抑圧し、制御した、力。
だが、この男相手に、手加減する必要などない。
ヴィクトールの身体が熱くなる。
が……。
ふっと、青緑の瞳の輝きが薄れた。
周囲の空気が、軽くなったような感覚。
ヴィクトールは、ふっと息をつき、全身の力を抜いた。
だが、不意に伸びてきた細い指が、ヴィクトールの顎をとらえた。
「……なんっ…」
あわてて、その指を払いのけようと、腕をあげる。
だが、その瞬間、唇に暖かいものを感じ、目を見開いた。
すぐ間近に、ユージィンの顔がある。
重なった唇が、優しく動き、ヴィクトールの唇をむさぼる。
「・……ッ!」
ヴィクトールは、ユージィンの身体を突き飛ばした。
細い身体がよろめいて、離れる。
だが、その濡れた唇には、微笑みが浮かんでいた。
「ほら、ね。気を抜いちゃだめだって言ってるだろ?」
ユージィンは、そう言って、くすくすと笑った。
「貴様……ッ」
ヴィクトールは、手の甲で、唇を激しくぬぐい、ユージィンの胸元に手を伸ばした。
だが、ユージィンは、さっと、その手をかわした。
いたずらめいた笑みを浮かべ、片眉をあげてみせる。
「Amazing Grace(大いなる主の恵み)だね。ごちそうさま!」
笑いながら言って、手をふると、身を翻した。
「先に、帰るよ!」
そう言った身体は、もう、身軽に駆けだしている。
「くそッ……」
ヴィクトールは、ユージィンが消えた先を睨み付け、もう一度、手の甲で唇を強くぬぐった。
END